読書家共の戯れ

 ロドス中を歩き回った末、探していた相手が一オペレーターの宿舎でちんまりと腰掛け、漫画を読んでいる光景を目にしたマウンテンは様々な感情に苛まれた。留守にするならするで同室の――名前と同室であるカシャは、「知らないよ」と迷惑そうに言うだけだった――人間には行き先を伝えておいて欲しいし、何か事件にでも巻き込まれたのかと心配した気持ちを返して欲しいし、挙句何度呼んでも返事すらしないのは流石に失礼ではないかとも思う。
 マウンテンがフー、と低く溜息を吐いても、名前は黙々と漫画を読み続けている。その首根っこをつまみ上げてやれば、漸く「わ、アッ!?」と悲鳴染みた声を上げた。「マ、マウンテン!?」
「びっくりした、いきなり何をするの!?」
「失礼。ですが、何度もお声掛けはしたのですがね」
「そうなの? 全然気が付かなかったよ」
 名前は最初こそ驚いた様子をみせたものの、今はケロっとしていた。漫画は手にしたままだし、マウンテンが下に降ろせば、何事も無かったかのように読むのを再開するのは目に見えていた。今彼女がマウンテンを見返しているのも、本を読みづらいから用があるならさっさと終わらせてくれないかなとか、そういう理由だろう。
 マウンテンの白い尾の先が小さく揺れる。

 マウンテンと名前は友達、言わば読書友達だった。マウンテンは元々本を読むのが好きだったが、長い禁欲生活でその嗜好は更に増長された。
 ロドス・アイランドはその艦一つが移動都市の様相を呈しており、艦の中には図書館も設けられていた。ロドスの図書館は、かつてマンスフィールドに作らせたそれとは比べ物にならないほど蔵書数が多い。何でも、経費で新しい本が入荷されることもあれば、オペレーターが読み終わった本を寄贈することも多いのだとか。その上、拠点が各地に点在している関係から、各国の書籍が所狭しと並べられている。足繁く図書館に通うマウンテンを見て、司書の仕事をしているオペレーターが「他にも本が読みたければ彼女を訪ねてみると良い」と言い、紹介されたのが名前だった。
 マウンテンは読書が好きだったが、名前は活字であれば何でも好きという無類の本の虫だった。新聞も十種以上購読していたし、小説に始まり料理本や説明書、果ては医術書まで節操無く読み漁っている。彼女が言うには、ロドスから支給されている給料は全て本に費やしているのだとか。そんな馬鹿なと思ったし、だからこそ二人は意気投合した。
 ロドスの図書館に寄贈された本は、その四割ほどが彼女の寄贈したものらしい。つまり、新しい本が読みたければ彼女の元を尋ねるのが手っ取り早いというわけだ。今では、図書館よりも先に彼女の部屋に足を向けることの方が多かった。
「補給担当の人にね、頼んでるんだよ。あの本買ってきてって」
「なるほど」マウンテンは頷いた。「艦から出られる人間は限られますからね」
「うん」
 支援オペレーターの彼女は、いつもクロージャの後を追い掛けている。壊れたものを修理したり、ロドス内を快適に保つのが名前の仕事だ。共用スペースの照明を整備したり、古物商から引き取った年代物の家電を直したり、制御室に缶詰になったり。いつもロドス中を走り回っていて、マウンテンのように前線に出ることも無い。当然、自分で新しく本を買うこともないのだ。
 彼女の部屋は、同じザラック人のオペレーターが共同で暮らしている。しかし彼女のスペースは本に埋もれていて、よくまあ同室の面々が許容しているものだ。分厚い本がうず高く積まれているし、その塔はいくつもある。また、それらの本は、マウンテンが今腰掛けている名前のベッド――彼女達は皆小柄なので、マウンテンが座れるものはこの部屋にはベッドしかないのだ――にまで侵食している。
「そうだ、マウンテンの分も頼んであげようか」
「いえ、お気遣いなく。まだ図書館の本を全て読破したわけではありませんし、こうして名前の所に来れば、新しいものが読めますからね」
「ず、ズル…!」
 そう言った名前は、口で言うほどショックを受けたわけではないようだった。その証拠に、名前はマウンテンの来訪をいつでも歓迎してくれる。――彼女が小さな体を更に小さくさせ、真剣に本を読んでいる姿を見るのが、マウンテンは一際好きだった。

 小柄なザラックは、一人の大きな虎に持ち上げられても少しも気にしていないようだ。小首を傾げたまま、マウンテンの言葉を待っている。「……異性の部屋で長時間、しかも二人きりの空間で読書に耽るのは感心しませんね」
 二人が今居るのは重装オペレーター、スポットの自室だった。突然自身のことを指されたスポットは、煩わしそうに鼻先をひくつかせる。
 彼の部屋には漫画が単行本でいくつも揃えられている。蔵書量自体は名前に劣るが、正直なところかなりの量だ。マウンテンが今まで読んだ漫画全てより多いだろう。漫画が好きなオペレーターが彼に借りに来るのは日常茶飯事だったし、名前だってその内の一人だった。本が好きな名前は、当然漫画だって大好物だ。今も、彼女の周りには読み終わったのだろう漫画が散らばっている。此処に居るかもしれないと教えてくれた名前の友人が言うには、割とよくある事なのだという。名前がスポットの部屋に入り浸るのは。
「……うん?」名前は不思議そうに言った。「マウンテンも、暗くなるまで私の部屋で本読んでるのに……?」
「それは別の話でしょう」
「別? 別なの? どうして?」
「それは……」
 二人の会話を打ち切ったのは、この部屋の主であるレプロバだ。スポットは苛々とした様子でマウンテンに紙袋を押し付けた。袋はずしりと重く、中には単行本が何冊か詰まっている。「どうでも良いからさっさと帰ってくれ」


 スポットの部屋を出てからも、名前は暫くの間漫画を読んでいた。マウンテンにつままれたまま。しかしながらやがて静かに漫画本を閉じる。「酔っちゃいそうだよ」
「マウンテン、迎えにきてくれたの?」
「貴方が部屋にいらっしゃらなかったのでね」
「ふうん」
 マウンテンが運んでくれると楽ちんだよと、名前は笑う。

「嫉妬しちゃった?」
「は?」
 名前が小さな手を伸ばし、マウンテンの右手をぽんぽんと叩く。彼女の求めに応じ、廊下に下ろしてやると、名前はふうと息をついた。当然のことながら、とても心地よい体勢というわけではなかったらしい。「名前さんが取られたと思って、嫉妬しちゃった?」
 言葉を失ったマウンテンに、名前はふふふと笑ったようだった。それから二人は歩き出す。マウンテンの一歩は、名前の三歩と半分だ。ぱたぱたと先を歩く名前に、マウンテンは眉を顰める。――降ろすのではなく、抱え直せば良かった。名前の鼓動一つ、吐息の一つすら聞き逃したくない。
「……ええ。嫉妬しましたよ、実にね」
「………………」
「そこでだんまりはやめて頂きたい」
 此方をちらりと振り返った名前の頬は、微かに紅潮している。「マウンテン、案外我が侭だよね」
「おや、今頃気が付かれたのですか。ええ、この通り、何不自由なく育てられた箱入り息子ですので」
「……ふふ、おっきい箱だあ」
 名前が言うには、スポットから漫画は借りたいものの、自分の部屋まで持って帰るのはかなりの手間なので、そのまま彼の部屋で読ませてもらっているという事だった。マウンテンが運搬の手伝いを申し出れば、何がおかしいのか暫くの間笑い続けていた。

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