5
次の日、名前は窓から差し込んでくる光で目を覚ました。昨晩は気が付かなかったが、談話室だけでなく、寝室にも小さな採光窓がいくつか設けられていた。それが本当の窓なのか、魔法で作られているものなのかはいまいち判別がつかない。身支度を整えていると他の女の子達も起きてきて、隣のベッドだった子が一緒に行きたいというので名前は暫く待つことにした。
名前が見たところ、隣のベッドの女の子、ハンナ・アボットは、少しばかりおっちょこちょいな女の子だった。お気に入りの靴下を家に忘れたと言って探し回るし、何も無い所で二度躓いていた。もしかするとおっちょこちょいだと言うより、心配事が沢山あって、それに気を取られがちなのかもしれなかった。
「だって、教室への行き方なんて解らないわ!」ハンナが言った。「大広間へ行くのだって不安なのに……」
「誰かに聞けば良いよ、これだけ生徒が居るんだし。それでなくても肖像画とか、ゴーストとかホグワーツには沢山居るよ。それに大広間は昨日行ったじゃん、寮を出て階段を上って、もう一回玄関のところの階段を昇れば良いだけだよ」
ハンナはショックを受けたような顔をした。
寝室を出て談話室へ行くと、嬉しい事にジャスティンが居た。もっとも彼の場合は一人で行くのが不安だからではなく、単純に名前を待っていてくれたかららしい。簡単な自己紹介の後(ジャスティンとはホグワーツ特急で出会ったのだと言うと、ハンナは再び吃驚したような顔をした)、名前達は三人で大広間へ向かった。
全寮制のホグワーツは、決められた時間内に大広間で食事をすることになっている。ごく一部の時間帯以外は出入り自由だという大広間は、昨日の歓迎会の時よりかなり人数が少なかったものの、それでも不思議と活気があった。やはり、天井に空が広がっているおかげかもしれない。生憎と曇天だったが、解放感は桁違いだ。
広がっているのが曇り空なあたり、どうやら魔法で任意の天気を映しているのではなく、実際の空をそのまま映し出しているらしい。雨が降っている時はどうなるのだろうと一瞬不安になったが、流石に雨粒まで降ってくる事はないだろう。
昨日のような華やかさはないが、それでも美味しそうな朝食がいくつも並んでいた。どうやら好きなものを選んで食べて良いという事らしい。
名前達がハッフルパフの長テーブルに並んで座ると、いつの間にか飲み物が近くにあったり、追加のベーコンが湯気を立てて並んでいたりした。ジャスティンはそういった魔法の数々に感激していたが、魔法族出身の名前も、魔法界育ちのハンナも、かなり新鮮な気持ちだった。テーブル自体に魔法が掛かっているのか何なのか、理屈はさっぱり解らないが、かなり高度な魔法が掛かっていることは間違いない。
どんな授業なのか、やっぱりベーコンはもう少し焼いた方が美味しい、変身術が一番難しいという噂は本当なのか、料理のバリエーションはマグルも魔法族もあまり変わらない、森に居るかもしれない危険な生物は何だと思うか等々、名前達が話していた時、にわかに辺りが騒がしくなった。見れば、向こうの長テーブルの辺りに小さく人だかりができている。確か、グリフィンドール寮のテーブルだ。
暫くして、生き残った男の子が居るらしい、とささめき声が流れてくる。
「生き残った男の子?」ジャスティンが言った。
「ハリー・ポッターよ」
ハンナはそう答えつつも、ハリーが気になっている様子だった。背筋を伸ばし、体をあちこちに傾けたりして、何とか彼を見ようと奮闘している。グリフィンドールの長テーブルに人が多いのも、彼がグリフィンドール寮に組み分けられたからなのだろう。組み分けの儀式の時、一番の大歓声が上がったのも、ハリー・ポッターがグリフィンドールに決まった時だった。
「ハリー・ポッターというと、昨日、君の友達が探していた人じゃありませんでしたか?」
「あー、うん。そうかも」名前が答えた。
ジャスティンは頷きつつも、少し振り返っただけで別段ハリーに興味があるわけではないらしい。名前も同様だ。そしてそんな二人を、信じられないとでもいうような顔でハンナが見ている。「ジャスティンは解るけど、貴方は魔法界で育ったんでしょう? どうして気にならないの?」
