ポイントカードはお持ちですか?

 名前は家から最寄りのコンビニではなく、少し離れたコンビニでアルバイトをしている。その店舗までは片道20分で、正直バイト先として選ぶにはそこそこの距離だ。この辺りは大都会というわけではないが、野原や田んぼに囲まれた田舎というわけでもない為、近所には他にもいくつかのコンビニがある。時折他の店舗へ応援へ行くことはあるが、基本的には片道20分掛けて毎日このコンビニに通っている。名前がこの店舗を選んだのは、この店の周辺が一番治安が良いからだ。
 超常が日常になり、ヒーローという職が当たり前になった昨今、安全についても超常以前とは一切合切変化している。現代日本で安全な地域の条件といえば、ヒーロー事務所が点在することだった。
 名前がバイトしているコンビニの周辺には、複数のヒーロー事務所がある。それも一軒や二軒どころの話ではなく、きちんと数えたわけではないが、恐らく両の手で足りないほどだった筈だ。ヒーローの拠点であるヒーロー事務所は、それだけで抑止力になり得るのだ。もっとも、治安が悪い地域だからこそ、それだけのヒーロー事務所があるのだという考え方もあるが、それは同時に卵と鶏のどちらが先かという話でもある。
 いずれにせよ、この辺りは犯罪率も低いし、その為、例え若い女性が深夜に片道20分の距離で通おうとも何ら心配はない。名前がそのコンビニをバイト先に選んだのは、さほど無い選択肢ではないのだ――嘘である。

 自動ドアのセンサーと連動し、お決まりのメロディが流れて来店を知らせる。名前は半ば自動で「いらっしゃいませ」と口にした。「いらっしゃいませ」というより、「いらっしゃいませ〜」とか、「ぃらっしゃいませえ」の方が近いかもしれない。まあ反射で出る挨拶などそんなものだろう。他店舗に客として訪れた時、新たな来客の気配に思わず反応してしまうのは、名前だけではない筈だ。
 確かに、この店は治安の良い土地に建っている。敵の襲撃事件は聞かないし、むしろ交通事故の方が多いくらいだ。しかし、それを理由にこの店でのバイトを決めたわけではない。
 レジに男子高生がやってきて、いくつかの商品を並べた。名前は一つ一つバーコードを読み取る。「ポイントカードはお持ちですか?」
「持ってないです」
「袋はお付けしますか」
「いらないす」
「お会計527円です。530円からお預かりします」
 名前が一円玉を三枚渡すと、男子高生は「ありがとうございます」と言って店から出ていった。
 この店は某高校の最寄りのコンビニで、時間帯によっては客層の六割が高校生になる事もある。偏差値が高いからか、もしくは有名校だからか、彼らは皆行儀が良く、何なら他の年代の客よりずっと優良顧客だ。国立雄英高等学校――ヒーロー科がある高校では日本一、らしい。
 家から通える距離で、夜勤になっても安心して通勤できる。おまけに客層も良いとなれば、選ばない理由は無い。しかし何より、オフの日のヒーローを垣間見れないかな〜という僅かなすけべ心が、名前がこの店をアルバイト先に選んだ理由だった。


 ヒーロー事務所がいくつかあり、ヒーロー科の高校が近くにあるとなれば(しかも、雄英は講師全員がヒーローをしている)、上手い具合にヒーローのオフショを拝めるかもしれない。いや、流石に盗撮するつもりはないのだが、そういう一場面を見られるかもしれないという好奇心はある。
 どうやら名前と同じような無作法者も結構居るようで、名前がバイトしているこの店舗は、いつでもアルバイトが充足している。この春、オールマイトが雄英の講師になったと発表された時には、募集を掛けていないのにバイト希望の電話が鳴り止まなかったくらいだ。――ヒーローのオフの姿を見たところで、その人がヒーローであると気付けるのは、よっぽど解りやすい時に限られるということに気付いたのは、かなり後になってからだ。

 ところで、会計を担当している時に、店員は客の顔など殆ど見ない。余所見をしていればレジの操作を誤るし、そんな事でクレームをつけられたらたまったものではないからだ。見ることがあるとすれば、年配の客が絶対買わないだろう高額なプリペイドカードを持ってきた時や、会計が先に済んでしまい手持無沙汰になった時くらいだろう。
 この時の客は目薬を一つ買っただけだったし、電子決済だったので、名前が姿を見ることはなかった。その声を聴くまでは。
 会計を済ませた後、釣銭を入れる為の青いトレーに、新しく発行されたレシートを置く。買った商品は一つきりだったが、次回来店時のクーポンが印字されている為少し長い。カードでの支払いだったので釣銭は無く、トレーに置かれるのはその白いレシートだけだ。「サンキュー」

 男はレシートをおざなりに財布に入れ、そのまま立ち去ろうとしたようだったが、名前が勢い良く顔を上げたことで、少々面食らったようだった。長い金髪を括った、しいて言えばお洒落な格好をした若い男だった。背も高く足も長い。同じ学校に通っていればついつい目で追ってしまうかもしれないが、それ以外はなんて事はない、どこにでも居るような普通の男だ。
 しかし、名前は聞き間違えなかった。何せ、毎週聞いているのだ。名前はもうずっと、金曜のシフトには入っていない。

 自分を見上げたまま固まったコンビニ店員に、男は困ってしまったようだった。そりゃそうだ。名前だって困っている。いつも応援してます、毎週ラジオ聞いてます、救けてくれてありがとう。どれもこれも、まともな声にならなかった。レジに他の客が並んでいなくて良かったと本当に思う。
 何とか捻り出した「……此方こそ」という言葉に、男は――プレゼント・マイクは小さく噴き出した。それ以来、金髪のお兄さんがこのコンビニによく買い出しに来るようになるのはまた別の話。

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