行旅死亡人に告ぐ

※原作程度のモラルに反した描写

 公安は噂で聞いていた通り確かに給料が良かったし、福利厚生も民間の企業よりよほど充実しているようだった。特に、死亡手当がしっかり出るところが皮肉で良い。しかしながら、名前がそれまで突っ撥ねていたスカウトを今更呑んだのは、資本主義に目覚めたわけでも、有り余る有給に魅力を感じたわけでもなかった。
 あーッ!と大声を出したのは、民間から公安に移った名前のバディになった男だった。生存率を上げる為だろう、特異課では二人一組で行動するよう決められている。「煙草ダメって言ったのに!」

 名前はぷりぷりと怒っている――らしい――バディの男、暴力の魔人を眺めながら、再びフィルターに口を付ける。パトロールの最中だが、小休止に入ったところで何の問題も無い筈だ。ニコチンだらけの煙を肺に取り込んで、ようやく体を休めることができるのに、非喫煙者にはそれが解らないらしい。
 あっ、コラ!と、どうやら怒っているらしい暴力の悪魔だったが、彼の表情はマスクに覆い隠されている為読み取れない。そのマスクからは彼が暴れ出さないよう毒が出続けているとのことだ。物騒すぎる。
「体に悪いからやめなね」
「悪魔が副流煙怖がるなよ」
「オレじゃない、名前の体に悪いんだって」
「……私?」
 ペストマスクは此方を向いている。彼の声音には真剣そうな響きがあり、どうやら暴力の魔人が本当に名前の身を案じてくれているらしいことが解る。もちろん公安に飼い慣らされているとはいえ、彼は悪魔なのだから、そういう演技をしているだけかもしれないが。
 名前が再び煙草を口にし、深く息を吸い込むと、暴力の魔人は「コラーッ!」と拳を振り上げる真似をした。


 何で公安に来たんだと名前に尋ねたのは、特異4課の隊長である岸辺だった。飯行くぞ、と誘われた筈なのに、岸辺は殆ど酒しか頼まなかった。名前は一滴も飲んでいなかったのに、その呑みっぷりときたら此方が二日酔いになりそうだ。
「お前、見たとこ金目当てってわけじゃないだろう。かといって銃野郎に恨みがあるってわけでもなさそうだ」
「そんなの解らないじゃないですか」
「わかるんだよ、そういうの」
 嘘を見抜く悪魔とでも契約しているんだろうか。名前は一瞬そう考えたものの、結局その考えを放棄した。仮にそうだったとしても、名前には確かめようがないし、どうでもいいからだ。
 もう何本目とも知れない徳利に手を伸ばす岸辺を、本来は止めるべきなのだろう。明らかに呑み過ぎだし、そうでなくとも岸辺は元々中毒気味なのだから、酒は控えるべきだ。しかしながら名前はただ眺めているだけだった。

 クソッタレなことがあって、と名前が話し始めたのは、岸辺がカウンターに突っ伏した時だった。ごん、とかなり痛そうな音がしたので、もしかすると死んでいるかもしれない。
「彼氏が死んだんですよ。死体は返ってこなかった。だから公安に来たんです。そうすれば早く死ねるかなって。悪運が強い方なのか民間じゃあ今まで死ななかったけど、流石に公安ならさっさと死ねるでしょ。そしたら彼氏の死体乗っ取った悪魔とバディ組まされて、本当にクソですよ。変えて欲しいって何度も言ったんですけど、人が足りないし、それに暴力の魔人は私と組んでるとやけに大人しいっていうし。岸辺さんならどうにかできませんか」
「人足りないから無理だ」
「それだけしっかり喋れるならお一人で帰れますよね。嫌ですよ、担いでいくの。――あ、すみませんお勘定お願いします」
 タクシーは呼んでやったものの、結局名前は岸辺を担いで家まで送ることになったし、まだ暫くの間は恋人だった死体と共に仕事をしなければならないらしい。岸辺は俺からもマキマに言っておいてやると約束してくれたが、果たされることはないような予感がした。アルコールの彼方に忘れ去られているような気がするし、そもそもそれまでに名前が死ぬかもしれない。


 怒っている、少なくとも怒っているポーズをしてみせる暴力の魔人は、名前が喫煙することは相当気に食わないらしかった。そして理由を聞いてみれば、名前の体に悪いからだという。デビルハンターの喫煙率は高く、特異4課に限れば人間組は殆ど喫煙していると言っても良い。しかし暴力の魔人は姫野達が吸っていても何も言わないので、本当に名前には吸わせたくないということなのだろう。
 ――煙草が嫌いだからという理由だったならば、名前だって禁煙するだろうし、例えそれが無理でも暴力の魔人が居ない所でだけ吸うようにしただろうに。
 彼と同じ声音で、彼と同じ優しさで、彼と同じ言葉を吐かないで欲しい。
 もちろんそんな事を願ったところで叶えられる筈もない。名前と暴力の魔人は単なるバディであり、それ以上の関係に無いからだ。優しく接して欲しいと頼むなら兎も角、優しくしないでくれと言われるのは流石に悪魔でも困るだろう。
 デビルハンターなんてどうせ長生きできないんだからどうせならそっちを咎めれば。名前がそう言えば、暴力の魔人は少し黙った末、そうすると俺のバディが居なくなっちゃうだろと言った。それはそうだ。

 暴力の名を冠しているくせに、暴力の魔人は名前に乱暴を働いたことは一度として無かった。名前が言うことを聞かず、こうして彼の前で煙草を吸い続けていても、彼は怒ったような挙動をしてみせるだけで、実際に腕力に訴えたことはない。彼の理性によるものなのか、それとも自分が名前を殴れば一撃で死んでしまうことを理解しているからなのか。――それとも、存在するのかも解らないような肉体の記憶とやらが邪魔をして、名前にだけは手が出せないのか。
 名前が再び煙草を咥え、深く息を吸い込むと、暴力の魔人は「コラッ!」と声に出した。しかし、声に出すだけだ。名前がそのペストマスクを鷲掴むと、初めて動揺を露にした。彼は反射的に名前の手を掴んだものの、殆ど添えているだけだ。何の力も篭っていない。
 目があるだろう部分を見詰めたまま、ほんの少しだけそのマスクをずらす。彼の手や、その体が強張っているのは、名前に暴力を振るわないよう必死に堪えているからなのだろう。ずれたマスクの隙間から煙を吹き込んでやると、そのマスクの奥で暴力の魔人はこほんと小さく咳をした。
 腕を引きちぎられるかと思ったが、暴力の魔人は結局名前の手をごく弱い力で握っているだけだったし、名前が手を離すと瞬く間にペストマスクのずれを直した。「危ないでしょ!」と名前を叱る声は、先ほどとは違い微かに怯えを孕んでいるような、そんな気がする。
 優しくしないで欲しい。放っておいて欲しい。関わらないで欲しい。それなのに、彼が名前の名を呼ぶ度に、自分の中にあってはならない感情が生きているのを嫌でも自覚する。

 死ぬ為に公安に入った筈なのに、死ぬのが怖くなっている。
「……ごめんごめん、怒んないでよ。ほら、ラブ&ピース」
 名前はブイサインを作ってみせたが、暴力の魔人は騙されてくれなかった。あ、という間もなく、名前の手から煙草を奪い取る。満足そうにしている魔人を眺めながら、名前は次の煙草を取り出そうとしたが、今度は箱ごと奪い取られてしまった。

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