14
十月が訪れていた。名前はイングランドでも南の方の出身なので、十月でもかなり肌寒く感じていた。この調子だと、クリスマスが来る頃には凍り付いてしまうかもしれない。しかし、そんな中でも湖探索熱は収まるところを知らなかった。今では大イカを上手く釣ることができるようになったし(朝食で出るトーストを取っておき、湖にぽんと投げるだけで、大イカは簡単に姿を見せるのだ)、一度ケルピーらしき姿も目撃することが出来た。書き取りの罰則もようやく終わったので、名前は放課後、日没までずっと湖で遊んでいることができた。
ハンナやジャスティンは一、二度名前に付き合って、一緒に湖に足を運んでくれたが、名前が「向こう側まで行ってみよう」と言ったり、平気で湖の中に入っていくことには難色を示していた。
ハンナと言えば、この頃ではスーザン・ボーンズと仲良くなったようだった。彼女は名前達のルームメイトで、長い髪を三つ編みに垂らした女の子だ。名前はこれまであまり話した事がなかったが、ハンナは彼女と気が合うようで、彼女達が並んでお喋りしている光景をよく見るようになった。
スーザンははきはき喋る女の子で、名前が思っていたよりも、ずっとはっきりと物を言う子だった。
「貴方と居ると、ハンナがいつか倒れちゃうんじゃないかしらと思って」
ハンナが席を外した時、スーザンが名前に言った。名前は思わず閉口したし、ジャスティンは申し訳なさそうにしつつも明らかに笑っていた。
そのジャスティンも、最近では名前達ではなく自身のルームメイトや、別の男友達と過ごすことが多くなっていた。単純に入学したばかりの時より友達が増えたのだろうとは思うが、もしかすると女の子達が盛り上がっているところに男の子一人で居づらかったのかもしれない。
「クィディッチって何ですか? 魔法使いのスポーツなんですよね?」
マダム・フーチが皆も箒に慣れてきたようなので、次回の授業では簡易版のクィディッチを行うと発表し、名前達ハッフルパフとレイブンクローの一年生は大盛り上がりしていた。城までの帰り道、名前達は久しぶりに三人で並んで歩いていた。
「ええ、そうよ。二チームで対戦して、箒に乗ったままクアッフルを投げて点を取ったり、スニッチを捕まえるの。どっちかのチームがスニッチを捕った時、多く得点してた方が勝ちよ」
「クアッフル? スニッチ?」
「ボールの名前だよ」名前が言った。「クアッフルがゴールに入れば十点、スニッチを捕れば百五十点」
「百五十点?」
ジャスティンが鸚鵡返しに繰り返し、そしてくすくすと笑い始めた。「まさか、また僕をからかっているんでしょう? ――……えっ、待ってくださいまさか本当なんですか? そんな、まさか……」
ハンナが否定しなかったので、ジャスティンは自分の聞き間違いではないと認めざるを得なかったらしい。「ジーザス……」と呟く彼に、「ほんと、マーリンの髭でしょ」と名前は笑った。
一度に百五十点なんてゲーム的におかしいと主張するジャスティンに、ハンナも名前も肩を竦めた。ハンナはシーカーがスニッチを掴むと百五十点入ることは知っていても、その理由は知らなかったし、名前はそうなった経緯を知ってはいたが、一から説明するのは少々面倒くさかった。
うぅんと考えながら、ハンナが口を開いた。
「そうね、確かにスニッチを捕まえれば勝ちみたいなものだし、そうやって言われると不公平な気もするわね」
「まあ、実際に見てみると案外普通かもよ。シーカーへの妨害は認められてるし、スニッチを捕まえるのはそう簡単じゃないしね。ホグワーツでも寮毎にチームがあって、来月からリーグが始まるんだよ。総当たりでやるんだって。一緒に見に行こうよ」
「ええ、是非」ジャスティンが言った。
「……ところで、さっきから『捕まえる』と言っていますか? スニッチを捕まえるって……?」
金のスニッチには羽が生えていて、ピッチ上を縦横無尽に逃げ回るのだとハンナが言うと、ジャスティンは心底驚いたようだった。
この日の名前は上機嫌だった。日課の湖探索の最中に、流れ着いた海馬の卵を見付けたのだ。名前は辺りの小石や枝を何とかバケツや虫取り網に変身させ、小雨が降りしきる中、数時間掛けてそれを掬い上げた。
海馬とは、ギリシャ原産の水魔の一種で、上半身が馬、下半身が魚の姿をした魔法生物だ。主に地中海に棲息しているが、スコットランド沖に現れたという記録がある。ホグワーツの湖は海と繋がっているので(もちろん、未だ名前の仮説にすぎなかった。実は川があってそれが海と繋がっているか、地下に川が流れているのだろうと名前は考えており、あながち外れてはいないだろうと推理していた)、海に棲んでいる海馬の卵が流れてきてもおかしくはない。
