3
延々と続く田園風景にほとほと嫌気が差してきた頃、コンパートメントの扉が開いた。髪がふさふさだが利発そうな女の子と、べそをかいている丸顔の男の子だ。突然の来訪に名前はぎょっとしたが、ジャスティンも同じだったらしい。目をぱちぱちさせながら、やってきた二人を見ている。
「ヒキガエルを見なかった? ネビル――」女の子が言った。恐らく、隣で泣きそうになっている男の子の事だろう。「――の蛙が居なくなってしまったの」
名前は首を横に振ったし、ジャスティンは「見ていません」と礼儀正しく答えた。
「よければ僕も手伝いますよ。二人で探すより効率が良い筈だ」
「あら、どうもありがとう。でも大丈夫よ、私たち最後尾の車両から見てきて、後は前へ向かうだけだもの」
迷子のヒキガエルを見掛けたら捕まえておくと約束すると、二人は出て行った。おそらく次のコンパートメントに向かうのだろう。女の子は断ったが、乗る前に見たホグワーツ特急はかなり長かったし、そんな中で逃げてしまった一匹のヒキガエルを探すのはかなり大変なんじゃないだろうか。もっとも名前はジャスティンのように、手伝おうかなんて台詞をすぐに言えないけれど。
今からでもやっぱり手伝うと言いに行くべきだろうかと名前が悩んでいた時、再びコンパートメントの扉が開き、そんな考えは吹っ飛んでしまった。「ビンセント!」
「よう、名前」
――ビンセント・クラッブ、名前のたった一人の幼馴染だ。そして、唯一の魔法族の友達でもあった。彼は名前の父親の親友の息子で、名前とは赤ん坊の頃からの付き合いだ。ここ数年は会えていなかったが、名前は時々手紙を書いたし(クラッブはあまり手紙を書くのが好きじゃなかったので、殆ど一方的だったが)、会わなくなってからも、クリスマスのプレゼントは必ず贈り合っている。
クラッブは元々背が高かったが、最後に会った時から更に伸びたようだった。名前は立ち上がってハグするのに、殆ど飛び付かなければならなかったし、クラッブは名前に抱き着かれてもびくともしなかった。
「う、ワー、久しぶり! ホグワーツが始まったら探しに行こうと思ってたんだよ! まさか列車の中で会えると思わなかった!」
「ああ、俺も、お前が居るって思ってなかった」
「……あたしを探しにきたんじゃないの!?」
名前が怒ったふりをすると、クラッブは面白そうに笑った。彼は元々こういうところがある――名前がわんわん喚くと、今のように意地悪く笑うのだ。しかし、クラッブは昔名前が彼の大声に怖がって泣いてしまってからごく静かに話すようになったところや、かなりの食いしん坊なのに名前だけにはお菓子をちょっぴり分けてくれるところが凄く好きだった。
クラッブの目線が名前の背後に向いたことで、名前は今まで一緒に居た友達の存在を思い出した。
「彼、ジャスティンだよ。ロンドンから一緒だったの。あたし達と同じ新入生なんだって」
「ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーです、よろしく」
ジャスティンは立ち上がり、にこやかに微笑んだ。そしてクラッブに右手を差し出した。クラッブは、握手に応じなかった。
ほんの一、二秒も無い時間だった。名前が固まっていると、クラッブの後ろから咳払いが聞こえてきて、名前は漸くクラッブが一人ではなかった事に気が付いた。名前がクラッブの横から後ろを見ようとするのと同時に、クラッブも半身だけ片側に寄せた。二人の男の子が立っていた。何となく見覚えのある金髪の男の子と、クラッブよりは背が低いが、それでも同じくらい大柄な男の子だ。
「気付かなくてごめんね、ビンセントのお友達?」
ドラコ・マルフォイの顔がひくりと痙攣した時、名前はやっとダイアゴン横丁で会った男の子だと思い出した。
マルフォイが簡単な挨拶をして(クラッブは名前とマルフォイが既に顔を合わせていた事に驚いていたようだった)、もう一人の男の子はグレゴリー・ゴイルだと名乗った。クラッブはマルフォイとは以前からの知り合いで、ゴイルとは列車で出会ったらしい。やはり二人共、ジャスティンを居ないものとして扱っているようだった。
「――そういえば、ビンセント達はどこか行く途中だったの? あたしに会いに来たわけじゃないみたいだし」
名前がわざと刺々しく付け足すと、クラッブはにやっと笑った。
「ああ、そうだった、俺達、ハリー・ポッターを探しに来たんだ」
「ハリー・ポッター?」名前は興味を持ったような聞き返し方をした。「この列車に乗ってるの?」
「どうもそうらしい。見たか?」
「ううん」
