エプロンのゆくえ

 デスクに着くなり、隣の席のサワロ先生が「名前先生!」と嬉しそうな声を上げた。ガーディだったら尻尾を振っているところだろうな、と不躾なことを考えながら、名前は「どうしました?」と普段通りの調子で尋ねる。
「これ、これを見てください」
「はあ」
 サワロ先生がこれと示したのは、彼のスマホロトムだった。飾り気の無いシンプルなスマホカバーをつけたそれは、名前の元へやってくると、彼の指示に従い何やら画面に表示させた。どうやら画像らしい。
「――ああ、可愛いですね」
「そうでしょう!」
「ご自分で作られたんですか?」
 先生はこくりと頷いた。ずいぶんと得意げな顔だ。
 ロトムのディスプレイに映っていたのは、一枚のエプロンの写真だった。腰に巻くタイプのエプロンで、パープルの布地にはこれまた可愛らしいアップリケが散りばめられている。
 サワロ先生は家庭科の担当だ。名前としては、そのアップリケを自分で付けたんですかと聞いたつもりだったのだが、もしかするとエプロン自体も彼の手作りなのかもしれなかった。彼にかかればエプロンの縫製など造作も無いことだろう。
「いいですね。授業で使われるんですか?」
「む、いや、そういうわけではないのだ」
 スマホロトムを下げたサワロ先生は、どこか悲しげな顔をしている。「ワガハイがこんなに愛らしいエプロンを着けていれば、生徒達はがっかりするだろう?」
 そんなことはないと思いますけどね、と名前は呟いた。

 サワロ先生は、俗に言う少女趣味だ。ファンシーなものが好きだし、食べ物だって甘いものが好きだ。しかし彼自身は非常に男性的な容姿をしていて、そのギャップに困惑されることも多いのだという。生徒達の中にも彼の事をとても男らしい先生だと思っている者も多く居るようで、彼はその幻想を壊さないよう気を遣っているのだ。
 また、彼はそうして気を遣い過ぎるあまり、逆に自分の嗜好を抑えて行動してしまうことも多々あるらしかった。以前は生徒の目を気にして、食堂で甘いサンドウィッチが買えず、渋い表情でサンドウィッチを齧っていた。見るに見かねて名前が自分のものと交換してやったことも何度かある。今回のエプロンも、その関係に違いなかった。
 ちなみに、前に体を鍛えるのを控えればもう少しましになるのではと言ったことがあるのだが、彼が言うには特に何をしているわけでもないそうで閉口した覚えがある。恐らく家庭科を極める為には筋肉が必要なのだろう、よく知らないが。
「先生、ご結婚されてましたっけ」名前が言った。
「む……」
「奥さんからのプレゼントってことにされたらどうです? それなら使ってても不思議じゃないでしょう、そのデザインでも」
「そういうわけにも……」
 決まりが悪そうな顔をしている先生に、名前は小さく溜息をつく。勿体無いですねと口にすると、サワロ先生は家用にするから大丈夫だと頷いた。
「そういう意味じゃないんですけどね」
「うん?」
 結局、プリンのアップリケがあしらわれた紫のエプロンは、サワロ先生の自宅でねむる事になるのだろう。
 次の日、たまたま学生食堂で見掛けたサワロ先生は、やはり普段通りの服装をしていた。何だかなと思いつつ、彼がまたろくに食べられもしないおとなのサンドを買っていたので、名前はピーナッツバターサンドを手に彼の元へと向かう。差し上げたエプロン着けてくれないんですかと笑いながら声を掛けると、サワロ先生は目を白黒させた。


 助け舟を出したら退散するつもりだったのに、是非一緒にというサワロ先生の誘いを断り切れず、結局名前は彼と二人で地学準備室でサンドウィッチをつまんでいる。
 半ば名前専用の部屋となっている此処は、普段誰かを招くことなど殆どない。粗末な丸椅子に大柄なサワロ先生が座っているのは、何とも珍妙な図だ。「名前先生はいつもお一人で食事を?」
 名前はサワロ先生の方を振り返った。いくつか買ったサンドウィッチの一つを、傍らのワルビアルに手渡す。口を噤んでいる名前の言わんとしたことが解ったのか、サワロ先生は「ポケモンちゃんを除いて」と付け足した。
「そうですねえ……」
 名前は少々言葉に迷った。「最初は食堂とかでも食べてたんですけどね、私がこの子らを連れてると色々言われるからそれが面倒で。一人で食べるようになりましたね専ら」
「勿体無い、名前先生と共に食事できれば生徒達だって喜ぶでしょうに」
「………………」
「何故チーゴのみを食べたような顔を?」
「何ででしょうねえ」名前が小さく呟く。

 はみ出したチョリソーを指でつまむと、サワロ先生は「行儀が悪い」と渋い顔をしたが、名前は気にしなかった(指に付いたソースを舐め取ると、「名前先生……!」と怒ったように言うので流石にやめた)。
 昨日先生が勿体無いと言ったのも、名前先生もワガハイが生徒に素を見せないことに対してだったんですなと呟くように言われ、名前は今度こそ本当にチーゴのみを食べた気分になってしまった。もっとも、チーゴなんて食べたことがないのだが。
「……言っておきますけど、私は別に生徒の幻想壊すのが忍びないからとかじゃないですからね」
「何です?」
「毎回色々言われるのが面倒なだけ、先生みたいに、別に生徒の為を思ってとかじゃないです」
 名前の言葉に、サワロ先生は眉根を寄せた。
「それでも、ポケモンちゃんの事を思ってだということに違いはないのでは?」
 ――やっぱり、彼をこの部屋に入れたのは失敗だった。
 相棒のワルビアルがどこか胡乱げな眼差しで自分を見ている気がしてならない。フェアリータイプにあくタイプやドラゴンタイプのポケモンが弱いのは、その純真さに毒気を抜かれてしまうからだという俗説を聞いたことがあるが、あながち間違ってはいないんじゃなかろうか。名前は彼が困っていると手を貸してやらないと気がすまないし、お願いされると何でも叶えたくなってしまう。――恋愛は惚れた方が負け、本当にそうだ。
「……だとしても、事情が違うんですよ、サワロ先生とは」
 名前の言う“事情”が何なのか、サワロ先生にはさっぱり理解できないらしかったが、「あのエプロン、本当は学校でも着ていたかったのだ」と照れたようにはにかむ彼を見られただけで良しとすべきだろう。名前には甘すぎるサンドウィッチを頬張っているサワロ先生を眺めながら、名前もサンドの残りを口に放り込んだ。

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