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他学年の授業に紛れてはいけないという規則は無いので、当然一年生の名前が三年生の魔法生物飼育学の授業に紛れていたところで問題ない――それが名前の理屈だ。実際のところ、生徒達に紛れ込むのには成功したし、ケトルバーン先生も名前に気付いていなかったので、半分は成功していた。初回授業はナールについて学ぶと言っており、名前はかなりわくわくしていた。ナールはハリネズミによく似た北ヨーロッパやアメリカに棲む生き物だ。“飼育”学だし、屋外だし、現物を連れてきて講義をするのかもしれない。
禁じられた森に踏み込もうとしていた時は、校則を破っているという自覚があったのでハラハラしていたが、今度は正真正銘期待感だけでドキドキしていた。しかし、名前の企みは長くは続かなかった。ハッフルパフの三年生の一人が、紛れ込んでいる名前に気付き、「君、一年生の子だろう?」と言ったからだ。当然ケトルバーンも名前を見たし、名前が小柄な三年生でなく、入学したばかりの一年生だと気が付いた。
ホグワーツ指定のローブは、外見で所属寮が解るようになっている。名前はまだ自分のローブを他寮のローブに変身させられないし、他寮のローブを借りてこられるような行動力もない。従ってハッフルパフ生で、体格的にもあまり差が目立たない三年生の授業を選んだのだが(もちろん、空いている金曜の午後がたまたまハッフルパフの三年生の授業だったのが第一の理由ではあるが)、裏目に出てしまった。
昼食の時に会った三年生は、これから初めての授業だと言っていた。その為、見慣れない顔が混ざっていても教師にはばれない筈だった。名前がうっかりしていたのは、ケトルバーンがこのクラスを受け持つのが初めてだというだけで、生徒同士は全員顔見知りだということだ。そりゃ、知らない生徒が混ざっていればばれる筈だ。スリザリンとレイブンクローとか、別の寮のクラスに混ざる方がまだましだったかもしれない。
幸いだったのは、ちゃっかり授業を受けようとしていた一年生を、ケトルバーンが面白がって咎めなかったことだ。先生は近くを通った森番に手を振り、名前を放り出させたのだった。
気が付くと、校庭の端から、中ほどまで連れて来られていた。名前は森に入ろうとしたのではないし、他クラスの授業にこっそり紛れ込むことは違反ではないと言い張った。
「そりゃ屁理屈ってもんだ。おまえさん、今からそんな調子じゃ、ろくな大人になれんぞ」
そう言ったハグリッドは、かなり胡乱げな目で名前を見ていた。
仕方なく、名前は禁じられた森から離れるように歩き出した(ハグリッドは長い間名前を見ていたようだった。一度何となく後ろを振り返った時、まだ彼の姿が見えたのだ)。行く当ても無かったが、追い出されてしまったので仕方がない。濡れた石に時折バランスを崩しながら、名前は暫く歩き続けた。
城があっちに見えていて、背後に森が広がっている――そうやって方角を確認しつつも適当に歩いていると、段々と遠くに水面が見えて来た。湖だ。禁じられた森に入ってはいけないが、黒い湖に入ってはいけないという規則は無い。もちろん、泳ぐのが得意なわけじゃないので本当に入る気はさらさら無い。
湖岸まで来ると、名前が思っていたよりもかなり大きな湖であることに気が付いた。こちら側から向こう岸まで、クィディッチのグラウンドほどあるのではないだろうか。ホグワーツに来た日は城にばかり気を取られていたので、どのくらいの大きさかなんて少しも気にしていなかった。湖と言うより、もはや小さめの海だ。
雨が降っているので湖面は暗く、小さく波立っている。水底は当然見えないが、これは雨空の下だからだけではなく、実際にこの湖の水深が深いからだろう。プリンピーが居たりしないかな、等と思いながら(当然、こんな浅瀬にプリンピーが居る筈はない)、波打ち際ぎりぎりに立ち、足元を見つめるも、プリンピーどころか小魚一匹居なかった。
クラッブは、地下にあるスリザリン寮から湖を見る事ができ、水魔や、大イカが見えたと言っていた。水辺ならどこにでも居る水魔は兎も角、大イカというのはどういう事だろう。
波打っている湖は、ともすると小さな海のようにも見える。
しかし、湖は湖だ。淡水で、イカが棲める余地は無い筈だ。城が陰になっていて見えないが、この湖から川が流れていて、海から遡上してきたのだろうか。湖の際を辿っていけば、川が見つかるだろうか。しかし湖は禁じられた森と隣接している箇所があるし、湖岸が全て歩けるとも限らない。それとも――。
名前が考え込んでいると、湖面に鈍く黄色に光るものが二つ見えた。目玉だ。
湖面から顔を半分だけ覗かせたその水中人は、小さいヒトの女の子がきゃあきゃあ騒いでいるのを、怪訝な面持ちで眺めていた。基本的に水中人は魔法使いを嫌っており、ホグワーツ魔法魔術学校の校庭にある湖に棲んでいてもそれは同じだ。此方の言い分を聞く気のあるダンブルドアだけは、幾分か他のヒトとは違うような気がしているものの、それでも積極的に魔法使いに関わろうという水中人は居なかった。
