雨が降っていたことも関係しているのだろう、この日の客はそう多くなかった。あまりに次の客が来ないので、下半身透明は持ち場を離れて院内を散歩し出したし、今まさに名前に向け、野球拳を仕掛けようとしている長兄にドロップキックをかました。「何してやがんだクソ兄貴!」

 ホラー・ホスピタルの受付近くに居たのは客ではなく、野球拳大好きとマイクロビキニだった。二人が全身ずぶ濡れになっている辺り、恐らくは急遽雨宿りに来たのだろう。ちなみに客は居なかった。
 名前が困惑の表情を浮かべる中、下半身は二人にがなり立てた。
「ウチのスタッフに手ぇ出すなんて何考えてんだよ!」
「仕方ないだろ、カワイ子ちゃん見て野球拳を申し込まないなんざ、男が廃るってもんよ」
「ルセーッ! 俺のに手え出してんじゃねえよ!」
「そうだぞ愚兄、透の経営する店のスタッフに野球拳を仕掛けるなどと!」
「言っとくけどミカ兄がビキニ仕舞ったの見てたかんな」
「………………」
「黙んな!」
 ――濡れた兄達を放り出すわけにもいかないし、今晩のところは泊まりになるだろう。彼らがいつ来ても良いように、食材には余裕がある。どうせこの雨で客は殆ど来ないだろうし、今日は早めに店仕舞いにしてしまうか。とりあえずタオルでも持ってきて、兄達にはこれ以上床を濡らさないようにしてもらわないと。そんな風に脳内で段取りをしつつ、内心で溜息をつく。
 そして、下半身透明はしゅんとする二人の兄達を見ながら、漸くハッとなった。名前に全てを見られてしまった。

 今の下半身達のやりとりを見て、三人が兄弟だと気付かない人間はそうは居ないだろうし、もし居ればよほどの間抜けだろう。名前には兄が居ると言ってあった筈だし、そもそも野球拳に蹴りかかる時に考えなしに兄貴と呼んでしまった。
 名前に変態扱いされたらどうしよう。むしろそれを理由にバイトを辞められたらどうしよう。変態を身内に持ってる店長の店なんて嫌ですなんて言われたら引き止められない、正当性がありすぎて。
 下半身透明は冷や汗をかいていたが、当の名前は平然としていて、下半身が自分を見ている事に気付いても「あ、お兄さんなんですね」と言うだけだった。


 あいつらが俺の兄貴でも何とも思わないの、と下半身透明が尋ねても、名前は「はあ……」と要領を得ない様子だった。
「へえ〜あの二人って兄弟で、しかも透さんのお兄さんなんだ〜としか……」
「そ、そんなもんなの?」
「スタッフのこと私物扱いしてたのかとも思いましたけど……」
「そっち!?」
 ここ数ヶ月、名前に彼らを知られてしまった場合のシュミレーションを重ねたのは何だったのか。彼女が自分との接し方を変えるとは思わないが、野球拳達のことをヤバイ奴認定するとは思っていたのに。もっとも、名前が顔に出していないだけで、心の中でドン引きしている可能性はあるのだが。
 何故か誇らしげにしている兄達は後で殴るとして、下半身透明は自分が心底安堵していることを認めないわけにはいかなかった。
 そうだ、と、名前が言った。「透さん、私、バイト三月で辞めます」


 何で!?と詰め寄った下半身を、名前は不思議そうに見ていた。兄達は管理人室に押し込んだので、エントランスに立っているのは下半身と名前の二人だけだった。
 やはり野球拳達にドン引きしていたのか、それとも本当にバイトが嫌になったのか。しかしながら、下半身透明が想定した答えはどれも外れていた。
「東京の方に就職が決まったんですよ、なので四月から社会人なんです」

 ――名前が大学生なことは、当然知っていた。流石に未成年を深夜近くまで働かせていたとあっては、何かあった時に言い逃れができないため、成人していると確認したうえで雇ったのだ。それに、ごく稀に彼女がシフトに入ることを断る時があり、理由を聞けば大抵試験前だった。
 大学生ということは、凡その場合就職活動をしなければならない筈だ。そして名前は――無事に就活に成功したのだ。

 何とか「オメデトウ」という言葉を捻り出した下半身透明だったが、そのすぐ後に「内定取り消しの可能性は……?」と愕然としながら尋ねた。当然、名前は嫌そうな顔をする。「縁起でもないこと言わないで下さいよ」
「名前、ずっとうちでバイトしてれば良いじゃん、仕事だって全部出来るようになったのに……」
「いや、バイトだけじゃ生活していけないじゃないですか。ただでさえお給料少ないのに」
「それはごめん……けどほら、土日は此処でバイトするとか」
「副業ってことですか? 内定貰ったの一般企業ですし、こんな時間までバイトしてから次の日仕事なんて無理ですよ。今でも割ときついのに」
「けど、けど……」
「……私を引き止めなくても、心霊スポットで働きたい物好きは絶対居るんで大丈夫ですよ」

 何も言えない下半身を見て、名前は怪訝そうにしていたが、「私そこ拭きますね」と掃除用具を取りにいってしまった。一人取り残された下半身透明は、病院内に雨音が存外響く事に、この日初めて気が付いた。

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