歳の離れた弟が職質されてる現場に遭遇したらどうする? 俺だったら無理矢理にでも割って入って何とか見逃してもらう。
 遠目に見える白装束の元へと足早に向かいながら、野球拳大好きはいくつか言い訳を考える。弟はコスプレが好きなだけなんだ→何でこんな道端で?→VRC。弟が一般人なのは俺が保証するよ→そんなポンチ柄の服着た吸血鬼が何を保証すんだ→VRC。詰んだ。
 どうにもならなそうだったら、最悪自分があの警官(吸対課だ、終わった)に野球拳を仕掛け、場を有耶無耶にして弟を逃すしかないだろう。断じて婦警と野球拳がしたいからというわけではない。しかしながら、此方に気付いたらしい弟、下半身透明が「拳兄? どうしたの、そんな神妙な顔して」と不思議そうに言ったことで、出鼻をくじかれてしまった。

 ブロック塀に阻まれて見えなかったが、どうやらあっちゃんも一緒だったようだった。下半身透明とあっちゃん、そして職質していたらしき吸血鬼対策課の女が、それぞれ野球拳大好きを見返している。彼らの間には実に和やかな空気が流れていて、今まで職務質問が執り行われていたという様子ではなかった。
 いや、と口篭った野球拳大好きに、下半身透明は小首を傾げてみせる。

 沈黙を破ったのは吸対課の女だった。「お兄さんなんだ」
「そうだよ」下半身透明が答えた。「一番上のね」
「ミカ兄……マイクロビキニって言ったら伝わる?」
「あー、あの、年中ビキニ着てる寒そうな人?」
「そうそう。あれも俺の兄貴」
「へえ〜」
 どうやら弟の知り合いだったらしい吸対課の女は、名前こそ知らないものの、野球拳大好きとしても見知った顔だった。神奈川県警の吸血鬼対策課といえど、ダンピールの数はそう多くない。彼女に連れられ、VRCまで移送されたことも何度かある。「三人とも催眠術使いだもんね」

 それから、下半身透明は改めて吸対課の女を紹介した。名前は名前だということ。新横浜ホラー・ホスピタルの常連で、時々こうして話すようになったのだということ。「トオルくんみたいに吸血鬼の人が監修してると、きっちり暗くて良い感じなんだよね」と名前は笑った。曰く、夜目が利く方なので、普通のお化け屋敷だと見え過ぎてしまうのだそうだ。
「矢部病院、適度に人居なくて良いんだよね」
「うわっ、それ失礼だよ、シツレー」
「ごめんごめん」
 けらけらと笑い合っている。彼らは意外にも仲が良いようだった。下半身透明が他の吸血鬼と一緒に居るところは見た事があるが、こうしてダンピールとじゃれ合っているのは初めて見た。しかも女で、その上本名まで教えている。
 末弟の成長を感じつつも、野球拳大好きが内心でほっと息をついた時だった。ピカッ、と、まばゆい閃光が走る。反射的に、野球拳は下半身透明の前に立とうとした。しかしそれよりも先に、名前の方が野球拳達の前に立っていた。後から聞いた話だが、一般市民を危険な目に遭わせてはいけないと思ったかららしい。

「おやおや、女性の前で恥ずかしがるケンくんが見たかったのに」
 顔馴染みの吸血鬼――吸血鬼Y談おじさんはそう言って、わざとらしく肩を竦めてみせた。野球拳大好きは言い返そうとしたものの、それよりも先に名前が口を開いた。「歳下の男の子に頼られたい!!!」


 下半身透明が「えっ、何て?」と恐々聞き返したのと、名前がパッと口を押さえたのと、Y談おじさんが腹を抱えて爆笑したのは殆ど同時だった。
「ぅ……せ、制服を……ぐっ……」
「……名前?」
「ワハハハハ! まさか吸対課のお嬢さんからこんなに初心なY談が聞けるとはねえ!」
 Y談おじさんの催眠術の影響で、今の名前は何を喋ろうとしても、発声の直前にY談に変換されてしまうようになっていた。強制的に動かすという点では野球拳の催眠とよく似ているが、彼の場合は対象の深層心理まで詳らかにしてしまうのでタチが悪い。名前の顔は今や、羞恥と怒りとで赤く染まっている。
 そうこうしている内に、Y談おじさんは颯爽と逃げていってしまった。後には口を押さえたままの名前と、そんな名前に心配そうに話しかけている下半身透明とあっちゃん、そして野球拳大好きが残された。弟妹達の様子を眺めながら、返事がしたくても出来ないのだから、話し掛けるのは逆効果ではなかろうか、と暫し考える。
 歳下が好きなのか――そんなことを思いながら、野球拳は自らの右手を差し出した。「よよいのよい!」

 いつもなら辻野球拳になど絶対に応じない吸対課の名前も、動揺していたからだろう、野球拳大好きの突然の催眠に掛かってしまった。困惑顔で、制服の上着を脱ぎ出した名前。「拳兄……?」末弟がドン引きした表情で見てくる。やめて欲しい。
「ほら、これでおネェちゃんも普通に喋れる筈だぜ」
「……えっ、あれ、本当だ……」
 ハッとなった名前は、未だ顔を赤くさせていたが、野球拳大好きを見上げ、「ど、どうもありがとう……」とごにょごにょ言った。
 ――野球拳大好きはもう、自分でも何がなんだか解らなかった。Y談をさせられて恥ずかしがっている様子がよほど性癖に響いたのか、突然野球拳を仕掛けられて此方を見返した時の困惑顔がツボに嵌ったのか、それとも咄嗟にY談波から庇われて、それが――。「まあそれとこれとは話が別でこのまま野球拳は続けるけどなブェーーーー」
 名前が放った会心の一撃は野球拳大好きの脳天を揺らし、野球拳はそれから暫くの間、末弟から白い目を向けられるようになった。

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