彼がこうしてごく浅瀬に現れたのは、目の前に居る女の子がまた湖に落ちそうになったら面倒だと思ったからだ。刺激の少ない毎日の中、一年の内の、ある夏の一夜にだけ現れる小舟の大軍を、下から仰ぎ見るのが彼の趣味だった。小舟に乗った小さいヒト達は荘厳な城に目を奪われるのが常で、湖面に目をやる新入生は殆ど居ない。ホグワーツに入学した日、名前・名字は湖を渡る最中に小舟から転げ落ちそうになっていた。そして、それを人知れず押し戻してやったのが彼だった。
そんな事は露知らず、名前は自身の目の前に居る水中人に話し掛け続けた。ちなみに、名前は小舟から落ちそうになった自分を押し返した者の正体を、クラッブから聞いた大イカだと思っている。
「――だからやっぱり、この湖、底の方で海と繋がってるんだと思う! 違う?」
名前はそう言葉を結び、水中人の反応を待った。少し離れたところに居る、彼とも彼女とも解らない亜人は水中人だ。世界中の海や川、湖に居て、人間とは違う文化社会を持っているらしい。スリザリン寮に所属できなかった今、この湖に何の魔法生物が生息しているかを知るには、そこに住んでいる水中人に聞くのが一番手っ取り早い方法だ。もちろん、学校の湖に水中人が居るなんて思っていなかったのだが。
水中人は名前の様子を観察していたようだった。一瞬、黄色い歯が映る。言葉が通じていないのだろうなと思ったが、彼――彼女かもしれない――は水掻きのついた手を水面に出し、ゆっくりと小刻みに折り曲げるような動作をした。有り体に言うなら手招きをしている、ように見えなくもない。
名前は少し考えた。名前は既に湖の水際ぎりぎりに立っていて、これ以上水中人に近付こうとすれば、完全に水の中に入らなければならない。恐らく湖底はまだ浅いようだし、彼の近くまで行っても足は着くだろうが、進んで着衣水泳はしたくない。しかしもしも仮に名前の英語が通じているのなら、返答をしてくれる気なのかもしれない。水中人はヒトを食べないと言われている――。
ほんの少しの逡巡の末、名前は湖に向かってざぶざぶと歩き出した。防水の魔法をまだ習っていないので、靴は当然ずぶ濡れだ。小石が多いようで、砂に足を取られることはなかった。水が膝辺りまで来ると、流石に名前も慎重に歩き始める。まだ湖底は見えているが、いきなり深くなるかもしれない。ふと水中人に目をやると、何か奇妙なものでも見るように、黄色の目を歪めていた。
「ねえ、さっき――」名前が言った。
さっき、何か言おうとしてくれてた!?と、名前は聞こうとしていた。それが途中で終わったのは、いきなり後ろから誰かに腕を掴まれたからだ。振り返ると、走ってきたからだろう、息を荒げた男の子が立っている。「だ、大丈夫かい!?」
先ほど、名前を見て一年生ではないかと言った、ハッフルパフの三年生だった。どうやら結構陸地から離れていたようで、岸辺には数人の生徒達が心配そうに此方を見ていた。飼育学の授業が終わったのだろう。城への帰り掛け、一年生が湖に入っているのを見て、慌てて駆け寄ってくれたようだった。
名前は自分の腕を掴んだままの三年生を見た。「あっちにマーピープルが居たんだよ!」
「……えっ、何だい、マーピープル……?」
黒髪の男の子は、ぽかんとした顔で名前を見返した。
名前は水中人を振り返ったが、既に姿を消していたようだった。三年生に促されるまま、二人で岸辺に戻る。三年生達は口々に名前に何をしていたんだ、大丈夫だったかと声を掛けたが、名前が「マーピープルが居た」と主張するとそれぞれ困ったように見交わした。溺れそうになった名前が幻覚を見たのだと思っているのかもしれないし、学校の湖に亜人が棲んでいる事が信じられないのかもしれなかった。
「あの人、何か言ってるみたいだった。口が動いてるのが見えたもん」
「マーピープルは独自の言語体系を確立している。もちろん、だからと言って人と積極的に関わろうとはしないがね」
いつの間にか、ケトルバーン先生が近くに来ていた。先生が杖を振ると、名前のローブも靴も靴下も一瞬で乾いた。男の子のも同様だ。「彼らの言語を何というか、知ってる人は居るかね」
生徒達がいきなり現れた教授に困惑している中、名前を連れ戻した男の子がただ一人「マーミッシュ語……?」と呟いた。
「その通り。ハッフルパフに五点」ケトルバーンが言った。
名前達が驚いていると、先生は「マーミッシュは人間には聞き取りづらいが、慣れれば方言の違いも聞き取れるようになるそうだ。此処の湖に居る彼らが話すのは英語らしいしな」と誰に向けて言うでもなく口にし、それから義足を引きずるようにして去っていった。名前達はぽかんとして、その背を見送った。
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