古城の攻防

 背後からの強い視線は何度も感じていたが、名前は敢えて何も言わなかった。視線の主、キャノットが話し掛けてきたのは、暫しの休息を取るとドクターが皆に告げてからだった。「そりゃないぜ兄弟」

 名前は特別小柄な種族ではなかったが、キャノットのような巨躯の持ち主に見下ろされると、ある種のプレッシャーを感じないではいられなかった。掴み掛かられた場合を想定した逃走経路を思わず描いてしまったのは、傭兵としての性だろう。そして名前が走らせた視線の意味を正しく理解したのだろう、キャノットは再び「そりゃあないぜ、兄弟」と憐れっぽい声を出した。もっとも、その顔は例の冷たい鉄のマスクに覆われている為、彼の表情を伺い見ることはできないのだが。

 二人はロドスの小隊から少し離れた場所で並んで立っていた。名前としては仮眠の一つでも取りたいところだったのだが、鬼気迫る様子のキャノットを見るに、そうはいかないらしい。
「私が何かした?」
「俺がいつ連絡しても、あんたは不在と来てる。それなのに、あんたはあいつと懇ろにしてたってわけだ。ロドスの、ドクターと」
「連絡?」
 名前がキャノットの連絡先を知らないように、キャノットだって名前の連絡先を知らない筈だ。もちろん、彼がご自慢の人脈を駆使して調べ当てたなら別だが、プライベートのアドレスまでは知らないだろう。彼が言っているのは、BSWへコンタクトを取ったということだ。
「長期の任務中だもの。連絡なんかある筈ないでしょ」
「そうか? まあ兄弟の言うことだ、信じてやるとも。だがあんまりつれないじゃないか。長期ってのはどのくらいだ? 俺はもう半年以上、お前にラブコールを送り続けているんだぞ。まさか一年か? それとも二年?」
「60か月よ、どうも」
「……冗談だろう」
 彼の声には、驚きよりも呆れの方が強く滲んでいた。「五年も何するってんだ? 便所の掃除か?」
「詳細まで教えてあげられるわけないでしょう。けどそうね、こうして外に出ることもあるって感じかな」
「…………………」
 キャノットは何も言わなかったが、鉄のマスクの下からは「クソッタレ」とか、「こんちくしょう」とか聞こえたような気がした。

 それで、とキャノットが再び口を開いたのは、たっぷり二分が経過してからだった。「それで」
「俺があんたにまた護衛を依頼したいってなると、次は四年後ってことなのか?」
「私は任務があるけど、他の人間なら空いてる筈よ」
「駆け引きでもしようってのか? しゃらくせえ、俺はな兄弟、お前を気に入ってるんだ。お前は腕は確かだし、無駄口だって利かねえ。一緒に仕事するならお前みたいなやつがいいんだ」
「一緒に“仕事”、ねえ」
 名前は鸚鵡返しに繰り返した。
 キャノットは錆鎚の一員であり、それは名前の知るところでもある。彼の悪行を告発することは名前の仕事には含まれない為、名前は彼が裏で何をしていようと知らぬ存ぜぬを貫いていた。その事を鑑みるに、確かにビジネスパートナーとしては名前は相応しいのかもしれない。一介の商人に、護衛が必要なのかは兎も角として。
「今の仕事がキャンセルになったら連絡するよう会社へ伝えておくわ、Mr.グッドイナフ」
 ロドスのオペレーターに呼び掛けられたことを合図に、この話はおしまいになる筈だった。手を振って応えながら、埃を払う名前の腕をキャノットが掴む。「言っておくぜ、兄弟」
 彼の外套の奥から、頭足類の触手が這い出ると、名前の腕にするりと巻き付いた。
「俺はお前を気に入っているし――」
 再び触腕が名前の腕に巻き付いた。
「欲しいものは手に入れないと気が済まない性分だ――」
 もう一本。
「何をしてでもな――」
 キャノットが言葉を発する度、歩を進める度、一本また一本と彼の触手が名前の腕に巻き付いていく。シャツの袖を捲っていたため、ぬめりとした触手の感触がじかに伝わり気持ちが悪い。きつく吸い付いている吸盤は、その一つ一つが名前を放すまいとしているようだった。

 名前はすぐ目の前に立つキャノットを暫く見上げていたが、やがて静かに「手、放してくれる?」と口にした。キャノットは何も言わず、自身の右手だけ拘束を解いた。しかし未だ触手の腕は名前の手に巻き付いたままだ。それどころかキャノットの手のスペースが空いた分、繋がりをより強固にしようとじわじわ絞め付けてくる。
「……キャノット」
「こいつらは手じゃない。そうだろ、名前?」
 彼のマスクの隙間から、鈍く光るものが見えたような気がした。強引に振り払おうかとも思ったその時、再び遠くの方から名前の名を呼ぶ声がし、触手達はいとも簡単に離れていった。声の主の方を見れば、先ほど名前を呼んでいたオペレーターに加え、その隣にドクターの姿があった。どことなく怪訝そうに此方を伺っているような気もする。今行くわドクター、と名前は声を出した。
 キャノットはといえば、「ああ、次はもう少し違ったアプローチをするとするさ」と肩を竦めてみせた。名前には、そう言った彼がどこか笑っているように感じられた。


 オペレーター達のところへ向かうと、真っ先に声を掛けてきたのはドクターだった。キャノットも読みづらいが、同じく表情が伺えないドクターは更に得体の知れない人物であると言えるだろう。ドクターの声には、感情らしい感情がほんの少しも乗っていないのだ。
 しかしながら、付き合いの短い名前でも、この時ばかりはどうやら笑っているらしいということが読み取れた。
「随分と仲が良いようだな」
 名前の左腕にはいくつもの丸い跡があった。キャノットの触腕が巻き付いた際に付いたものだ。この様子では二、三日はこのままだろう。名前はシャツの袖をそれとなく元に戻した。
 後日、ロドス製薬から通達があり、名前は任を――ドクターの護衛の任務を解かれることとなった。キャノットがロドスに掛け合った結果なのか、それを受けたドクターがその方が利益がありそうだと踏んだからなのか、それともドクターがキャノットの動向を伺う為に敢えてそうしたのか、名前には判断がつかなかった。もっとも、雇い主が変わったところで、特に思うところはないのだが。
「また会えて嬉しいぜ、兄弟」
 そう言って、キャノットは名前の肩を強く抱いた。彼の硬い鉄のマスクが名前の額に触れる。名前は小さく溜息をつきつつ、腰元ににじり寄ってきた触腕を払いのけた。

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