「そりゃ、ドラゴンの炎から生き残った男の子だって言うなら、あたしだってすっごく興味もあるけど」
名前の返事を聞いたハンナは、名前が冗談を言ったのかどうか判断がつかないようだった。ちなみに冗談ではなく、名前はハリー・ポッターに特に興味が無いし、ドラゴンの吹いた炎に焼かれて生き残った男の子にならかなり興味がある。
「その『生き残った男の子』というのは何なんですか? 何から生き残ったんです?」
「何からですって……!?」
今度こそショックを受けて固まってしまったハンナに、ジャスティンは困ったような顔で名前を見た。名前もオートミールから羽を取り除く作業を中断し、一度ハンナを見てから、仕方なく「つまり、例のあの人から」と口にした。
「例の……えっ?」
「名前……!」
ハンナは小さく悲鳴を上げたが、尋常でない彼女の怖がりように、ジャスティンはますます困ってしまったようだった。名前は彼でも解るように、「悪い魔法使いが居て、彼がポッターを狙ったんだけど、彼はどうしてか悪い魔法使いをやっつけて生き残ったの」と付け足した。単純明快な説明にしたつもりだったが、ジャスティンはいまいちぴんと来ていないようだ。
「ええと……それはそれほど凄い事なんですか? 魔法使いならきっと容易に死んだりしない、そうでしょう?」
「……ジャスティン、死んだ人が生き返る事は無いのよ。魔法界でもね」ハンナが言った。
それから彼女はポッターが凄いのは今までに誰もした事がない事を、それも赤ん坊の時にしてみせた事なのだと言ったり、例のあの人は強大な魔法使いで何人もの魔法使いを簡単に倒してきたのだと言ったりした。ジャスティンは真剣に聞いていたし、名前達が言っていることを理解してもいるようだったが、彼の「誰もその人の名前を知らないのですか?」という質問には思わず二人共閉口してしまった。そんな名前達を見て、ジャスティンは困ったような顔をする。
「僕、何か失礼を……?」
「そうじゃないの、そうじゃないんだけど……名前……」
ハンナが困ったように此方を見るので、名前は小さく溜息をつき、ジャスティンに向けて手招きをした。不思議そうな顔をする彼のローブを引っ張って、仕方なく耳元に口を寄せる。
「いい? 一回しか言わないからね」名前は息をひそめ、ひそひそ声で言った。あんまり小さかったのか、ジャスティンは身じろぎして体を更に寄せる。「あの人の名前は――ヴォルデモート」
名前が身を起こすと、ジャスティンは怪訝そうに名前とハンナを見ていた。「その、ヴォル――」
ハンナが「ジャスティン……!」と声にならない悲鳴を上げ、彼が言葉を紡ぐ前に名前はジャスティンの口を勢いよく塞いだ。辺りが一瞬、しんと静まり返る。殆ど叩かれるように塞がれた口が痛かったのか、周りの生徒達がぎくっとしたのを感じたのか、それとも名前とハンナの表情を見てなのか、名前が手を離すと、ジャスティンは小さく「すみません」と言った。
「あたしもごめん。でも解って欲しいんだけど、その名前は禁句なの」
ジャスティンは小さく頷いた。周囲の生徒達はざわめきを取り戻していたが、そこはかとない居心地の悪さが周囲を漂っていた。
朝食後、ハンナはハリー・ポッターを見に行こうと熱心に誘ったが、名前は断ったし、ジャスティンも難色を示した。もっとも名前の場合はジャスティンと違い、ハリーのことを慮ったわけではなく、本当に興味が無いからだったが。
「別に良いけど、あたし達は先に授業に行ってるよ」
「そんな! 一人でなんて嫌よ……!」
ハンナは残念がっている様子だったが、名前が歩き出すと慌ててその後ろをついてきた。かなり名残惜しそうにしている。ハンナは「ハリー・ポッターに興味が無いなんて」とか、「生き残った男の子なのに」とか色々言っていたが、結局のところ、彼女は残念がる必要は無かった。名前達ハッフルパフの一年生は薬草学が最初の授業で、薬草学はグリフィンドールとの合同授業だったからだ。
薬草学は城の裏手にある温室で行われることになっていた。温室が開くまでの間、生徒達はこぞってハリーを見た。名前も少しだけ覗き見たが、ちょっとばかり痩せぎすな、普通の男の子にしか見えなかった。
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