13
この日、名前達は初めての飛行訓練が待っていた。晴れてこそいないが、雨は降っていないし、風も殆ど無いので箒に乗るにはちょうど良い日だろう。金曜の午後は授業が無いので、本当ならずっと湖に居られたのに……と思わないでもなかったが、名前もやはり箒に乗るのは楽しみだった。三時過ぎ、名前達ハッフルパフ生は一緒に校庭へと向かった。途中、レイブンクローの一年生の集団ともかち合ったので、一緒に向かうことになった。飛行訓練はハッフルパフとレイブンクローの合同なのだ。
校庭の向こう端、指定された場所に着くと(恐らく、寮対抗のクィディッチに使う競技場が隣にあった)、人数分の箒が二列、地面に並べられていた。アーニー・マクミランが寮毎に並ぶことを提案し、名前達は何となくその通りにした。やがて担当のマダム・フーチがやってきて、特に挨拶をする事もなく生徒達に指示を出した。
「右手を箒の上に翳し、『上がれ』と言う」
皆口々に「上がれ!」と言った。当然、名前もその通りにした。歴代の生徒達に使い古された箒はぼろぼろで、今にもばらばらになりそうだったが、名前が言うと箒はすぐさま飛び上がって右手に収まった。何だ、案外簡単だ。
しかしながら、周りを見渡すと、一度で飛び上がった箒はほんの数本だった。例のアーニーも一度で成功させたうちの一人だ。名前は何となく彼が安堵しているように見えたが、彼が此方を見る前に慌てて目を逸らした。ジャスティンはあれだけ不安がっていたくせに二度目の「上がれ」で成功させていたし(名前と目が合うと、「馬よりずっと簡単ですね」と肩を竦めてみせた)、他の皆も大抵数回試せば箒を掴めていた。問題はハンナだった。
ハンナは何度も「上がれ」と言っていたが、箒は転がるばかりだった。名前とジャスティンは「落ち着いて」とか「ゆっくりやればできますよ」と声を掛けたが、あまり効果はない。マダム・フーチがぐずぐずせず怖がらずに命令しなさいと注意したが、ハンナはますます緊張してしまったようだった。
マダムが他の生徒の所に注意に行った際、名前が耳打ちした。
「大丈夫、もし落ちたらあたしが受け止めてあげるから」
ハンナが恐々と此方を見るので、名前はウィンクした。
「あ、上がれ!」再びハンナが言った。
流れ星がすっと浮かび上がり、ハンナの手に収まった。
「やった! 私、できたわ!」
「凄いじゃん」
名前はそう言って笑ったし、ジャスティンは小さく拍手していた。
全員が箒を手にした後、箒の正しい乗り方や、柄の握り方を指導された。それから、実際に飛んでみることになった。
「私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って下さい。そうすると飛び上がることができます。この箒は旧型ですから、基本的な機構しか組み込まれていません。宙へ浮くことはできますが、高度は出ませんし、スピードもさほど出ませんからそのつもりで。二メートルくらい浮上したら、前屈みになって下降してください。その時他の生徒と接触しないよう注意すること」
笛の合図で皆地面を蹴った。ただジャンプしただけの生徒も居たが、名前のようにきちんと飛び上がれた生徒も居る。
どうやら箒の柄を上下左右に動かすことで、上昇と下降、方向転換ができるようだった。クッション魔法が掛かっているのでお尻は痛くないが、その魔法も薄れていてクッションというより敷物みたいだったし、ちょっとの風でふらふらするので慣れるまで少々コツが必要だった。名前はマダムの指示通り、二メートルほどの高さまで浮かんだ後、ゆっくり地面に降りた。
やはりと言えば良いのか、ハンナは飛び上がれないでいるようだった。彼女は親の箒に乗ったことがあると言っていたが、殆ど初心者同然のように見えた。もしかすると乗っただけで飛んでいないか、親と一緒に飛んだのかもしれないな、と、名前はそんな風に思った。
「上手ね……」
隣に戻った名前に、ハンナが言った。他の上手な生徒は、飛び上がれない生徒達にマダムが指導しているのを良い事に、まだ地上に戻っていなかった。
