それで済むなら安いもの

 生徒で込み合う大食堂の中、ラギーは見知った背中を見付けた。上手い具合にちょうど隣の席が空いている。「隣、良いッスか」と尋ねながらも、ラギーは既にトレー片手に椅子を引いていた。ラギーを見上げた男子生徒、名前・名字は返事をしようとして、自分の口の中に食物が詰まっていることを思い出したのだろう、こくりと頷くだけに留めた。
 席に着くと、隣からばりっと小気味の良い音がする。
「名前くん、今日は何にしたんスか?」
「バターチキンカレー」名前が言った。「美味いよ」
「カレー? スカラビアで散々食べてるでしょ?」
 名前はラギーと違い、スカラビア寮生だ。スカラビア寮には寮長を始め、熱砂の国の出身者が多く在籍している。
 ナイトレイブンカレッジでは、朝夕の食事は寮で摂ることが推奨されていて、寮での食事は生徒のリクエストが反映されることも多いため、国民食であるカレーは食べる機会も多い筈だ。
 カレーって言ったら熱砂の定番料理じゃないッスかとラギーが言えば、名前は「うーん」と微妙な顔をした。
「スカラビアは、実はあんまりカレー出ないんだよね、何でか解んないけど。それにこれは薔薇の王国のやつだからさ。ラギーは?」
「オレもおんなじッス」
 シシシと笑うラギーに、名前も低く笑った。
 此処の食堂はいくつかのメニューの中から好きなものを選ぶビュッフェ形式になっている。その中で、バターチキンカレーは評判自体は悪くないものの、実は食べ盛りの男子高生には少し量が足りなかったりもするピーキーなメニューだ。手羽元が骨ごと煮込まれているおかげで、皿によそうとどうしても可食部が減ってしまうのだ。確かに骨ごと調理した方が旨味はよく出るのだが、肉は多ければ多い方が良い――そんな男子高校生には、ちょっと物足りないのだ。
 その点、ハイエナの獣人であるラギーにとっては、あまり関係が無かった。生まれ持っての強靭な顎のおかげで、鶏の骨くらいは簡単に噛み砕けるし、何なら学園のカレーは肉がほろほろになるまでしっかり煮込まれている為、スナック感覚で食べることができる。学園に入学し、多少舌は肥えたものの、スラムで生まれ育ったラギーは食べられる範囲は常人のそれより遥かに広いし、何なら傷んでなければそれだけで上々だ。チキンの骨くらいなんてことはなく、全て美味しく頂いてしまう。ラギーにとって、骨ごと入っている煮込み料理は、ある種ボーナスステージだ。
 名前も同じ理由でカレーを選んだのだろう。ラギーより先に食べていた名前の皿に骨の残骸が無いのは、彼も骨まで食べるからだ。名前はサメの人魚だ。

 闇の鏡は魂の資質によって寮を振り分けているらしい。しかし、全員が全員適性によって選ばれているわけではないのだろうというのが、ラギーの考えだ。サバナクローにだって、不屈の精神に見合わない人間は多く居る。そして適性が無い場合は、グレート・セブンの内、誰に一番親しみを抱くかによって選ばれているのではないだろうか。サバナクローに獣人が多いのは百獣の王に親しみを抱くからなのだろうし、スカラビアに熱砂の国の出身が多いのは、熱砂出身とされる砂漠の魔術師に一番馴染みがあるからだろう。そして当然、人魚は同じ人魚である海の魔女に最も親近感を抱く。
 名前・名字は学園に何人か在籍しているらしい人魚の中でも、珍しくスカラビア寮に所属する生徒だった。全員がどうだかは知らないが、少なくとも二年生の中では唯一彼だけだ。彼以外の人魚、リーチ兄弟やアズールは、三人共がオクタヴィネルに在籍している。もっともそれは名前が海の魔女に親しみを抱いていないというわけではなく、彼が熟慮の精神に則っているからなのだろう。
 名前は他の生徒に挑発されてもそれに乗ることはないし、言い返すにしてもかなり丁寧に言葉を選んでいる。スラムだったら食いっぱぐれるだろうな、と半ば心配になってしまうような慎重さだ。しかし、頭の回転が遅いというわけでは決してなく、諍いになり得ない場面ではすぐに適当な返事を返すことができた。