海馬の卵は半透明で、大きめの蛙の卵のようだった。海藻に一つ一つ産み付けるのだが、魚や水魔に齧られたのか、海藻の切れ端ごと湖に流れ着き、水草に絡まっていた。殆どの卵は割れてしまっていたようだったが、一つだけ無事な卵があった。まだ産卵されたばかりなのか仔馬じゃくしにもなっていないが、肉眼でも透明な心臓が脈打っているのが見えた。
名前は自分が掬った海馬の卵を、自分の手で育てるつもりだった。幸いにも、卵はまだバケツに収まる大きさだったので、一先ず寝室に持っていくことにした。
孵化する頃には中型の犬程度の大きさになる筈なので、それまでには隠すのに丁度良い場所を見付けなければならないだろう。が、まだ時間はある。それにいつまでも湖の水(以前舐めたら全然しょっぱくなかった)に入れておくわけにもいかないので、海水を作る魔法も探さなければ。マグル式でも良かったが、名前はどれだけ塩を加えれば良いのかはっきりとは知らなかったし、そもそも塩がなかった。
もしこの卵が無事に孵って大きくなったら、ひょっとすると背中に乗せてくれるかもしれない、と、名前はそんなことを考えた。名前だってケルピーを手懐けようとは思わないが、海馬を飼育した水中人についての研究を読んだ事があるし、卵から育てれば案外懐くかもしれない。
ゼリーのような海馬の卵はふわふわと柔らかく、ちょっとの衝撃で崩れてしまいそうだった。名前は卵が入ったバケツを抱えたまま、間違ってもこけたり躓いたりしないように、慎重に歩を進めた。
樫の大扉を何とか通り抜け、地下へ向かって階段を下りた後の事だった。ハッフルパフ寮へ続く廊下へ向かおうと名前が曲がり角を曲がった時、勢いよく走ってきた生徒と出会い頭にぶつかった。
こけないように何とか踏ん張ったのと、走ってきた生徒が咄嗟に名前の手を掴んだのとが幸いし、何とか転びはしなかった。しかしながらぶつかった衝撃でバケツの中の水は飛び散り、名前達の足元に小さな水溜まりを作っていた。「ごめんよ」と、後から走ってきたもう一人が名前に声を掛けた。かなり急いでいるようで、そのまま猛スピードで階段を駆け上っていく。
「ほんとごめんな、僕達急いでて――おい、本当に大丈夫か?」
名前にぶつかった男の子は、そう言って同じく駆け出そうとしたようだったが、名前が何も言わなかったからか、やや心配そうに問い掛けた。
「あたしのヒッポカンパスが……」
「何だって?」
名前が腕に抱いていたバケツの中で、海馬の卵は跡形もなくなっていた。男の子とぶつかった衝撃で卵の殻が裂け、粉々になってしまったのだ。バケツの水は半分ほどになってしまっていて、海馬の卵は無く、中には半透明の欠片がひらひらと漂っているだけだった。
追い抜かして先に階段を上っていたもう一人の男子生徒が、「おいフレッド!」と焦ったように男の子に声を掛けた。
「解ってる!」フレッドと呼ばれた男の子は、階段の上に向かってそう返事をした。それから名前ともう一人を見比べて、「でもこの子が……」と口にした。
階段を上っていた方の男の子は二段飛ばしで降りてきて、何も言わない名前とフレッドを見比べると、「仕方ない」とか何とか言いながら杖を取り出した。そして、そのまますぐ横の壁に向かって「アロホモラ!」と叫ぶ。開錠呪文だ。
そんな所で使っても意味ないのに――と、そう思うのは束の間で、名前が壁だと思っていたところからつるつるした扉が立ちどころに現れた。名前はぽかんと口を開ける。
男の子は現れたドアを開き、するりと中に入り込むと、「フレッド! 早く来いよ!」とフレッドに声を掛け、それから名前を見て「ほら、君もおいで」と呼び掛けた。
「もちろん、君が代わりに捕まってくれるってんならそれでも良いけどな」
フレッドも「おいでよ、ほら」と名前を促しつつ、扉を通り抜けた。名前は促されるまま扉の中に入り、最初に入った方の男の子が再び杖を振って、名前達がつけた足跡を綺麗に消し去ったのを眺めていた。
扉が閉まり、がちゃりと独りでに鍵が掛かったのと、先程まで居た廊下で誰かが「ウィーズリー!」と大声で怒鳴るのは、殆ど同時だった。
扉のすぐ外で怒鳴っていた男――おそらく、管理人のアーガス・フィルチだ――の気配が遠ざかると、男の子達がほっと息をついたのが解った。名前は漸く、彼らが一卵性の双子だということに気が付いた。同じ色の髪をして、同じところに寝癖があり、顔にも丁度同じ位置にそばかすがあった。
「……えっと、助けてくれてありがとう。あたし、この廊下毎日通るのに、この壁が扉だって全然気付かなかった。この隠し通路、どこに繋がってるの?」
名前が言うと、二人は一瞬目を見交わした。双子の片方が「まあ、アロホモラをそこら中に掛けまくってなきゃ、普通は見付けられないからな」と言った。
