マシュマロはゆうかいす

 作業が一段落し、名前はタブレットを放り出すと、ぐっと体を伸ばした。液タブへ移行してから作業効率は格段に上がったが、元々の姿勢が悪いので、その内腰をやってしまいそうな気がしなくもない。整体とかに行ってみるべきなんだろうかと考えつつ、名前は部屋の中央の来客用ソファーに座り、夢中で同人誌を読み漁っているムチムチした生き物を眺める。
 へんな動物は名前の友人の吸血鬼だ。最初に彼に会った時は「吸血鬼とは……世界とは……」と考え込んでしまったが、今ではすっかり気にならなくなっている。変身能力を持っている、イコール吸血鬼だ。間違いない。
「へんな君」
 名前が声を掛けると、へんな動物は顔を上げ、此方を見返した。「コーヒー淹れるんだけど、へんな君も飲む?」
 ぱっと笑顔になったのは、先程まで部屋の中央に鎮座していた謎の生き物ではなく、金髪の美青年だ。
「あっ、良いですねえ! でも私が淹れてきますよ、名前さんはどうぞ座ってて下さい」
「そう? 場所は解る?」
「解りますよー」
 へんな動物は立ち上がったが、その時には既に元の――美青年姿の方が素顔だそうなので、この言い方はおかしいのだが――芋虫姿に戻っていた。どうやらテーブルの上に積まれていたエロ同人が目に入ったらしい。もぞもぞと、へんな動物はキッチンの方へ歩いていき、名前はそんな彼の白い背中を見送った。

 へんな動物と出会ったのは、数年前の同人誌の即売会だった。開場と同時に真っ先にやってきたへんなは、新刊全部下さいと澄んだ瞳で言い放った。それからも、名前がオフラインのイベントに参加する度、彼は一番に新刊を買いに来てくれた。いつも開場してからすぐに来てくれること、そして彼が目立つ見た目をしているおかげで、へんなのことはすぐに覚えた。SNSでもよく話し掛けてくれ、性癖が合うことなどもあり、名前達はやがてお互いにリアルでもこうして会って遊ぶ仲になった。名前としても、エチエチエキサイト先生の新作について語り合える友達は少ないので、彼の存在は貴重だ。――へんなは確かにドスケベだったが、女の名前が女の子がエッチな目に遭う漫画を描いていても何も言わないので、一緒に居ると気が楽だった。
 この日も、へんな動物は名前の住むマンションに遊びに来ていた。名前の家には名前が作ったもの以外にも沢山の同人誌があり、彼はそれを読みに来るのだ。それから名前と同人誌の感想を語り合ったり、お互いにお勧めの同人誌をプレゼンしたり、一緒に一冊の本を読んだり、ちょっとエッチなアニメの鑑賞会をしたりする。今日は作業があるのであまり一緒には遊べないと言ったのだが、へんなは終わるまで待っていると笑っていた。

 へんな動物が言うには、彼の変身は吸血鬼の中でも群を抜いていて、まさしく万能なのだという。エッチなことを考える力を変身する力に変換しているそうで、名前は理解するのを諦めた。新横浜には常にマイクロビキニを着ている吸血鬼とか、股間に花が生えている吸血鬼とかが居るし、おそらく何でもありなのだろうという結論に落ち着いている。
 そして自分が常に変身をしているのは、自分が煩悩の塊で、いつも変身パワーが有り余ってしまうからなのだそうだ。あのムチムチした芋虫のような姿をしているのも、無意識の産物らしい。
「名前さーん、コーヒー入りましたよ」
「ありがとう、へんな君」
 いえいえと微笑んだへんな動物は、へんな動物という渾名に似つかわしくない美青年の姿をしている。

 名前がじっとへんなを見詰めていると、彼は「何ですか?」と小首を傾げてみせた。最近の名前の漫画に長髪の男キャラが出てこないのは、へんな動物の影響だといっても過言ではない。描こうとすると、どうしてもへんなの顔が浮かんでしまうのだ。もちろんそういう指示があれば、普通に描くけれども。
「何でもないよ」
「そうですか? ――あっ、コーヒーにマシュマロ浮かべておっぱいみたいにして良いですか!? この前食べたのまだあります!?」
「あると思うよ」
「ウヒョー!」
 ぼわ、と一瞬で体積が膨れ上がったへんな動物。いつもの巨大芋虫の出来上がりだ。しかし名前が声を掛けると此方を不思議そうに見下ろし、「はい?」と尋ね返す頃にはじわじわと美青年に変態を始める。正直なところ、ムチムチ芋虫が美青年の姿に変わっていくのは、気味は悪いが見ていてかなり面白い。
「……私のにもおっぱい乗せてくれる?」
「オッケーでえ〜す!」
 心なしか先程よりも早いスピードで、へんなはキッチンの方へ再び這って行った。

 へんながあのピンクの芋虫姿になるのは、無意識の内にHTP(エッチシンキングパワー)が発動してしまうからだという。名前を見て変身が解けるということはつまり、彼は名前を見てもエッチな気分にならないということだ。


 へんなは先日キャンプごっこをした時に余った巨大マシュマロを、二つずつマグカップに浮かべてくれた。そして器用なことに、コーヒーの粉を使って乳首を模す点まで描いてくれた。めっちゃエッチじゃんと名前が褒めれば、吸血鬼としての教養ですよーとピンクの芋虫は照れたように震える。吸血鬼は誰でもマシュマロでおっぱいコーヒーが作れるらしい。
「へんな君」
 名前が話し掛けると、美しい相貌の青年が「はい?」と返事をする。
 ――初めて彼の素顔を見た時は、いきなり見知らぬ美青年が部屋に居てかなり驚いてしまった。エロ同人の導入のようなシチュエーションに、幻覚でまで仕事のことを考えているのかと悲しくなったし、その顔がドチャクソ好みのイケメンだったので本当に自分がどうかしてしまったのだろうと覚悟を決めた。しかし話し始めればただのへんな動物だったので、致命傷を負うだけで事は済んだ。

 どうしてへんなの変身が切れてしまうのかについては知りたかったが、まさか「私にはエッチな気分にならないんだね」などと言うわけにもいかない。そんなことを聞けば完全に痴女だし、自分を見てエッチな気分になって欲しいと言っているようなものだ。へんなは名前と居ても変身しなかったが、名前が描いた漫画には即変身するわけだし、きっとそれでいいのだろう。
「その――へんな君って、此処に居るとき時々変身してない時あるよねって思って」
「えっ……」
 ぽ、とへんな動物が頬を赤らめたのは、名前にとってまったくの予想外だったし、暫くの間どちらともなく黙り込んでしまった。ちなみに、へんなが淹れてくれたおっぱいコーヒーはとても美味しかった。

[ 191/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -