スパイスの行方

 どうやら名前はご機嫌斜めらしい。
 そこまでは何とか突き止めたものの、どうして彼女がへそを曲げているのかまではペパーには解らなかった。彼女とは同じ文系コース、同じクラスだったが、特に授業中に何かがあったわけでもなかったように思う。怒らせることをした覚えもないし、そもそもペパーに対して怒っているのであれば、こうしてペパーの部屋までは来ないだろう。
 名前は今、ペパーの部屋の、ペパーのベッドに横になり、生まれたてのオラチフよろしく布団にくるまっている。
 部屋にやってくるなり、名前は今の状態になった。無言で布団に潜っていくのを止めなかったペパーは、きっと褒められて然るべきだろう。
 彼女がギュッと掴んでいるおかげで、黄色の布団カバーにはかなりきつい皺が出来ていた。アカデミーは在籍する生徒の年齢層が幅広いため、各種支援も充実しているのだが、学生寮の内部に関しては基本的には自己責任だ。つまり、名前の手によってしわくちゃにされたカバーは、後でペパーが洗濯をし、アイロンを掛け、綺麗に掛け直さなければならない。プラトタウンから通っている名前には、なかなか伝わりづらい面倒臭さかもしれなかった。
 まだオラチフの方が行儀が良いな。そんなことを考えながら、小さく溜息をついてしまうのは仕方がないことだろう。

 課題が一区切りついたこともあり、ペパーは勉強道具もそのままに名前に歩み寄り、彼女の横に腰掛ける。新たに人一人分の重さを受け止めたベッドが大きく揺れても、名前は何も言わなかった。しかしながら、「どっか具合でも悪いのかよ」と問い掛ければ、「別に」と、どこか素っ気無い返事が返ってくる。
 ここら辺りは背中だろうと見当を付け、シーツを塊を撫ぜた。薄い掛け布団の舌には暖かな温もりが広がっていて、ペパーは自分でも気付かぬ内に表情を緩ませた。
「オレ、名前に何かひどいことしちゃったか?」
 出来る限り優しい声に聞こえるように、ペパーがゆっくりとそう尋ねると、黄色い布団の塊はほんの僅かに身動ぎをした。
「……別に、ペパーは何もしてないし……」
「“オレ”は?」
「………………」
 失言だと思ったのか、名前は黙り込んだ。念の為、冗談めかして「いじめられてるんか?」と尋ねれば、そうではないと返ってくる。ペパーは黄色の塊を眺めていたが、やがてゆっくりゆっくりと掛け布団をめくり始めた。中から現れたのは当然名前で、その顔は微かに赤く、額には髪が張り付いている。汗かいてるじゃんと指摘すれば、名前は口を尖らせたようだった。


 肩にかけるように布団を背負ったままペパーの隣に座った名前が口を開いたのは、それから暫く経ってからだった。「だって、私だってバトルはできるのに」
「あん?」
 そりゃ生徒会長ほどじゃないけど、と前置きをした上で、「転入生に頼らなくたって、私に言ってくれればよかったじゃん」と名前はもごもご言った。
 確かに、名前はポケモンバトルが上手かった。リーグバッジも半分以上は集めていた筈だし、ペパー達の学年の中では一、二を争うほどの実力だ。彼女なら、ヌシのポケモンもひょっとすると倒せたかもしれなかった。
 要は、ペパーが幼馴染の自分ではなく、突然現れた転入生を頼ったことが不満だったのだ。
 そんな事で拗ねてたんかとペパーは呆れたが、それが伝わってしまったのか、「だから黙ってたんだよ」と名前は小さく呟いた。「ペパーは何もしてないって言ったでしょ。私が勝手にショック受けてるだけだもん」
 言葉とは裏腹に、随分と情けない声だ。ペパーは今度こそ嘆息する。
「けど私だって、マフィティフが元気になってくれて良かったって、本当に思ってるのに……」
「あのなあ……」
 ポケモン用のベッドの横で寝そべっていたマフィティフは、一度だけペパー達の方を振り返ったが、自分が呼ばれているわけではないとすぐに察したのだろう、再び午睡へと誘われていった。その表情は柔らかく、そして穏やかだ――つい最近まで、起き上がることも出来なくなっていたとは思えないほどに。

 ひでんのスパイスを使った料理なら、もしかするとマフィティフも元気になるかもしれない。ペパーは一縷の望みを掛け、課外授業に挑んだ。五種のスパイスの内、そのどれが作用したのかは判然としないが、兎も角もマフィティフは以前のように駆け回れるようになった。
 幼い頃から共に過ごしてきた名前は、一時期塞ぎ込んでしまったペパーにずっと寄り添ってくれていたように、マフィティフのこともずっと気にしてくれていた。力を取り戻したマフィティフのことも、彼女は自分のことのように本当に喜んでくれた。
「もう子供じゃないんだし、ずっと一緒には居られないって解ってるけど」名前が言った。「私じゃ駄目だったんだなって思うと、何て言うか……ちょっと嫉妬しちゃって……」
「ちょっと?」
「……うそ。結構嫉妬した」
 ――よかったねえと名前が泣いて喜んでくれたことが、ペパーにとってどれほど掛け替えのないものだったことか。

 なあ、とペパーが話し掛ければ、今の今まで目を合わさないようにしていた名前が初めてペパーを見返した。ばつが悪そうな顔で唇を尖らせ、此方を見上げている。そういう顔をすると余計にオラチフに似ていると思うのだが、それを言えば名前はきっといつものように怒り出すのだろう。「オレだってな、好きな子にこれ以上、カッコ悪いとこ見せたくなかったんだよ」
 名前は口を閉ざしたままペパーを見詰めていたが、暫く後に「いじっぱり」と小さく言った。
「嫉妬ちゃんよりはマシだぜ」
「……そうかもね」名前は微かに笑ったようだった。
 しかしながら、「それじゃ、ペパーと転入生の友情物語ってやつ、今からたっぷり聞かせてもらおうかな」という彼女の言葉には些か棘があり、どうやら完全に機嫌を直したというわけではないようだった。
 ペパーに凭れ掛かったまま、頭を擦り付けてくる名前に、思わず「マフィティフみたいだな」と呟く。名前は割と本気で怒り始め、ペパーは彼女を抱き寄せる他に道は無かった。

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