白夜の星

 つい先ほどまでチョッパーの隣を歩いていた筈の名前は、いつの間にか姿を消していた。当然チョッパーは慌てたが、彼女を見付けるまでには少しも時間は掛からなかった。――店の軒先に貼られた手配書を、これでもかと睨め付けながら、何やら熱心に書き込んでいるのは、紛れもなく名前だった。
 またか。チョッパーはそう思ったが、口には出さなかった。ウソップが居れば、また名前の持病が出ちまったなと大げさに肩を竦めてみせたかもしれないが、彼は今チョッパー達とは別に買出しに出ているので、チョッパーが「医者ァ!」と騒ぐことはない。
 結局、チョッパーは彼女の横まで歩み寄り、名前が満足するまで待つことにした。名前が貼られていた手配書に――麦わら海賊団の船医、トニートニー・チョッパーの手配書に落書きをするのは、これが初めてではなかった。

 わたあめ大好きチョッパー、それがチョッパーの世間からの、ひいては政府からの評価だった。どうやら麦わらの一味の船員ではなく、ペットだと思われているらしい。失礼な話ではあるが、怪物扱いされ続けてきたチョッパーにとっては別段気にするほどのことでもなかったし、むしろ一員として認識はされているのだから問題はない。ルフィを始めとした仲間達がチョッパーのことを仲間だと呼んでくれる、チョッパーはそれだけで良かったのだ。しかしながら、名字・名前には看過できないことだったらしかった。
 名前はチョッパーの手配書を見かける度、どうしてそれほど毎回新鮮に怒れるのかと、此方が驚くほど激怒する。流石に分別はあるのか、新聞社や、海軍支部に乗り込んでいったりはしないが、街に貼られている手配書に「獰猛トナカイ」と書き込んだり、懸賞金の額を勝手に増やしたりすることが常だった。
 他の仲間達はというと、彼らも最初は憤慨していたのだが、チョッパーがあまり気にしていないせいか、それとも自分達の懸賞金を競い合わせる方が楽しいからか、今では手配書を見て怒り出すのは名前一人になっていた。
 名前がチョッパーの手配書に手を加えている時は、集中しているというか、怒りに任せての行動の為、周りの事が目に入っていない。その為、結果的に海軍に追い掛けられる羽目になることも少なくない。普段の名前はむしろ無茶する仲間を諌める側で、始めの頃はどうして彼女が後先省みず怒るのか、チョッパーには解らなかった。

 拿捕される寸前だったところを何とか逃げ出した日、名前は船員達からこっぴどく叱られていた。膝を抱え、見張り台で一人いじけていた名前の隣に腰掛ける。名前はちらりとチョッパーを見るも、また海原を眺める作業に戻ってしまった。普段であれば、毛皮があるから大丈夫だと言っても毛布を押し付けてくるのだが、この日はそれがなかった。
 おれは気にしてないから名前が怒らなくても大丈夫だよ、とチョッパーが言うと、返事の代わりにズッと水音がした。寒かったのか、それとも一人泣いていたのか。ややあって、名前がぼそぼそと話し始めた。
「だって、チョッパーは私達のお医者さんであって、ペットじゃないんだよ」
 チョッパーが居なかったら、私達みんな今此処に居なかったかもしれないのに。鳩尾の奥がひどく痛むような顔をして、そう口にする名前は、やはりチョッパーにとって理解し難いことだ。――名前はチョッパーに毛布を分けてくれなかったが、チョッパーは不思議とどこか暖かい心地がした。
「でもおれ、名前が海軍に捕まっちゃったらやだよ」
 チョッパーがそう言うと、名前は再び鼻を鳴らした。

 ――思う存分書き足したようで(チョッパーは3億ベリーの賞金首になっていた)、名前は腕組みをしながら自分の仕事の出来栄えに見入っていた。もう行こうよと声を掛けると、隣にチョッパーが居たことに今更気が付いたらしく、名前は「いこっか」と微笑んだ。
 二人はこの春島に買出しに来ていて、これから薬に使う薬草等を買い込む予定だった。チョッパーの負担が減るよう薬に必要なものを覚えたいからと、よく荷物持ちに付き合ってくれる名前は、先ほどまで手配書に書き殴っていた彼女と同一人物とは思えない。


 ワノ国の一件で、チョッパー達の手配書が一斉に更新されることとなった。懸賞金の変動については悲喜こもごもで、チョッパーも微妙な気持ちで自分の新しい手配書を見ていた。増えてはいる、増えてはいるが、ペット扱いは相変わらずだし、十倍に増えたと言っても子供のお小遣いの域を出ない。それに“トニートニー・チョッパー”ではなく、やはり“わたあめ大好きチョッパー”と書かれている。巨額の懸賞金を掛けられて狙われるのも遠慮したいが、どうにもやるせない。
 チョッパーの微妙な心境を正しく理解しているのだろう、隣に居たウソップはひとしきり笑ってから、また名前がうるさいだろうなとからかった。名前をちらりと見ると、彼女も自分の手配書を手に溜息をついているところだった。どうやら彼女も懸賞金が上がり、迷惑に思っているらしい。チョッパーが見ていることに気付いたのか、名前はチョッパーの方を見た。そしてそのままチョッパーの新しい手配書を見たのだろう、名前は苦笑を浮かべた――ただ苦笑を浮かべたのだ。
 いったいどうしちまったんだよ、とウソップが声を掛けると、名前はきょとんとしていた。手配書のことを示せば、「ああ……」と少々困ったような顔をした。
「考えてみたら、ペットだって思われてるんならそれはそれでいいのかなって思って。それなら私達が全員殺されても、もしかするとチョッパーだけは無事かもしれないし」
 ウソップは胆嚢をそのまま飲み込んだような顔をしたし、名前の反応を伺っていた仲間達もそれぞれ似たような表情を浮かべていた。チョッパーだって、やる事が無ければ同じような反応を返していたかもしれない。
 チョッパーが人型を取ると、名前は不思議そうに此方を見上げた。

 チョッパーの手配書を見た名前が何故そうも怒るのか、チョッパーにはよく解らなかった。ただ、義憤に駆られ、自分のことのように怒ってくれる名前が、チョッパーには嬉しかったのだ。そして同じように、たった今甲板で正座させられている名前も、何故チョッパーが怒っているのか解らないようだった。名前にはもう少しこのまま反省していて欲しい、色々な意味で。

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