「良かった、トオルくんの所に行ったのかなって思って、この道通れば会うかなって思ったんだけど、良かった本当に居て。ほんと無茶ですよ、こんな昼間に吸血鬼が出歩くの……ねえ聞いてる?」
「あー……」
 名前は顔を顰めた。駄目そうだ。

 診察を受け、病院を後にした名前は、そのまま自宅に帰ろうと一度は思ったものの、すぐに考え直し、家とは違う方向へと歩を進めた。
 万が一、万が一ということがあるかもしれないからだ。
 野球拳大好きは日光耐性がある方だなどと豪語していたが、日光は吸血鬼の最大の弱点だと言っても過言ではない。もしも彼に、何か取り返しの付かない事が起きてしまったら――名前の想像は当たらずとも遠からじというところで、新横浜ホラー・ホスピタルへの道中で、野球拳は電柱にぐったりと寄りかかっていた。
 反応が芳しくない野球拳大好きの手を引き、無理矢理日陰へと連れ込む。周りの市民達からはかなり怪訝な目で見られたが、構ってはいられない。
「……ネェちゃん、手ェ冷たくて気持ちいいな……」
「あんたの方が体温低い筈なんだけども!?」
 熱中症になりかけているらしい。もっとも吸血鬼は人間の病には掛からない筈なので、太陽光にやられて熱中症のような症状が出ていると言う方が正確だろう。無駄に厚着している服(野球拳を有利にする為らしい。馬鹿じゃないかと思う)を脱がそうとすると、流石に抵抗があったのか、野球拳大好きはのろのろと自分で服を脱ぎ始めた。

 水を買って戻ると、野球拳は幾分か薄着になっていた。本当に下に何枚着てるんだこいつ。
 渡しておいた血液剤は全て飲み下したらしかった。もっともダンピール用のものなので、栄養剤代わりにもならない。無いよりはまあいくらかマシ、というレベルだろう。生憎と吸血鬼用の飲料は販売していなかった。
「やっぱり迎えを呼びますよ、倒れられたら申し訳ないし」
「いや……弟がビキニで待ってんだ……」
「勝手に着てるやつだろそれは」
 座り込んだまま「このまま帰る」と言い張る野球拳に、名前は小さく溜息をついた。


 野球拳大好きを背負って現れた名前に、吸血鬼下半身透明と吸血鬼マイクロビキニ、そして地縛霊のあっちゃんはかなり驚いたらしかった。
 結局、強情な野球拳を説得できず、名前は彼と連れ立って矢部病院へと向かった。最初は腰を支えて歩いていただけだったのだが、次第に肩を貸すようになり、最終的には彼を背負って廃病院へと赴くことになった。新横浜ホラー・ホスピタルのその入り口の、日の光が当たらないギリギリのところで、彼の弟達は兄の帰りを待っていた。
 拳兄!と、今すぐにでも駆け寄りたいといった様子の下半身に内心で首を傾げつつも、名前は急いで彼らの待つ日陰へと足を向けた。
「着いたよ野球拳、トオルくんのとこ」
「……あー……」
 野球拳大好きは暫く何も喋らなかった。下半身透明に「拳兄のアホ! こんな時間になるまでどこほっつき歩いてんだ!」と怒鳴られても、何の返事もしない。返事をする気力も無いのかもしれなかった。ちなみに、吸血鬼マイクロビキニは未だ沈黙を守っている。野球拳が口を利いたのは、名前が彼を弟達に任せようと、背から降ろそうとした時だった。「ネェちゃん、俺の棺桶、あっちにあるから」

 野球拳が指差した先には、確かに部屋があった。元は病院の受付だったスペースのその奥で、名前が入ったことがない場所だ。棺桶があるということは寝室に当たるのではないかと思うのだが、他人が勝手に入って良いものなのだろうか。別に吸血鬼の住居へ足を踏み入れることへの忌避感は無いが、つい半日ほど前にモラルを説いた手前、他人の寝室に入ることに対しかなり躊躇を覚える。しかし、名前以上に驚いていたのは下半身透明だった。
 下半身は先程迄の怒りモードと違い、困惑し、そして何故かどこか怯えているようだった。「け、拳兄それはちょっとまずいって……!」
「そうですよ、正直背負って歩くのもう限界だし、あとはトオルくん達に――」
「此処で降ろされたら俺はこのままお前の背中で吐く」
「どんな脅し!?」
「拳兄!?」
「絶対ヤダ……えっ、ほんとヤダ絶対やめて下さい!」
「………………」
「ちょっとねえ!」
 名前と、そして下半身透明がギャアギャアと喚き、あっちゃんが不思議そうに見詰める中、ただ一人沈黙を守っていた吸血鬼マイクロビキニが、「もう良いだろう、さっさと愚兄の言う通りにしてやれ」と口に出したことで、諍いは終了となった。

