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 グリンゴッツ魔法銀行が何者かの侵入を許してからぴったり一か月。待ち望んだ九月がとうとうやってきた。名前はホグワーツが楽しみ過ぎて、毎日指折り数えて九月がくるのを待っていたほどだった。教科書は全て読んでしまったし、それどころか、繰り返し何度も読んでしまった(もっともそれは、名前が勉強が好きというわけではなく、家に引き籠っていると他にやる事が無いだけだ)。入学祝いとして買ってもらったメンフクロウ(デメテルと名付けた)は、名前が構い過ぎたせいか、近頃では名前から距離を取るようになっていた。
 ロンドンのキングズ・クロスからホグワーツ行の専用列車が出る事になっていて、名前達新入生や、在校生もその列車に乗ってホグワーツへ行くことになっていた。名前は一人で駅まで行けると言い張ったが、キングズリーは良しとしなかった。
「一緒に行こう。もちろん、君を駅で待たせる事にはなってしまうが……」
「待つのは良いけど……わたし、一人でも行けるよ。電車に乗った事だってあるし」
私が一緒に行きたいんだ」
 にこりと笑ってみせたキングズリーに、名前はそれ以上食い下がるのをやめた。どうやって行くのかと尋ねれば、彼は少し考えた様子を見せた後、地下鉄で行こうと言った。名前も頷いた。
 九月一日は日曜だったが、キングズリーには仕事が入っていた。何でも、ホグワーツ特急出発に合わせ、魔法省はキングズ・クロス駅に何人もの役人を配置するらしい。確かにマグルの交通機関に大勢の魔法使いが押し寄せるのだから、トラブルも多く起きる筈だ。忘却術士が何人も必要になるだろうし、それまで魔法のまの字も知らなかった生徒も居る筈で、彼らを手助けする人員も必要だろう。なお、キングズリーは直接キングズ・クロスに配置されるわけではなく、その皺寄せが闇祓い局にも来るという事らしい。

 そんなわけで、名前はかなり早い時間に9と4分の3番線に赴いた。ホグワーツ特急は11時発だったが、まだ二時間以上ある。ホームには紅色の蒸気機関車が停まっていたが、聊か早すぎるからだろう、生徒やその家族はまだ殆ど居なかった。どこに乗っても良いという事だったので(首席や監督生といった一部の優秀な生徒は、専用の場所があるそうだ)、名前は手近なコンパートメントに乗り込んだ。キングズリーは手紙を書くよう念を押した上、出勤時間ぎりぎりになるまで粘ってから、小さな破裂音を立てて姿くらまししていった。
 名付け親が居なくなった後、名前は小さく溜息をついた。一人きりで過ごすのも退屈だが、ずっと彼と一緒に居るのもやや疲れる。プラットホームやホグワーツ特急を見て回りたい気持ちもあったが、デメテルや荷物を放りっぱなしにしておくわけにもいかず、また早起きをしたこともあって、名前はいつしか寝てしまった。目が覚めたのは、辺りがざわめき始めた頃だった。
 控えめなノックの音がして、名前は通路へ目を向けた。戸口に見知らぬ男の子が立っている。髪の毛がカールしていて、歳は名前と同じか、一つ上くらいだろうか。彼が「ご一緒して良いですか? あまり席が空いていなくて」と遠慮がちに言うので、名前は二つ返事で頷いた。
 男の子はジャスティン・フィンチ‐フレッチリーと名乗った。やはり新入生だったらしい。
「あたし、名前。名前・名字」
「よろしく」とジャスティンが答えた。綺麗な発音だ。
「僕、驚きました。まさかキングズ・クロス駅から、魔法使いの学校に行けるなんて……」
「家族に魔法使いは居ないの? 魔女も?」
 ジャスティンは頷いた。彼の服装が完璧なマグルそのものだったので、そうではないかと思っていたが、どうやら本当にマグル生まれだったらしい。名前のようにマグルに囲まれて育った人間でも、ひとたびローブを脱げば、そこはかとなく違和感のようなものが出てしまうものだ。彼にはそれが無く、本物のマグルに見えた。
 ジャスティンは、自分の身の回りに起きた不思議な事――気が付いたら違う場所に居たり、割れたマグカップが次の瞬間には元通りになっていたり――が魔法だとは思わなかったと言い、逆に名前の方が驚いてしまった。
 しかし考えてみれば、魔法族の名前からすれば魔法は生まれた時から存在するものだが、ジャスティンのようなマグル生まれの人間からすれば予想外の出来事なのだ。彼が「魔法使いになれて良かったです」と笑ったことは、ひょっとすると当然の事なのかもしれない。

