とられた足袋

 アポなしでやってきた下半身透明は、それはもうギャンギャンと泣き喚いていた。彼は吸血鬼なので仕方が無いのだが、こんな深夜に叩き起こされ、100歳以上年上の恋人をずっと宥めさせられている身にもなって欲しい。抱き付いてきた下半身の背中やら頭やらを延々と撫で続けていたが、いい加減に足が疲れてきたし、ご近所からの苦情も怖い。
「何があったの、トオルくん」
 いつものコスプレの顔布も殆ど捲れているので、彼が今どんな表情をしているのかははっきりと解る。顔を上げた下半身透明の顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃに濡れていた。もっとも、下半身は名前にどれだけ情けない姿を見られても、少しも気にならないようなのだが。
 下半身透明はズッと鼻水を啜り上げた。「足袋脱がされた……」
「は?」


 名前の反応が期待したものではなかったのだろう、下半身透明の癇癪はますます酷くなった。玄関口から部屋の奥の方まで移動してはくれたものの、泣き声は先程までよりも大きくなっている。本当に隣人に通報されかねない。ただでさえ頻繁に幽霊のコスプレをした男を部屋に入れているのに、泣き声までするとあっては数え役満だ。
 どうも歳の離れた兄達に甘やかされて育ったそうで、彼は泣けば済むと考えているきらいがある。野球拳大好きとマイクロビキニはそれで流されてくれるのかもしれないが、二十年そこそこしか生きていない名前にも同じ対応を求めないで欲しかった。もっとも宥め続けてあげている辺り、既に名前も手遅れになっているのだけれど。
 もちろんみじめにめそめそと泣いている下半身透明を可哀想だとは思うし、慰めてやりたいとも思う。しかし彼は名前より何倍も長生きしている大人だし、明日も仕事があるのに付き合わされていることを考慮すると、どこか素っ気無くなってしまうのも致し方ないというものだ。

 下半身透明が言うには、いきなり見ず知らずの輩に、出会い頭に履いていた足袋を脱がされたということだった。話を聞く分には本当に足袋を取られただけだし、どこぞの変態に持っていかれた足袋が何に使われるのかと考えると気持ちが悪く、下半身に同情こそするが、泣くほどのことでもないような気がする。しかしながら、どうやら吸血鬼にとって、靴下を奪われるというのはかなり重要な意味を持つらしい。
 吸血鬼は自身の持ち物、特に衣類に執着するという。そのため、靴下を奪われるとかなり参ってしまうのだそうだ。下半身透明はその習性により、(彼の場合、靴下ではなく足袋をだが)奪い取られて泣きながら帰ってきたということだ。
「ちょっと何言ってるかよくわかんないな……」
「俺の心配してよおおお!」
 わーん!と大げさに泣いてみせる下半身透明。名前は内心で溜息を吐きつつ、自分用に買ってあった予備の靴下を手渡した。下半身はすんすんと鼻を鳴らしていたが、素直にそれを受け取ったし、普通にその白靴下を履いていた。下半身が宛がった、おそらく爪先であろう箇所に靴下が触れた瞬間、そこにあった筈の靴下は透明になった。少し面白いなと思ったのは内緒だ。
「――つまり、透明な脚に手を掛けて脱がしたってこと? それってめちゃくちゃえっちなのでは……?」
「名前まで俺の人権を軽視するの!?」
 今度は別の理由で喚き始めたが、先程までよりはいくらか落ち着いたようだった。靴下を履いて、多少なりとも気が楽になったのかもしれない。吸血鬼は人間より丈夫だったり、色々な能力を持っていたりするのだが、変なところで厄介な癖があるようだ。靴下を片足だけ失くしたりとかしないのだろうか。

 それから暫くして、下半身透明は泣き止んだようだった。ずず、と鼻を鳴らしている。トレードマークである顔布と、頭に巻いている三角の布を外しているので、目元が赤くなっているのがよく解る。「くそっ、あの女絶対許さねえ……」
「……女?」
 名前が問い返すと、俺の足袋取ってった退治人の女だよと下半身透明は言った。思い出し怒りをしているのか、「次会ったらただじゃおかねえ」とぶつぶつ呟いている。
 退治人は仕事が体力勝負なところがあるからだろう、比率としては男性が多いが、当然女性の退治人も存在する。下半身透明から足袋を奪い、弱体化させた退治人が男ではなく女ならば――彼は見ず知らずの女に脚を掴まれ、足袋を奪われ、そして泣かされたということになる。


 黙り込んだ名前を見て、下半身は何かを察したようだった。「名前ちゃん、今ヤキモチ焼いてる?」
「……別に」
「焼いてるじゃん焼いてるじゃん! 可愛いな〜、名前ちゃんは!」
 先程まで泣いていたのが嘘だったように、下半身透明はイキイキとし始めた。名前が仏頂面になったのがかなり面白いらしい。顔布をしていないせいで、彼がニヤニヤと笑っているのがはっきりと解る。
 名前は今度こそ溜息を付き、「もう寝るからね、おやすみ」と下半身透明に背を向け、さっさとベッドに潜り込んだ。慌てて「俺も一緒に寝る!」と言って同じ布団に潜り込んでくる辺り、あざといというか何というか。それでも為されるがままになってしまうのは、結局のところ惚れた欲目というやつなのだろう。
 靴下を履いた足が纏わり付いてくるのを感じながら、名前は静かに眠りについた。

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