「もしくはここに扉があるって知ってたら別だけど」
「二階の廊下に繋がってる。ハッフルパフの連中は、防衛術終わりにこの道を通ってる奴がたまに居るな」
「ホグワーツにはこういう抜け道があちこちにあるから、気が向いたら探してみると良い。もしもの時の備えになる」
「それに、この道はフィルチは絶対通れないしな」
双子は口々にそう言った。「あと、別に君を助けたわけじゃないぜ。僕らが管理人に追われてて、たまたま君を巻き込んだんだ」
「ぶつかっちまって悪かったよ。さっき何を持ってた? 何かの魔法薬かい?」
「ううん。ヒッポカンパスの卵だよ。湖にあったの」
「ヒッポカンパス?」
「湖だって?」
名前は抱えていたバケツを二人に見せた。二人は一応覗き込んだものの、かなり訝しそうに名前を見た。バケツには汚らしい藻の欠片と、少しの水しか入ってなかったからだ。道理で濡れてるわけだ、と双子の片方がぼやいた。
「湖にヒッポカンパスが居たのかい?」
「ううん、卵だけ。さっきまで生きてたんだよ、ちゃんと動いてたし。あたし、部屋で育てようと思ってたの」
思い掛けない返答だったのだろう、双子の男の子達は少々反応に困ったようだった。
「あー、悪かったよ」双子の片方が言った。名前は既にどちらがどちらなのか解らなくなっていたが、その声音から、恐らく名前にぶつかった方だろうと思った。フレッドだ。「穢れなきヒッポカンパスよ、永遠なれだな」
「ううん、あたしも……正直、上手くいかないだろうと思ってたし……」
あたしもぶつかっちゃってごめんなさいと謝ってから、名前はバケツの中を見下ろした。中の水は透明だったが、少し混ぜると、水の他に手に触れるものがある。藻や水草の欠片や、卵の殻、それから海馬になる筈だった諸々だろう。名前は溜息をついた。
海馬が死んでしまったことは当然悲しかったが、名前は彼らを責めるつもりはなかったし、それが解ったからだろう、彼らもひどく申し訳なさそうにしていた。
「――思い出した、君、僕らの授業にまぎれてた子だろ?」
「たぶん……」
バケツから顔を上げないまま、名前が言った。二人はグリフィンドールの三年生で、フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーだと名乗った。
「それじゃ、入学してすぐ禁じられた森に入ろうとしたハッフルパフ生ってのも君かい?」
「うん」
名前がはっきり肯定すると、二人は笑ったようだった。
「よっぽど魔法生物が好きなんだな」
「入学した次の日に森へ入ろうとするだなんて、きっと前代未聞さ。僕達ですら、初めて入ったのはクリスマスになってからだ」
「そこで提案なんだが、君、今度一緒に行かないか? 禁じられた森にさ」
名前は漸く顔を上げた。「今、何て言ったの?」
「一緒に禁じられた森に入らないかって言ったのさ」
「僕達、君の噂を聞いた時、君の事かなりクールだと思ったんだ。僕ら以上の悪戯っ子が居るってね。しかも、ハッフルパフと来た」
「それに君のヒッポカンパスを死なせちまったのは僕だしな。ま、罪滅ぼしってわけだ」
「僕達も、森にちょっと野暮用があるんだ」
名前は二人の顔を見上げた。「禁じられた森に入るのは、禁止されてるんだよ?」
生徒が無断で禁じられた森に入るのは禁止されていて、名前はそれを身をもって知っている。学校が始まったばかりだったからこそ二百点減点されても零点に戻るだけで、ハッフルパフ生達もあまり名前を責めなかったが、一か月経った今、名前が再び同じ失態を繰り返せば、彼らがどういう反応をするかは解らなかった。
フレッドとジョージは瓜二つの顔をしていたが、笑い方までそっくりだった。
「大丈夫さ。僕達、もう何度も森に入ってる」
「見付からなけりゃ大丈夫」
けど、と名前は言ったが、彼らは笑うだけだった。「要は、誰にも会わなきゃ良いんだ」
名前は同じ顔をした二人を見ながら、どう返事をするか考えた。
森に入るのは禁止されている。名前はついこの間一か月の罰則を終えたばかりだ。そもそも彼らが何度も森に入っているのが本当だとして、名前を誘う意味が解らない。しかし彼らは海馬の卵を死なせてしまった事に対して申し訳ないと思っているようだし、本気でがっかりしている名前を見て憐れんでいるようでもあった。それに、初めて会った一年生をからかってやろうとしているにしては、禁じられた森に入ろうというのは悪戯として度が過ぎている。しかし――。
独りでに小さくなった声で「いつ行くの?」と名前が尋ねると、フレッドとジョージは揃って笑ったのだった。
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