三年前のこと

 ロブ・ルッチが長期の任務に就くと聞いた時、ジャブラは文字通り腹を抱えて笑い転げた。これで最低でも半年はルッチと顔を合わせなくても済むだろうし、あの男が船大工に扮するというのも面白過ぎる。なんでも、ターゲットの男が造船会社の社長なのだそうだ。社員として紛れ込むらしい。政府の役人が既に懐柔を図っているらしいのだが、標的は靡かず、CP9にお鉢が回ってきたのだとか。
 当然、ジャブラは喧嘩を買ったルッチに半殺しにされたが、それでも全く気にならなかった。
 あのね、と、垂れた鼻血を拭ってくれながら、名前がこっそり言った。「ジャブラはルッチが居なくて嬉しいかもしれないけど、これから私達だけで任務回さないといけないんだよ」
 ジャブラは真顔になった。

 ウォーターセブンへの潜入は、ルッチだけでなくカクとカリファ、ブルーノの四人で行う事になっていた。よほど重要度が高いのだろう。
 CP9はその組織の特性上、人員も最小限に抑えている、いわば少数精鋭のチームだ。しかしながら、W7での潜入任務のせいで、八人でこなしていた仕事を暫くはその半数で回さなければならない。少数精鋭と言っても限度がある。更に言えば、諜報任務に優れた面子ばかりが駆り出されているせいで、ジャブラと名前にはひっきりなしに仕事が舞い込んでくる羽目になった(クマドリとフクロウは悪目立ちするので、あまり潜入任務が得意ではないのだ)。私もあっちが良かったなァと度々ぼやく名前に、心の内で同意をしたことは数知れない。
 ――結果的には、CP9は人数不足でありながらも、ほぼほぼ通常通り運営されていた。どうやら普段であれば複数人で行う任務が単独での任務になったり、ほんの少し任務の全体量が減ったりと、どうやら多少の調整がされているようだった。スパンダムにそういった気遣いの精神が備えられていたことは意外と言えば意外だったが、考えてみればCP9の仕事の成果全てが奴の評価に繋がるので当然ではある。
 普段以上の激務に追われたがまァこなせない程ではなかった、というのがジャブラの見解だ。ただ、名前だけは少々事情が異なった。

 潜入任務の際、周囲に溶け込もうとしても、どうしても自分の力だけでは果たせない場合がある。ジャブラは強面なので尚更だ。その為、カリファや名前のような女のCPと組み、親しみやすさを演出する。男が一人で行くよりは、男と女の二人連れの方が怪しまれにくいのだ。名前はジャブラ達に割り振られた任務の内、潜入任務の殆どを担っていた。
 元々、名前は単独で潜入して暗殺するような仕事を得意としていて、ターゲットと仲良くなって情報を引き出すようなものは苦手なのだそうだ。もっとも苦手なだけで出来ないわけではないので、要は適性の不一致というやつだ。
 これまではそういった任務の大半はカリファが担当していたので、その全てを割り振られるようになった名前はかなり気疲れするらしい。ジャブラが見るに、任務が終わってもすぐに次の任務に就いているようで、まったくといっていいほど休息を取れていないようだ。もちろん休めていないからといって、仕事に支障が出るようではCPは務まらないのだが。
「悪いんだけど、特に指定が無い時は“恋人”って設定で良い?」
 半年ほどで終わるだろうと思っていたルッチ達の任務が、二年目に差し掛かろうとしていた頃だった。疲れ切った様子でそう尋ねてきた名前に、ジャブラは黙って頷いた。


