この日の営業も無事に終了し、下半身透明は戸締りの最終チェックに入っていた。廃病院の戸締りを確認するのもおかしな話だが、今は下半身透明が間借りしているようなものだし、寝ている間に病院に悪戯されでもしたら次の営業に支障が出てしまう。リノリウムの剥げかけた廊下を歩きながら、一つ一つ戸締りを点検していく。
 ふと、廊下の先が暗闇に覆われていることに気が付いた。どうやら非常口の誘導灯が消えてしまっているらしい。普段は明るすぎる為、敢えて光量を絞っているのだが(行政に見付かったら一発でアウトな気はする)、完全に消えてしまっているのなら交換なりなんなりしなければならない。
 吸血鬼は夜目が利くし、下半身透明も恐らくは一般的に夜目が利く方だろうとは思っている。静まり返り、真っ暗闇の廃病院の中を歩くのだってお茶の子だ。しかしそれは自分一人しか居ないと思い込んでいる場所だからこそで、非常灯の消えた通用口の下、不意に動く人影があれば、当然驚きはする。「ワアアアアア!?」

 パッ、と、誘導灯が点灯する。明滅する緑色の光の下、下半身を見上げていたのは、ひどく驚愕した顔をした名前だった。


「なななな、何やってんの!?」
 未だに心臓がばくばくと脈打っているのを感じる。これほど生を実感したのは生まれて初めてだ。あっちゃんのような“本物”を見てしまったと、本当にそう思ったのだ。
 名前は既に家に帰っている筈だった。下半身が見回りを行うのはホラー・ホスピタルの営業終了後、スタッフが帰った後だ。当然、スタッフの名前がこんな所に居る筈がなかった。
「透明さんこそ……というか大丈夫ですか?」
「平気……」
 まだ心臓ばくばくしてるけど、と口に出したりはしなかった。

 名前が言うには、帰りの際に使っている懐中電灯の電池が切れてしまい、動くに動けなくなってしまったのだそうだ。仕方なくなるべく明るい場所――先ほどまでは、非常口の誘導灯はちゃんと点いていたらしい――で、動けるようになるまで時間を潰していたのだそうだ。
 確かにホラー・ホスピタルの内部は勿論、人通りのある場所までの道中も暗く、夜目の利かない人間が手探りで歩き回るのは危険かもしれない。しかし――。
「なら俺呼びなよ!」
「え? あ、そっか……」
「も〜!」
 夜明けまでにはまだ何時間もある。もしも下半身透明が施錠の確認に訪れなかったら、名前は夜が明けるまでずっと此処に居るつもりだったのだろうか。透明さんが戸締りしてくれてたんですねと呟く名前の、その手をぎゅっと掴む。「あ、あの……?」
「帰るよ、通りまで行けば一人でも歩けるでしょ」
「え? けど、電池が……」
「電池の備蓄なんてないし、俺がコンビニまで買いに行くより一緒に行った方が早いじゃん。俺達は暗くても結構見えるんだよ。ほら、外まで一緒に行ってあげるから」
 行くよ、と下半身透明が手を引けば、名前もゆっくりと歩き始めた。


 そこ段差あるよとか、階段気をつけてとか、そんな事を言いながら、下半身透明は名前の手を引いて歩いた。最初は手を握っているだけだった名前も、今や下半身の腕にしがみ付くようにして引っ付いている。やはり真っ暗闇の中を歩くのは、あまり怖がらない名前でも、多少は怖いらしい。
 ――普段から、このくらい畏怖ってくれれば良いのに。
 びったりくっついている名前に、吸血鬼として複雑な気持ちになる。もちろん、下半身透明に名前を吸血する気はなかった。食べるのには困ってないし、スタッフに手を付けるわけにはいかない。しかしながら、此処まで信頼されていると、かなり微妙な気持ちになってしまう。

 敷地の外、街灯の灯りが見えるところまで来ると、漸く名前も安心したのか、やがて下半身の腕を放した。下半身透明は少しだけ笑う。
「暗いとこが怖いなんて、名字も可愛いとこあるんだね」
「透明さんこそ、さっきめちゃくちゃビビってたじゃないですか」
「うるさいな忘れてよ」下半身が言った。「俺の腕にしがみついてたくせに」
「……? 手は繋いでもらいましたけど、腕には抱きついたりはしてませんよ」
「え?」
「え?」

 じゃあお疲れさまでした、と、そう言って名前が踵を返そうとしたのとと、そんな名前の腕を下半身透明が掴んだのはほぼ同時だった。
「待って待って待ってそういえば部屋めちゃくちゃ余ってるんだったわ全然泊まってってくれていいんだったわ泊まってこ!? それで昼通しスマヴラしよ!?」
「廃病院に泊まりはちょっと……」
「バイトしてるくせに!」
「呪われそうだし……」
「じゃあ俺が寝るまでで良いから!」
「帰ります」
「ウアーーーーッ」
 名前は下半身の手を容赦なく振り解くと、さっさと帰っていってしまった。その場に取り残された下半身透明は兄を呼び付け、日が沈むまで一緒に居てくれるよう頼み込んだ。マイクロビキニは何故か嬉しそうにしていたが、この日は少しも気にならなかった。

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