今日はお客さんいっぱいで良かったですね、と床に散らばった小道具を片付けながら名前は言った。ホラー・ホスピタルのスタッフの賃金は、僅かながらの固定給と歩合制で成り立っている。つまりお客が多ければ多いほど、その日の給料は多くなるのだ。宣伝活動なども頑張ってはいるのだが、その日のお客がゼロという日はやはりまだある。アルバイトの名前からすれば、客は多い方が良いのだろう。しかしながら、下半身透明が「全然。夏はもっと多いよ」と教えると、少しだけ嫌そうな顔をした。忙しいのは嫌らしい。

 名字名前はホラー・ホスピタルで働く人間のスタッフの内の一人だった。週に二、三度シフトに入るだけだが、大学生で時間があるのか人数が足りない時などは頼めば入ってくれるし、よく働くので重宝している。また、名前はあっちゃんとも仲が良いので、その点においても気に入っていた。あっちゃんは今でこそ皆に可愛がられているが、雇われた当初から普通に接せられる人間は珍しいのだ。
「もしかしてですけど、透明さん――」面接後、改めて名乗った時、彼女は迷った挙句「下半身さん」と呼ぼうとしていた。そして下半身はそれを止めた。「――いま、スニーカー履いてます?」
 館内を案内し終わった後、下半身透明が何か質問はあるかと尋ねた時、名前は下半身の足元を見詰めながらそう言った。普通、下半身が透けている男を見たら大なり小なり驚く筈だが、名前は初対面の時から一度として吃驚した様子を見せなかった。この時も、怪訝そうに眉を寄せてはいるものの、驚いていたわけではないようだった。
「うん」下半身透明は頷いた。
 名前は口にするかどうか迷ったようだったが、結局「幽霊の格好してるのに……」と声に出した。
「俺、幽霊じゃなくて吸血鬼だし。それにこっちの方が歩きやすいじゃん」
「なんか、幽霊の正体見たりって感じですね」
「誰が枯れたススキだって!?」
「柄悪すぎません?」
 名前はそう言って少しだけ笑ったが、結局、彼女が笑っているのをはっきりと見たのはその一度きりだった。

 ホラー・ホスピタルはごく少人数で運営していて、その日のスタッフが五人に満たないことも間々ある。一応は代表という立ち位置に居る下半身透明も、当然後片付けには参加していた。脅かし用の小道具を片付けたり、掃除をしたり。掃除に関しては、あまり綺麗にし過ぎると折角の廃病院というロケーションを崩してしまうので、実は塩梅が難しかったりする。
 名前という女の子はよく働くが、どうにも表情が乏しかった。最近の人間ってこんななの?と疑問に思ってしまうくらいには表情が固い。もっとも、客商売ではあるがさほど愛想や愛嬌が必要な仕事ではないし、むしろお化け屋敷のスタッフがテンション高く接してきたら、逆に怖がって帰ってしまうかもしれないので、これはこれで良いのかもしれなかった。

 名前を呼ぶ声がして、そちらを見れば奥の廊下からあっちゃんが走ってきているところだった。どうやら下半身透明を見付けるよりも先に名前の方に気付いたらしい。複雑な心境だ、あっちゃんとは俺が一番仲良しの筈なのに。
「あっちゃん」名前が言った。「お疲れ様」
「お疲れ〜」
「おつ かれ」
 あっちゃんがワアッと両手を上げた。どうやらハイタッチがしたいらしい。名前が応じている。「名前 あそぼ う」
「此処を片付けてからね。ちょっと待っててね」
「はぁ い」
 良い子の返事をしたあっちゃんは、ぱたぱたと走っていってしまった。「仲良いね」と下半身が口にすると、名前は頷いた。
「私、兄弟居ないので、あっちゃんと居ると妹ができたみたいで楽しいんです」
「あ〜! 解る解る」
「透明さんも一人っ子なんですか?」
「――俺は兄貴は居るよ、妹が居ないだけ」
「そうなんですか」
 名前は、深く突っ込まなかった。

 ――名前はチャキチャキの新横浜っ子だ。当然、名物吸血鬼のことを知っていてもおかしくない。それこそ、吸血鬼野球拳大好きだとか、吸血鬼マイクロビキニだとか。
 何となく、下半身透明は兄達の事を彼女には秘密にしようと思っていた。他のスタッフに家族構成等を尋ねられれば、普通に彼らのことを答えるかもしれない(ちなみに、今のところ尋ねられたことはないので、下半身透明の二人の兄について知っているスタッフは、あっちゃん以外居ない筈だ)。が、何となく名前だけには言いたくなかった。
 兄達に比べて催眠がしょぼいと思われるのは嫌だし、自分までもが変態扱いされるのも嫌だ。
 名前は良い子だ。安い給料でよく働くし、あっちゃんも懐いているし。しかし万が一――万が一彼女が野球拳達の事を変態扱いするならば、自分はきっと、彼女のことを血の通った皮袋にしか見えなくなってしまうのだろうという、漠然とした予感があった。そして何となく、そうなって欲しくないような、そんな気がするのだ。


 そういえばと、下半身は名前に聞いた。「名字は何でウチ応募してきたの?」
「私、ホラーが好きなんですよ。映画でも小説でも。此処、出るって噂だし、バイトすれば毎週肝試しできるなって思って」
「……へー」
「透明さんって、実は結構怖がりですよね」
「は?」
 あ、笑った。

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