 潜伏する際、どういう人間に成りすますかは事前に決めている。もちろんターゲットによって変えるのだが、ある程度は“使い回す”こともできる。四六時中任務についている名前は、そういった再設定の労力を省く為、ジャブラと組む場合は恋人同士の設定にすることにしたようだった。ちなみにフクロウによれば、クマドリとは役者と付き人、フクロウとは手の掛かる兄としっかり者の妹という設定らしい。
 つい小一時間前までは、年上の恋人に夢中だが付き纏いすぎて鬱陶しがられるのは嫌なのであまり甘えないようにしている恋人、のふりをしていた名前だったが、今はジャブラの向かいの席に座り、静かに海原を眺めている。
 ジャブラが尋ねたのは、今回の任務が想定より早めに終わり、名前の機嫌が良さそうだったからだ。「化け猫とだった場合も、恋人ってことにしたのかァ?」
 此方を見遣った名前は、不思議そうに「なに?」と尋ね返した。
 政府関係者の貸切となった海列車の中、この車両に居るのはジャブラと名前の二人だけだった。もっともいつ何時盗聴されているとも知れないので、決定的なことは口には出さない。もはやCPとしての癖のようなものだ。
「おれとあいつが逆だったとしたらよ、今ここに座ってたのは化け猫の野郎だったかもしれねェってことになるだ狼牙」
「なるほど……」
 名前は少しだけ考えたようだった。「他人が良いな」
「ずっとルッチと居るの、すごく疲れそう」
「そりゃそうか」ジャブラは笑った。嫌いな奴が厄介者扱いされているのは気分が良い。「じゃ、カクは?」
「弟とかかなあ」
「カリファ」
「仲の良い女友達」
「ブルーノは」
 ここにきて、名前は少しだけ悩んだようだった。「職場の同僚かな」
「ブルーノとだったらずっと一緒に居ても疲れないと思うけど、恋人とか夫婦にすると、ブルーノが変に目立っちゃいそうだから無しかな」
 確かに、名前とブルーノが二人で居るところを想像すると、年下の恋人を射止めたブルーノに注目してしまうかもしれない。もちろんジャブラの方が歳は上なのだが、ブルーノの方が上背があり、名前と並ぶとアンバランスさがあるのだ。ジャブラが頷いていると、こういうのってほんとの事をちょっと混ぜると、結構上手くいくよねと名前は言った。
 確かに、傾いているクマドリは役者と言っても押し通せるだろうし、フクロウが手が掛かるのは間違いない。戦闘に特化したルッチであれば独りで行動させた方が効率が良く、カクには弟だと言われても納得できるような可愛げがある。名前とカリファが仲が良いのも、名前とブルーノが同僚なのも事実だ。
 ジャブラが言った。「おれとお前は付き合ってるわけじゃねェだ狼牙」

 此方を見返す名前の動き、その一つ一つから真意を読み取ろうとしても、彼女はただの女にしか見えなかった。CPに似つかわしくない、大人しい女。しかし彼女の細い指は人を殺す銃になり、その蹴りは厚い装甲をも切り裂く刃となる。ジャブラでさえ、同じ任務についていなければそれを疑うかもしれない。
「――新しいメイドの子に誤解されそうで嫌?」
「何で知っ……フクロウか!?」
 からかうように小さく笑っている名前を見ながら、あのお喋りな同僚を次会ったら締め上げてやろうと心に誓う。
 嘘をつく時は本当のことを少しだけ混ぜると上手くいくんだけどね、と、先ほどと同じことを口にした名前は、静かにジャブラを見詰め返すだけで、やはりそこには何の感情も乗っていないように感じられた。共に潜入している時――恋人として任務先に紛れ込んでいる時、名前の目には常にジャブラに対する好意が滲み出ていた。ジャブラを見るだけで照れたようにはにかみ、声を掛ければ嬉しそうに笑う。
 得意ではないというだけで、彼女もCPの一人であり、感情を偽装するのは造作もないことだ。彼女が恋人設定にしようと言い出したのも、ジャブラが名前と組む上で、それが一番目立たないからだ。

 黙ったままのジャブラを見て、「やっぱり設定変えようか、誤解されたら困るもんね」と言った名前は、ごく普段通りの顔をしていた。日常会話の延長なのだから当然だ。しかし、職場の先輩と後輩とか、それとも友達とかにしとく?と尋ねられ、ジャブラは眉を顰める。
 ジャブラが「別に今のままで良い」と口にすると、名前は再び笑っていた。なるほど、確かにこの女は潜入任務に向かないのかもしれない。

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