 やがて出発時刻になり、ホグワーツ特急は緩やかに走り出した。街並みが流れていく中、蒸気機関車で魔法の学校に行くのも変な感じだ、と言ったジャスティンに、名前は『魔法史』に載っていたギャンボルの偉業を話して聞かせようかとも思ったが、結局やめた。
 彼は何にでも新鮮に驚いてくれるし、この様子だと名前が何を言っても頭から信じてしまうだろう。ジョークを言って相手をからかうのは好きだったが、魔法界に入ったばかりの子を相手にそれをするのは、正直あまり親切とは言えない。
 魔法使いの友達ができるってこんな感じなんだな、と、名前はしみじみした。名前の両親は魔法使いだったが、魔法族の友達は今までに一人しか居なかったのだ。その友達とは、もう三年以上会っていない。名前がホグワーツの入学を楽しみにしていたのも、同い年の彼とまた会えるからというのも理由の一つだ。
 昼頃、車内販売のカートが二人の居るコンパートメントを訪ねてきた。魔女が押すカートには簡単な軽食、それから魔法界のお菓子が山ほど乗せられていて、名前はその中から蛙チョコレートだけいくつか購入した。どうやら見知ったお菓子は無かったようで、ジャスティンは名前が勧めた蛙チョコと、ドルーブルの風船ガムを買った。
 動くチョコは当然マグルの世界には無く、名前が取り出したチョコレートが逃げ出そうとしているのを、ジャスティンは恐々とした表情で眺めていた。本物の蛙だと思っているのだろうか。名前がチョコに齧り付いて足をもぎ取ると、彼の顔はますます強張った。
「魔法で動かしてるんだよ、当然だけど」
「……ああ、そうですよね」かなりホッとした様子だ。
「パッケージを開けると逃げちゃうから、開けたらすぐに食べた方が良いよ。あたし、昔このチョコレートを何匹か部屋に逃がしちゃって、部屋をチョコだらけにしてパパに怒られた事があるの」
 ジャスティンの笑顔が固まった。

 記念すべき人生初の蛙チョコレートにジャスティンが苦戦しているのを見ながら、名前は自分が食べた蛙チョコの外装からカードを取り出した。蛙チョコカードに書かれているのは、ウッドクロフトのヘンギストだ。ホグワーツの出身で、ホグズミード村を作ったらしい。つまり、名前の先輩だ。
 視線を感じて顔を上げると、ジャスティンが不思議そうに名前を見ていた。なかなか蛙チョコを食べるコツが掴めなかったのか、口元が汚れている。
「このチョコにはおまけが付いてるんだよ。有名な魔法使いと魔女のカード。欲しかったらあげる。そっちのにもついてるよ」
 ジャスティンは手と口周りをハンカチで丁寧に拭いてから、慎重に蛙チョコのカードを取り出し始めた(チョコレートと同じように、カードが逃げ回ると思ったのかもしれない)。「……ニュートいもり?」

「えっ!」名前が思わず声を出すと、ジャスティンは驚いたように名前を見た。名前がそのまま向かいの席から隣に移動してくると、彼はますます身を強張らせる。「ニュート・スキャマンダーだ! 大当たりだよ!」
 一緒になって覗き込んだカードには、ニュート・スキャマンダーの名が刻まれていた。虫取り網を持ち、逃げ回ろうとするニフラーを何とか捕まえている。
「『幻の動物とその生息地』、読まなかった? あれを書いた人だよ」
「教科書のですか?」
 名前が頷くと、ジャスティンは一応目を通しはしたと答えた。熱心に読み込んだというわけではないらしい。名前だって、暇を持て余していなければ教科書なんてわざわざ読まないので、彼の気持ちはよく解る。しかし『幻の動物とその生息地』だけは別だ。
 名前はニュート・スキャマンダーの大ファンだった。幼い頃に彼の本を読んで以来、名前は魔法生物に夢中になった。ファンレターを書いたことだってある。スキャマンダーのおかげで沢山の魔法生物について研究が進んだんだよと熱を込めて言ったが、名前の情熱はあまり伝わらなかったようだった。ジャスティンはただ、「有名な人なんですね」とだけ言った。
「イモリ……魔法使いの名前って変わってるんですね」
「世界一の魔法生物学者にぴったりの名前でしょ?」
 得意げに名前が言えば、彼はくすくすと笑った。
 ジャスティンがカードを譲ってくれると言うので、名前も自分が引いたカードを彼と交換する事にした。スキャマンダーの蛙チョコカードは持っているが、彼の厚意自体が嬉しかったのだ。ジャスティンは気の良い男の子で、名前は彼とすぐに仲良くなった。
コンパートメントに再び来訪者が現れたのは、それから三時間ほど経ってからだった。

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