アカデミーには地獄のように階段の他にも、いくつかの名物があった。生徒達を出迎える膨大な蔵書、自由な校風に裏付けされた自由な課外授業。学生食堂は美味しいと評判だし、保健室の先生はいつも優しく迎えてくれる。そして今アオイの目の前で繰り広げられている舌戦も、そんな名物の内の一つだ。
「高威力のわざを当てて勝った時の高揚感といったら、他ではなかなか味わうことができませんからね。それに誰だって自分のポケモンの格好良さに気付くことができますし」
「名前先生がロマンを求めるタイプなのは知っているけれど、それを生徒達に押し付けるのはいかがなものかしら。それに技を外してしまうと、そこからのリカバリーが大変でしょう」
「ストーンエッジはきゅうしょにも当たりやすいですし、ここぞという時に大技を使うのは悪くないと思うんですけどねえ?」
「あらあら、期待値の話はしていませんよ?」
 にこにこにこにこ。数学担当のタイム先生、そして地理を教えている名前先生が、互いに面と向かって笑顔で言い争っている。あくまでポケモンバトルは確率で表せるものと考えるタイム先生と、ポケモンバトルにロマンを追い求める名前先生がこうして言い争うのは日常茶飯事で、彼らがアカデミーに赴任してから続くそれは、今ではちょっとした名物になっているそうだ。アオイにそれを教えてくれたペパーは「まああの二人、担当してるコースも違うし、なかなか見られないんだけどな」と笑っていたのだが、運が良いのか悪いのか、アオイはアカデミーの名物の内の一つを見ることができた。
 タイム先生は授業自体は少々難しいものの、穏やかで優しい先生だし、名前先生は歳は若いが教え方が上手くて朗らかな先生だ。彼女の授業を受けたからこそアオイはポケモンバトルにおけるそれぞれの相乗効果を勉強してみようと思えたのだし、彼の授業を受けたからこそ課外授業が始まったらパルデア十景を回ってみようかと思えたのだ。しかし火と油、それともドラゴンタイプとドラゴンタイプとでもいえばいいのか、二人はかなり相性が悪いらしい。ちなみに、タイム先生はいわタイプの元ジムリーダーで、名前先生はひこうタイプの元ジムリーダーだったそうだ。
 持っているポケモンのタイプって、トレーナー同士の相性にも影響するのかな。
 そんな事を考えながら、アオイは何となく二人のやり取りを眺めていた(アオイの他にも何人かの生徒が見物していたし、何ならどちらが勝つか予想し合っている生徒も居た)のだが、タイム先生が他の先生に呼ばれて職員室を出て行ったことで、今回の諍いは終了となった。
 残された名前先生にアオイが話し掛けに行ったのは、タイム先生の後姿を眺める名前先生が何となく気になったからだ。

 話し掛けると、名前先生は普段の授業の時と同じように、「どうした?」とにこやかにアオイに笑い掛けた。一年の子だったろ?と尋ねられ、驚きつつも頷けば、「そりゃ、担当したクラスの生徒の顔くらい覚えてるさ」と彼は再び笑った。先ほどの笑いとは違い、どこか面白がっているような、そんな気がする。授業で解らないところがあったかと尋ねられ、慌てて首を振る。
 タイム先生と仲が悪いんですかと尋ねれば、名前先生は初めて驚いたような顔をした。

 さっきの見てたのか、と苦笑混じりに呟く名前先生は、「まさか、そんな事あるわけないだろ」と肩を竦めてみせた。
「そもそもタイム先生のこと、嫌いになる奴の方がレアじゃないか? おれは授業中の先生のことは知らないけど、優しい人だし、良い人だよ。生徒がよく質問に来てるのも見かけるしな。おれだってタイム先生のことは大好きだぞ」
 名前先生はそう言ってから、アオイの視線を受けてだろう、言葉を付け足した。「そりゃ、ちょっとは喧嘩する事だってあるけどな」
「でも喧嘩するのだって、必ずしも相手のことが嫌いだからってわけじゃない。アオイもそうだろ? 友達と喧嘩する事だってあるだろうし、相棒と喧嘩することだってあるだろうけど、相手の事が嫌いってわけじゃないだろ。大人だっておんなじさ」
 ただ自分はどうしても気合や根性で乗り切ってしまう性質なので、理詰めでバトルするタイム先生とは対立してしまうのだと先生は言った。
「ま、おれはタイム先生みたいなお堅いバトルはやらない、けど……」
 そこまで言ってから、名前先生は言葉を切った。どうかしたのかと彼の顔を覗き込んでみれば――狼狽している。「おれ、もしかして先生に嫌われてる……?」


 普段の飄々とした名前先生はどこへ行ったのか、明らかに慌てている様子の先生に、大人の人もこういう風に焦るんだなと他人事のように考える。
 別に嫌われてるとかはないと思う、ないと思うけど、と、そんな事を言いながらも不安になったのだろう、最終的に、名前先生はアオイにこっそりと確認してきてくれないかと頼んだ。何を言っているのだと思わないでもなかったが、その時にはアオイ自身、好奇心に駆られてしまっていたので仕方が無い。それからアオイはアカデミー中を歩き回り、タイム先生を探した(先生はエントランスに居て、どうやら次の授業に必要な資料を探していたようだった)。
 名前先生の事が嫌いなのかと尋ねると、タイム先生は驚いたように目をぱちぱちさせた。
「アオイさん、さっき職員室に居たものね」
 そう言ってから、タイム先生はすぐに「そんなことありませんよ」と微笑んだ。ひょっとすると、この手の質問は訊かれ慣れているのかもしれない。名前先生は優しい方だし、とっても良い人よ――どこかで聞いたような台詞だと思ったが、アオイは頷いた。タイム先生が嘘をついているとは思えないし、名前先生が優しくて良い人なのは事実だからだ。
 職員室に戻り、タイム先生の言葉を伝えると、名前先生は明らかにホッとしていたようだった。

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