「一度乗ったら案外平気かもよ。地面を蹴ったら、箒の柄を地面と水平にして、落ち着いたらちょっとだけ上に向けてみて。そしたら上に上がるから。ちゃんと握ってればぐらぐらしないし、大丈夫だよ。一緒にゆっくりやってみよ?」
名前が誘うと彼女は小さく頷いて、一緒に地面を蹴った。今度はハンナも箒で飛べたようだった。じわじわではあるが、ゆっくりと上昇していく。名前も彼女と並んで空を飛んだ。二メートルほどの高さになると、ハンナは自然と止まったが、指示された高さに到達したからではなく、これ以上の上昇が怖かったからのようだった。
「高所恐怖症だった?」
「そういうわけじゃ、な、ないけど……」ハンナはごくりと生唾を飲み込んだ。
これ以上飛んでいると、本当に落ちてしまうかもしれない。名前は素知らぬ顔で「降りよ」と告げてハンナを見た。
「ど、どうやって降りるの?」
「柄をさっきと逆で、下向きにするんだよ。多分、ちょっと前屈みになった方がやりやす――待って、ハンナ早い!」
早く地上に降りたい一心だったのか、ハンナは先ほど上昇していた時と違い、柄をかなり下方向へ押してしまっていた。箒は下降を始めるが、当然柄の角度に従って、早いスピードで降りていく。名前は何も考えないまま杖を取り出し、「アレスト・モメンタム!」と叫んだ。
生徒達の間で悲鳴が上がっていたが、激突は免れたようだった。名前は脈打っていた心臓が急速に落ち着いていくのを直に感じていた。――本当に良かった、ハンナを助けることができて。夏、何もする事がなくて家にあった呪文の本を片っ端から読んでいたのが役に立った。
名前が地面に降り立つと、ハンナの箒は地面から三十センチほどのところでぴたりと止まっていた。ハンナ自身は箒が急に止まった反動から、地べたへ投げ出されていたが、少なくとも怪我はなさそうだ。ハンナは真っ青になっていた。もっとも、駆け寄ってきたマダム・フーチも、彼女と同じくらい青くなっていたが。
ハンナに怪我が無い事を確認し、立ち上がらせると、マダム・フーチは「名字!」と名前に向き直った。名前はかなりぎくっとした。
「箒に片手で乗って良いとは指導していませんが、的確な判断でした。貴方がアボットを止めていなければ、この子は大怪我をしていたでしょう。貴方の判断力と、怪我が無かった幸運に対し、ハッフルパフに二十点差し上げましょう」
「あ、ありがとうございます……?」
マダム・フーチは鷹のように鋭い目を細め、一瞬微笑みような表情を見せると、それから元のように厳しい顔付きに戻り、「さあ、まだ飛行に成功していない人は居ますか」と生徒達の指導へ向かった。
ジャスティンと、それからアーニーが地面に降り立ち、ハンナに駆け寄ってきた。
「ハンナ、大丈夫かい?」
アーニーからの問いかけに、ハンナはこくりと頷いてみせた。衝撃で口が利けないらしい。
「怪我が無くて良かったよ。それに、名字が正しい呪文を知っててラッキーだった」
「ねえアーニー、さっきの見た?」
名前が話し掛けると、アーニーは不思議そうに名前に目を向けた。「二十点だって!」
「ああ、見てたけど……」
「だからさ、言ってたじゃんか」名前は焦れた。「先週あたしが貴方が貰った点を失くしちゃったでしょ? だから、今のがその分!」
取り戻したよと言うと、アーニーは気分を害したとでも言うように眉を顰め、それから列の向こう端に行ってしまった。「今のも駄目なの?」と名前がぼやくと、ジャスティンは困ったように「色々複雑なんですよ」と言った。
ハンナが何も言わないので、まだ恐怖が残っているんだろうかと彼女を見ると、驚いたことにハンナはやや不貞腐れているようだった。
「貴方、受け止めるって言ったのに」
名前はひょいと眉を上げた。勿論名前が下に居たなら受け止めに行ったかもしれないが、ハンナが落ちかけた時名前はまだ上空に居たし、そもそも言葉の綾のようなものじゃないか。しかしながら、拗ねてしまったハンナは暫く口を利いてくれなかった。
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