 仕方なく、名前はしっかりと野球拳大好きを背負い直し、指し示された関係者以外立ち入り禁止の扉を潜ることにした。知人とはいえ、プライベートゾーンに土足で踏み入るのはかなり気が引ける。
「女」
 そう名前を呼んだのはマイクロビキニで、名前が振り返ると、彼はただ一言、「そいつの部屋は手前から一番目だ」と言っただけだった。彼の表情はマスクに隠れ、上手く読み取れない。名前はありがとうと礼を言ったが、ビキニは返事をしなかった。

 マイクロビキニに言われた通り、名前は野球拳が使っているという部屋を訪れた。
 元は事務室か何かだったのだろうそこは、寝室と言うには些か広い空間だった。ベッドは存在しないし、窓は一つもない。しかしその代わり、部屋の中央には西洋式の棺桶が鎮座している。蓋は開いていた。
「あー……」野球拳がぼやいた。「ありがとうよ、おネェちゃん」
 野球拳大好きはまだふらふらしてはいたが、少なくとも自分の足で立てるほどには回復していた。太陽の光が届かなくなったことで、削られていた体力が徐々に戻ってきたのだろう。一応手を貸してやりながら、彼が棺桶に横たわるのを手助けする。棺桶は長身の野球拳が寝そべってもどこか余裕があり、存外寝心地がよさそうだった。
「……これで良いの? 何か食べてからとかの方が……」
「いい、いい。寝てれば治る」
「そう……」
 今日は本当にどうもありがとう、名前がそう言うと、野球拳大好きは目を閉じたまま小さく手を振った。それから名前は言われるがまま、傍に立て掛けてあった上蓋を持ち上げ、ゆっくりと棺桶に被せる。蓋が閉ざされる瞬間、野球拳が何かを呟いたようだったが、彼が何と言ったのか名前には解らなかった。


 下半身透明は長兄と、そして長兄を背負ったダンピールの女の姿が見えなくなるまで見送ってしまった。二人の姿が完全に見えなくなり、声も聞こえなくなっただろうという頃、漸く「はー……」と長い溜息を吐き出す。それから傍に立つ次兄を見上げた。「ミカ兄は、もっとキレて泣き出すかと思った」
「何?」
 マイクロビキニはそう言葉少なに返したが、下半身の言葉に傷付いたようでも、怒ったようでもなかった。こうしていると(格好以外は)まともそうに見えるのに、何故普段はああなのか。「もっと癇癪起こすと思ってたってこと」
「いいの? 拳兄が、あいつとどうにかなっちゃっても」
「あの娘はそもそもお前の友達という話だったと思うが」
「そうだけど……」
 口篭った下半身を、あっちゃんが不思議そうに見下ろしていた。彼女には、兄弟間のあれこれは未だ理解し難いことらしい。マイクロビキニは弟の言葉を待ったが、下半身透明が黙り込んだのを見て言葉を続けた。
「愚兄を連れ帰って来たのは確かだろう。それに、いい加減……」
 今度はマイクロビキニが黙ってしまった。二人共が口を閉ざし、近い将来に“そうなってしまった時”のことを考える。正直、かなり微妙な気持ちだ。名前は確かに気の良い奴ではあるし、仲良くなれば血を吸わせてくれたりするかななんて思っていたりもしたが、まさか、自分の兄とそんな事になるなんて。しかし、ビキニが言った通りなのだ。いい加減――拳兄には、自分の人生を歩んで貰わないと。

 顔布の下、複雑な表情を浮かべていた下半身透明だったが、次兄がぽつりと呟きを漏らしたことで現実に引き戻された。「……だが」
「だがもし、あの娘がアレに害をなすようなら、まあ……な」
 マイクロビキニの言葉に、下半身透明はニヤッと口の端を吊り上げた。

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