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 鈍く光る銀色のライオンが「グリンゴッツ!」と吼え立ててから二分後、名前・名字は一人ダイアゴン横丁に取り残されていた。物珍しそうに名前達を――というよりも、突然現れた銀色の喋るライオンをと言う方が正しいが――見ていた買い物客達も既に興味を失くし、各々の用事に戻っている。ライオンもいつの間にか消えてしまったし、名前は本当に見知らぬ場所で一人きりだった。
 一振りで深紅のローブに着替えた名付け親は、「漏れ鍋に居なさい」とだけ言い残し、姿をくらましたが、名前は彼の言葉に素直に従う気にはなれなかった。多分だが、彼は暫く戻ってこないだろう。
 別に、名前は自分の名付け親――キングズリー・シャックルボルトの事が嫌いなわけではない。自分を引き取ってくれた事には感謝しているし、名前も名前なりに彼の事を愛しているからこそ、普段は聞き分けの良い名付け子で居るつもりだ。勝手に一人で出かけたりしないし、学用品を買いに来るのが今日になったのも、キングズリーが直近で取れた休みがこの日だったからこそ、一週間近くじっとしていたのだ。七月に入り、名前が毎日代り映えの無い毎日を送っていたのだって、もとを正せば彼の言い付けを守っているからだ。
 名前の父親は警戒心が強く、名前に家の中に居るよう強要した(二人暮らしだったので、幼児を一人で外出させるわけにもいかない為、当然といえば当然なのだが)。が、キングズリーは別の意味で心配性だ。どうやら名前がよその場所で迷惑を掛けると思っているようで、彼は今でも名前が外出するのをあまり良しとしなかった。名前は今年、十一歳になる。面倒を見てもらっている手前、無暗に逆らうことはしなかったが、それでもこの一か月はかなり退屈だった。
 夏はいつも、名前に憂鬱をもたらした。
 多忙な名付け親がやっと取れた休みが今日であり、そしてその非番の闇祓いが呼び出されたという事は、まず間違いなく面倒ごとが起きている。まさかあのライオンがグリンゴッツからで、先ほど金庫からお金を下した時に忘れ物をしたので取りに来てくださいだとか、そういう連絡だったわけではないだろう。名前はそこまで楽観的なわけじゃないし、こういう事は実の所初めてでもない。キングズリーはおそらく暫く戻ってこない。しかもひょっとすると、数日単位で。
 幸いにも名前は名前宛に届いた手紙をちゃんと持っていたし、財布は下ろしたばかりのガリオンでぱんぱんになっていた。名前は自分だけで学用品を揃えるべく、魔法の店が立ち並ぶ通りを歩き出した。要は、ホグワーツ魔法魔術学校への入学を、名前はかなり楽しみにしていたのだ。父や母(そして、名付け親も)が通ったホグワーツ、楽しみでないわけがない。


 名前が始めに立ち寄ったのは、オリバンダーと書かれた古い店だった。ショーウィンドウには魔法の杖が一本だけ飾られている。恐らく杖専門の店だ。初めての自分の杖なのだから、やはり一番最初に欲しい。名前は厳めしい扉をぎいと軋ませながら店に入った。
 店の奥の方でチリンと小さくベルが鳴り、名前の来店を知らせた。もっとも今回に限っては、その必要は無かったかもしれない。ちょうど、一人の男の子が杖を選んでいるところだったからだ。名前と同じくらいの年頃の、プラチナブロンドの男の子だ。
 男の子の前には小柄な老人が立っていて(おそらく、彼がオリバンダーだ)、彼らの傍には細身の女性がひっそりと佇んでいる。おそらく男の子の母親だろう。男の子が若干くたびれた様子で杖を振ろうとすると、老人は彼が手にしていた杖を立ちどころに取り上げた。相性が良くなかったらしい。「ふむ……では此方はいかがかな。白樺にユニコーンのたてがみ、29センチ、良質で従順。よくしなる……――お嬢さん、そこの椅子に座って待っていて下さいな」
 名前は少しだけ驚いた。オリバンダーは男の子が杖を振っているのをずっと見ていたので、名前に気付いていないと思っていたからだ。男の子とその母親は老人の言葉で名前の存在を認識したようで、かなりどっきりした様子だった。男の子の薄いグレーの瞳と目が合ったので、名前は気にしないでという意味を込めて愛想笑いを浮かべておいた。上手く通じたかは解らなかったが、男の子はさっさとオリバンダーに向き直り、渡される杖を振るという作業に戻った。
 男の子の杖はそれからちょうど七本目の、サンザシの杖に決まった。

