それから数日間、野球拳大好きは名前に会うことができなかった。野球拳は彼女の連絡先を知らないし、そもそも連絡を取って会うような間柄ではない。しかしながら、偶然顔を合わせることがあっても、名前は普段よりどこか素っ気無く、野球拳が話を切り出す前に立ち去ってしまうのだった。
 焦っている兄を見て、下半身透明は「名前の連絡先教えようか?」と言ったが、勝手に聞けば名前は気にするのではないかと思い遠慮した。家は知っているのだから実際に尋ねようかとも思ったし、むしろ実際に尋ねてはみたのだが、名前はいつも日没前に出勤するらしく、野球拳が尋ねた時には家に居なかった。そのまま待っていることも考えたが、月が出ている間に名前が帰ってくるかは不明瞭だったし、そのまま戸口に立っていれば不審者として通報される気がしてやめた。
「それでわざわざギルドから連絡が来たんだ……」

 二人は今、新横浜ハイボールの片隅を陣取り、向かい合って座っていた。
 もしも名前に避けられているのならば、他人の手を借りれば上手く会うことができるのではないかと思ったのだ。そこで野球拳大好きはギルドマスターに頼み込み、向こう一年コユキに野球拳を仕掛けないことを条件に、何とか名前を呼び出してもらうことに成功した(流石に県警に行くことは憚られた)。ダンピールの手を借りたい、そう頼まれてやってきた名前は、野球拳大好きの姿を見てかなり驚いていたようだった。
 別に用があるならトオルくんに言ってくれれば良かったのに、と名前は言った。どうやら避けられていたわけではなかったらしい。
「率直に言うけどよ、俺、まだネェちゃんから返事聞いてねえんだけど」
 ――退治人ギルドの店内には何人かの退治人が待機していて、彼らと、そしてギルドマスターの親子を含め、全員が此方に注目しているような気がしたが、この機を逃せば一生同じ機会は訪れないような気がして、野球拳大好きはそう切り出した。野球拳のそれとは違い、人間の一生は短いのだ。
「……返事って?」名前が言った。
「だから、俺がおネェちゃんのこと好きだって事!」
 小声でそう捲し立てる。しかし、名前は微かに眉を顰めるだけだった。
「……で?」
「で!?」
 私にどう言って欲しいの、と呟く名前に、野球拳の方が困ってしまう。「お前だって、俺のこと好きなんだろ……?」
 名前は返事をしなかった。

 野球拳の絶望が伝わったのか、名前がゆっくり言った。慎重に、言葉を選んでいる。「だって私達、そういうんじゃないでしょ」
「私はダンピールだし、野球拳は吸血鬼でしょ。もしその……一緒に居る、ってことになっても、私は貴方を置いていっちゃうよ」
「そ……」
「それなら、別にこのままでいいじゃん。違う?」
 実際のところ、二人の会話をその場の誰も聞いてはいなかった。野球拳大好きがいきなり催眠を掛けたりした場合に備えている者は居たかもしれないが、少なくともギルドの人間は誰も二人のやりとりを見てはいなかったし、名前が悲しそうに笑ったのを見ていたのも野球拳大好きただ一人だった。

 それなら、と、野球拳が言おうとした時だった。名前が持っていた端末がけたたましい音を立てて鳴り響いた。同時に何人かの退治人の携帯も。街の方で巨大化した吸血鬼が出没したとのことだった。ギルドマスターがその場に居た退治人全員に吸血鬼退治を要請し、名前も吸血鬼対策課として飛び出していった。野球拳は暫くの間打ちひしがれていたが、やがてのろのろとギルドを後にした(既に二人分の料金を名前が支払っていたので更に格好付かなかった)。


 野球拳はただ一言、そう口にすれば良かったのだ。それならば吸血鬼になって、俺と同じ時間を生きてくれと。
 それが憚られたのは、別に名前を思いやったからではない。吸血鬼の人生が人間のそれに劣っているとは思わないし、野球拳はずっと彼女を好きでいる自信がある。それなのにそう口に出来なかったのはただ、あの色の付いた世界を思い出してしまったからだ。陽に照らされた、あの明るい道を。
 吸血鬼になれば、名前があの光の下に出ることはできなくなってしまう。それは嫌だった。彼女には、あの鮮やかな世界がとてつもなく似合うのだ。
「……いや、やっぱ俺に勇気が無いだけか」
 野球拳大好きは一人そう呟いた。

 退治人ギルドを出てから何の気なく歩いていたつもりだったが、どうやら無意識の内に音のする方向へ向かって歩いていたらしい。騒がしさを好むのは、吸血鬼としての習性だ。街に響く騒音に悲鳴や、怒声が混じっているのは、それが吸血鬼退治の最中だからだろう。先程巨大化した吸血鬼が出たと言っていたし、それかもしれない。
 退治人連中が梃子摺っているようだったら野次ってやろう。そんな事を思いながら、野球拳は音のする方へと歩を進めた。それが段々と早足になったのは、知っている匂いを嗅ぎ分けてしまったからだ。そんな事があるわけない、そう思ったのに、目に飛び込んできたのは今にも死にそうな名前の姿だった。

 何らかの要因で、下等吸血鬼が巨大化したようだったが、その被害は大きかった。名前の他にも何人か負傷者が出ていたし、退治人達はからいつものふざけた調子は消え、皆果敢に吸血鬼を倒そうと武器を構えて戦っていた。戦力外通告されたのだろうドラルクは、負傷者の中でも一番酷い有様だった名前――腹部が丸々消えていて、生きているのが不思議なくらいだ――に付き添っていたが、すぐ傍に野球拳大好きがやってきたことに気付くと「おい!」と焦った調子で言った。
「――言っとくけど、ネェちゃんを助ける為なんかじゃねえぞ」野球拳が呟いた。「俺が、お前と一緒に生きたいからこうすんだ」
 ドラルクは「わー見てジョン、ヴィンテージもののツンデレだよ」と隣の使い魔に話し掛け、ジョンも「ヌー」と頷いていた。野球拳大好きはドラルクを殴って砂にしたし、アルマジロは泣いた。そして当然、名前は吸血鬼として生き返った。土下座している野球拳を見て、名前は小さく苦笑したようだった。ちなみに、巨大化した下等吸血鬼は無事に退治され、VRCへと移送されることになった。

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