うまいしやすいしはやいので

 所要時間は四十分と少しといったところだろうか。修復作業を終え、額から流れる汗を拭いつつ、完了の報告を入れる。これでこの区も元通りだ。ふうと一息つけば、「お。終わったん?」と背後から声が掛けられた。
「……神々廻さん」
 凭れ掛かっていたガードレールから身を起こした神々廻は、スマホを仕舞いながら此方を見ていた。
 てっきり、とっくの昔に帰ったと思っていた。凄腕の殺し屋ではないとはいえ、名前がそう思うということは、彼が意図的に気配を消していたということだろう。作業の邪魔にならないように、という神々廻なりの気遣いなのだろうが、仕事終わりにいきなり話し掛けられるのも、それはそれで驚くからやめて欲しいという気持ちがややある。
 まだ居たんですか。何か用ですか。てっきり帰ったと思ってました。――どう声を掛けようか迷ったが、結局そのどれも選ばなかった。機嫌を損ねられても困るからだ。困るというか、ちょっと面倒臭いことになる。
「終わりました」名前が言った。
「案外早よ終わったな」
「そうですか? まあでも、神々廻さんの後は助かりますね。あんまり散らかってないから」
「そら毎回毎回散らかすな言われたらいくら俺かて気を付けよかな思うようになるやん」
「あはは」
 助かりまぁ〜すと間延びした返事をすれば、神々廻は胡乱げに目を細めた。名前は再び笑う。
 名前が一番きちんとなおしといてくれるから――という理由で、名前は彼の仕事後に呼ばれることがままあった。マニュアルに従っているだけだし、誰がやってもそう変わらないと思うのだが嬉しいものだ。
 そしてその関係で、最近の神々廻が、どうやら名前達フローターに気を遣って殺しをしているらしいことは名前にはすぐに解った。ORDERともなると、仕事の最中にどの方向に臓物を飛ばそうだとか、ポストがある方は汚さないようにしようだとか、そういう事もできるようになるらしい。
 もっとも神々廻以外のORDERは、名前が何度言っても盛大に散らかして帰るので、彼の気遣いに寄るところが大きい。

 飯食うて帰るやろ、と尋ねる神々廻に、名前はこくりと頷く。
「一緒に行こや。今日は何にするん」
「うーん……やっぱ牛丼ですかね」
「こないだと一字一句同じ言い方するやん」
 そうだっただろうか。自分が何を言ったかなんていちいち覚えてない。
 神々廻は嫌そうな顔をしていたが、十分後には名前と二人、牛丼チェーン店のカウンター席に並んで座っていた。

 美味い安い早いとはこの事で、名前が注文した牛丼も、神々廻が消去法で選んだ豚丼も、ものの数分もしない内に運ばれてきた。安っぽい味も好きだったが、こうしてすぐに食べられるのも、名前が牛丼を気に入っている理由のひとつだ。
 名前が丼の半分ほどを食べ終えた頃、漸く神々廻も食べ始めた。今の今まで、彼は自分の丼に乗っていた玉ねぎを全て小皿に選り分けていた。神々廻は、玉ねぎが死ぬほど嫌いなのだ(なおこの場合、死ぬのは周りの人間だ。傍迷惑にも程がある)。
 いい歳して嫌いなものを食べられないのもどうかと思うが、名前としては無料で玉ねぎが倍量になるので、特に何も言わないことにしている。こういう店の玉ねぎは、味がしっかり染み込んでいて美味しくて好きだ。神々廻が選り分けた玉ねぎは、全て名前の元へ運ばれている。曰く、豚丼が一番玉ねぎの量が少なく、且つ大振りに切られている為選びやすいらしい。
「何で牛丼屋て全部玉ねぎ入ってるねん」
「さあ……入ってる方が美味しいから?」
「正気の沙汰やないなあ」
 自分で食べに来ておいてその言い草はないと思うが、ネイルハンマー片手に暴れ回られても困るので、名前は何も言わなかった。

 え、と神々廻が声を漏らしたので、名前を横目を向けた。
「ていうかもしかして俺と飯食いたないから牛丼屋選んどる感じやった? それやったら俺、これから破壊の限りを尽くしてしまうかも解らへん」
「それもはや脅しじゃないですか? 違いますよ。本当に好きなだけです」
「そんならええねんけど」
「最後くらい好きな物食べたいじゃないですか。商売柄いつ死ぬとも解んないし、いつ最後の晩餐になっても良いように、いつも牛丼にしてるんですよ」
「いつもって、仕事後毎回って意味?」
「毎食って意味です」
「……もしかして殺連のパンダ気取っとる感じ?」
 パンダってあれでいて実は雑食なんですよと名前が言うと、神々廻はああそう……と面倒臭げに言った。自分から振っておいてそれはないと思う。この時の神々廻は、ひょっとして最後の晩餐にはなり得ないと確定している場合なら、名前は別の店にも付き合ってくれるのではないかと考えていたのだが、それを名前が知るのはまだ暫く先の話だ。

 玉ねぎを食べるのが嫌なら私とごはん行かなきゃいいじゃないですか――口に出すつもりはなかったのだが、神々廻が名前を見詰めているあたり、どうやら実際に言葉にしてしまったらしい。しかしながら、神々廻は気を悪くした風もなく、ただ一言「そらそうやな」と言っただけだった。
 彼とはもう何度も一緒にごはんを食べているのに、まさか気が付いていなかったんだろうか。名前は毎回牛丼屋を選ぶし、神々廻は毎回それに付き合う羽目になるのに。
 ――勝手な話だが、これから神々廻が誘ってくれないかもしれないとなると、それはそれで惜しいような気がした。玉ねぎは倍量じゃなくなるし、時々奢ってくれるのも財布的に助かっていたし、彼とくだらない話をするのも楽しいし。こういう店は玉ねぎ抜きにしてくれないからと、毎回真剣な顔をして玉ねぎを選り分けていた神々廻を眺めるのが名前は好きだった。

 違う店を選べば良いだけの話なのだが、毎回牛丼屋に連れて行かれると解っているのに神々廻が名前を食事に誘う理由にも、名前の作業が終わるまでじっと待っている理由にも気付かない名前には、到底思い付かなかった。しかしながら、全ては杞憂に終わった。次に会った時、神々廻が「飯行くやろ?」といつものように名前を誘ったからだ。
 名前が「今日は違うところにします……?」と尋ねると、神々廻は少々面食らったような顔をし、それから「いつもの店でええよ」と微かに笑った。

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