 彼の母親が代金を支払っている時、男の子が名前に話し掛けてきた。どうやら名前が来る前から杖選びをしていて、漸く人心地ついたという事らしい。名前が来店してからも既に十分以上経っていたし、一生ものの杖を選ぶだけあって、かなりの時間が掛かったのだろう。
「待たせて悪かったね」男の子が言った。
 かなり気取った話し方だ。少なくとも名前の周りにはこんな喋り方をする友達は居なかったし、何なら言葉通り謝っているわけでもないのかもしれない。馬鹿にされている気は否めなかったが、名前は気にしなかった。店の中をあちこち見回しているのは退屈しなかった。
 君もホグワーツかい、と尋ねられ、うんと頷く。男の子は満足したようにふふんと鼻を鳴らした。
「あたし、名前。名前・名字。貴方は?」
「僕はドラコ――」
「ドラコ?」
 名前が途中で口を挟んでしまったことで、当然ではあるが、男の子は少しばかり気を悪くしたらしい。元々青白い顔をしていたが、頬が微かにピンクがかっている。彼はムッとした表情を隠さないまま、「僕の名前がおかしいかい?」と言った。心無しか言葉の端がつんけんしている。
「ごめんなさい、気を悪くさせるつもりじゃなかったんだけど」名前は謝った。「けど、ドラコって、つまりドラゴンって意味でしょ? すっごく最高な名前じゃない?」
 男の子は――ドラコは、ぽかんとした様子だった。

 名前は物心ついた時からドラゴンが大好きだった。魔法生物の図鑑はドラゴンのページが擦り切れるほど見たし、いつか本物を見てみたいとも思っていた。魔法生物は何でも好きだが、中でもドラゴンが一番好きだ。“ドラコ”なんて、最高過ぎる名前だ。
 ドラコは魔法族の生まれのようだし、魔法族の男の子がドラゴンに夢中になるのは道理なので、名前の気持ちも解ってくれるだろうが、彼が呆気に取られている様子から、このまま話し続けるのはまずいと判断した。ドラゴンじゃなくて、箒に夢中になるタイプだったかもしれない。
 名前が「星の名前でしょ、良い名前だね」と付け足すと、ドラコは暫く間を空けてから「ああ」とか何とか言った。間もなく彼の母親が戻ってきて、二人は連れ立って店を出ていった。


 ハシバミにドラゴンの心臓の琴線を杖芯とした24センチの杖、それが名前の杖になった。曲がったところのない、それでいて微かに見覚えがある杖だ。
 杖選びにかなり時間が掛かったような気がしたが、オリバンダーは手慣れていて、疲れた素振り一つ見せなかった。先ほどの男の子も長丁場だったようだし、杖選びが長引くのはよくある事なのかもしれない。むしろ、名前の方が杖を振るのに飽きていたぐらいだった。「きっとその杖が気に入るじゃろうと思った。君のお母さんと同じ杖材じゃ」
「……ママと?」
「左様。もちろん木は違うがね。ハシバミにユニコーンのたてがみ、26センチ。繊細で、良い杖じゃった、本当に」
 オリバンダーが悲しげにそう呟くので、名前は居た堪れない気持ちになってしまった。
 名前の母親が使っていた杖は、名前が小さい頃に父親から譲り受けていた。癇癪が収まらなかった名前に、これはお母さんの杖だから大事にしなさいと父が手渡したのだ。それ以来、幼少の名前はその杖をおもちゃ代わりにしていた。魔力が枯渇し、ただの棒切れ同然のそれを。
 母親の杖は、今でも名前の部屋の机の引き出しに大事にしまってある。自分の杖に見覚えがあるのも当然だ。同じハシバミの杖なのだから。
 親子で同じ材質の杖を使うのはよくある事なのかと尋ねると、オリバンダーは必ずしもそうではないと言った。
「魔法使いや魔女が杖を選ぶのではなく、杖が魔法使いや魔女を選ぶのじゃ。そしてハシバミは、自身の感情を制御できる人間を好む」オリバンダーが言った。「そうした気質が、あなた方に共通しているのじゃろう。恐らくじゃが」
 ――名前は、自身の母親の事を殆ど何も知らない。
 名前の父親は口数が少なく、母親の事についてもあまり喋らなかったし、キングズリーは父親の知り合いなので、名前の母親とは元々あまり交流が無かった。母親の両親、つまり名前の母方の祖父母は健在らしいのだが、今は殆ど付き合いが無い。名前にとっての母親は、父のアルバムに残された数枚の写真でしかなかった。
 おそらくだが、オリバンダーも母親と懇意にしていたというわけではなく、杖を買いに来た客として記憶していただけなのだろう。最後の一言も、名前があんまり自分を見るものだから思わず付け加えたという様子だった。しかし――それでも名前は、母親と似ているからだろうと言われて嬉しかった。仲の良さそうな親子連れを見た後では、尚更。

 オリバンダーの店を出てからも、名前は買い物を続けた。十一歳の女の子が一人で買い物をしている事に、ダイアゴン横丁の店主達はそれぞれ不安そうにしたが、名前は気にしなかった。大鍋や教科書等、必要な物は全て揃えたし、荷物は自宅へ届けてくれるよう頼めば何とかなった。その後漏れ鍋へ行き、暫く待たせてもらったが、ぐったりした様子のキングズリーが戻ってきたのは、それから三時間後の事だった。

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