名前が首を振ると、クラッブは納得したような顔をした。それから彼はポッター探しに戻るのだろう、コンパートメントから出ようとしたが、思い出したように名前を振り返った。「いいか、名前、ハッフルパフなんかに入ったら二度と喋ってやらないぞ」
「いじわる! でも、あたしきっとスリザリンだよ。パパもそうだし、ママの家はみーんなスリザリンだったらしいし。じゃ、また学校でね」
三人の男の子達は今度こそ出て行った。名前は彼らが次の車両に行くまで手を振ってから、ゆっくりコンパートメントの扉を閉め、席に戻った。
ジャスティンが、どうぞ何も気付いていませんように――と、名前は浅はかにも祈ったが、やはりそういうわけにはいかなかった。暫く経ってから話し始めた彼の声に、言いようのないやるせなさが滲んでいたのは明らかだった。
「僕が一緒に居たことで、貴方に嫌な思いをさせてしまったんじゃありませんか?」ジャスティンが言った。
「――え!?」
名前は驚いてジャスティンを見た。彼は元のように穏やかな顔付きをしていたが、それでいてどことなく悲しそうでもある。きっと名前の考え過ぎではないし、そもそも彼にそんな事を言わせてしまった事が恥ずかしかった。
――名前が真っ先に謝るべきだったのだ。
友達に無礼を詫びさせる事もできず、立ち去らせるくらいしかできないのであれば。
彼らの態度はひどくあからさまというわけでは無かった。しかし、魔法界について何も知らないジャスティンでさえ、こうして傷つけてしまった。
クラッブはマグルが嫌いだ。いや、彼がそうだとはっきり知っているわけではなかったし、名前達の間でそういう話題になる事はなかったので、純血主義なのだろうと思っていたという方が正確だ。名前が純血だったし、二人が顔を合わせるのは決まって彼の家だったので、マグルや混血の魔法族、もちろんマグル出身の魔法族とも関わることは無かった。クラッブただ一人であれば、正直なところ彼が鈍感でないとは言えないし、握手を拒否したのではなく反応が遅れただけだと言い張れたかもしれないが、他の二人がそれを許さなかった。彼らはジャスティンが完璧にマグルの服装を着こなしているというだけで、ああいう対応をしたのだ。
クラッブが差別的な言動をしているのを見たのは、今日が初めてだった。しかし当然、それは言い訳になる筈も無い。「まさか! 友達にそんな事思わないよ!」
「あたしの方こそごめんなさい、あの、あたしの友達が失礼な態度を取っちゃって」
「……いいえ、名前が謝る必要はありませんよ」
ジャスティンは、ただ優しくそう言った。
「スリザリンというのは寮の名でしたよね」ジャスティンが出し抜けに言った。「確か、四つあるという」
自分の情けなさに恥じ入っていた名前は、「うん、そうだよ」と短く言った。
何故ホグワーツの事について知っているのかと思えば、ホグワーツについて説明された時に教わったのだそうだ。恐らく、彼のようにそれまで魔法界に触れた事が無い生徒には、教員が魔法学校について直接案内に行くのだろう。でなければ、入学案内の手紙を受け取ったとして、たちの悪い悪戯にしか思わないかもしれない。
「教えてくれた先生も、親と同じ寮になるのは珍しいことではないと仰っていました。けれど僕の両親は魔法使いでも魔女でもありませんから、どこの寮にも入れなかったらどうしようかと思ってしまって」
「……それじゃ、親が魔法族じゃない子は、どこにも入れなくなっちゃうよ」
ジャスティンがあんまり哀れっぽい声を出すので、名前は思わず少しだけ笑ってしまった。「そういう人はいっぱい居る筈だし、気にしなくっても大丈夫」
名前は寮について簡単に説明した――どういう由来でその名前になったのかや、どういう人が輩出されているかなど――が、にこにこと微笑みながら相槌を打つジャスティンが、どうやら名前に気を遣って寮の話を始めたのだと察しないわけにはいかなかった。傷付いたのはジャスティンで、傷付けたのは名前達の筈なのにだ。
「僕、君と同じ寮になれたら良いなって思うんです」と小さく言ったジャスティンに、名前は何と言えば良いのか解らなくなってしまった。
「――スリザリンにだって偉大な人は居るよ、マーリンとかね」
「マーリンって、アーサー王伝説の……?」
『アーサー王伝説』のマーリンがあのマーリンと同一人物なのか、名前にははっきりとは解らなかったが、ジャスティンは少しだけ元気になったようだった。やがて二人はホグワーツのローブに着替え、終点に着くと、アナウンスに従って荷物はそのままに、駅のホームへと降り立った。それから名前達新入生は大柄な男性の指示に従って小道を歩き、巨大な湖を小舟で渡り、ホグワーツ城へと足を踏み入れた。
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