 ラギーはハイエナの獣人、そして名前はサメの人魚。それぞれ程度は違えど、掃除屋などと揶揄される種族だ。食事を残さず食べるのは至極当たり前のことで、そこに疑問を抱いたことはないし、恥ずかしいと思ったこともない。腹に溜まるし、食費だって浮かせられる。ただ、骨まで食べるラギーのことを貧乏性と言ったりする輩も居るし、異様な目で見られるのが面倒になることもある。しかし名前の隣に居れば、そういう馬鹿馬鹿しいことを少しも気にしないでいることができる。
 貧乏舌なんて言うけど、それって人より美味しいの幅が広いってことじゃん。つまりそれって幸せの度合いも広いってことじゃんね。と、そう言いながら笑ったのは名前だった。

 暫く二人で――ばりばりと音を立てながら――カレーを食べていたが、ラギーはふと口にした。「そういや、カリムくんとは一緒じゃないんスか?」
 ばり、と最後の一本に齧りついた名前は、それを豪快に噛み千切ってから、「寮長達の急な招集があったんだって」と言った。ラギーは「へー」と相槌を打ちながらも、自寮の寮長が苛ついている様子を想像しないではいられなかった。レオナさん、キレてないと良いけど。
 カリム・アルアジーム、スカラビア寮の寮長であり、ラギーと同じ二年生の生徒だ。そして、熱砂の大富豪の息子。名前は昼食時、いつもカリムと一緒に居る。カリムの従者なのだというジャミルが一息つけるのは、名前が一緒に食卓についている時だけだ。
 名前はいつもカリムと同じものを食べている。つまり毒見だ。
 毒殺、なんてラギーにとってはひどく現実味がなく、浮世離れした事柄だった。しかし他ならぬカリム自身がその事について言及したこともあるし、カリムが何かを食べる時は大皿料理か、周りの人間も同じものを食べている時と決まっているので、少なくとも彼にとっては現実なのだろう。
 もっとも毒見と言っても、名前の場合は嗅覚が獣人並みに鋭いサメの人魚の特性を生かし、毒の検知に一役買っているだけなのだが(なお、ジャミルも同じ考えであるとは限らないが、明らかに見えている地雷なのでラギーは触れないことにしている)。
「にしても、家族間の毒殺なんて、世界が違い過ぎるッスね」
「そう?」
 ラギーの小さなぼやきに、名前が返事をした。指についた脂を舐め取る。ラギーが自分の皿からチキンを一本取り分けると、名前は嬉しそうに受け取った。
「そんなに変なことじゃないと思うけどな、俺は」
「変なことじゃないって……家族ってのは所謂群れなわけじゃないッスか。群れなら仲間同士助け合わなきゃ。それが普通ッス」
「陸の人間らしい考えだな」名前が低く笑った。
「俺らは違うよラギー。だって、自分以外は全部餌だもん。俺だって生まれてくる前何人もキョウダイを殺したし、それが普通だよ。別にカリムのとこが特別おかしいわけじゃない」
 此方を見た名前は、別段変わった様子もなかった。
 ――陸の上に住む人間と、海の中に住む人魚とは、その考え方が違う場合が多々ある。家族間の在り方も、そんな違いの一つだ。それらは度々陸海の諍いを産み落とし、本来の名前であれば、そういった争いの種になるようなことは口にしない筈だった。名前がこうして思っていることを素直に口に出すのは、ラギーの前だけだ。もっとも、彼がその事に気付いているかは解らないが。
 ――ラギーは少しも気が付かなかった。自分の尾が小さく揺れ動いていることに。
「自分以外は、ねえ……」
「そうだよ。仲間内での助け合いなんて考えられない。ラギーも、あんまり俺に油断してると、骨までペロッと食べちゃうかもよ」
 どうやら冗談を言ったつもりだったようで、名前は小さく笑い出した。勝手に笑っている名前を見ながら、ラギーは「オレは名前くんの事も、家族、みたいに思ってるんスけどねえ……」と小さく呟いた。

 名前が急に黙り込んだことで、ラギーも漸く自分が何を言ったのか理解した。『家族』は、明らかに言い過ぎだ。
 いくら獣人と人魚とで家族についての認識が違うとはいえ、ある程度は共通している部分もある。せめて『仲間』とか、『群れ』とか、そういう言い方をすべきだった。例え、事実そう思っていたとしても。
 何も言わなくなった名前が本当に怖い。
「――ちょっと、何とか言って下さいよ! これじゃ、オレが恥ずかしい事言ったみたいな空気になってるじゃないッスか!」
 冗談めかして言ってみたものの、名前は黙り込んだままだ。
「………………」
「名前くん!」

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