ドードー鳥の挽歌

 思わず、「ぅわ、」と、小さく声が漏れた。「ぁ、う……す、凄い! 凄いですよ矢野さん!」
 突然大声を上げた名前に、矢野はかなり面食らったようだった。ぽかんとした表情のまま、口を開けている。人差し指も、半端に伸ばしたままだ。
 何が起こったのかを理解していないらしい彼に、名前は簡単に説明した。至極早口になってしまっていたが、興奮している名前は気が付かない。「SRが出たんですよ! 一番レア度の良いやつです! 私このゲームすごく嵌っててずっとやり続けてるんですけどドードーはまだ凸れてなくて、あっ、凸っていうのは同じキャラ同士を重ねて強くできるんですけどそれの上限を突破したってことで、つまり一番強く出来たんです!」
 矢野が自身の担当する患者でなければ、今すぐハグしたい気分だった。ヤの付く自由業の人間だろうと何だろうと、知ったこっちゃない。今ならあの憎きドブにだって、名前は満面の笑みでお礼を言えるだろう。それくらい、名前のテンションは最高潮に達していた。

 ズーロジカルガーデン、通称ズーデンをプレイし始めてから早幾年。元々動物が好きで、動物のゲームなのだなと軽い気持ちで始めたアプリゲームだったが、いつしか名前はズーデンの虜になっていた。勤務中以外は文字通り寝る間も惜しんでプレイしている。
 少しくらいなら大丈夫と千円いくらの課金をし、それが今では息をするように大金を注ぎ込むようになっていた。今までの課金額がどれくらいなのかを考えたことがなかったが、恐らく車は何台か買えるし、もしかすると小さな家くらいは建てられるかもしれない。貯蓄を費やし、生活費を削り、消費者金融に手を出した。その中の一つがかなりグレーな団体で、本来ならその辺りで人生が終わっていてもおかしくなかったのだが、幸か不幸か――おそらく、不幸の類だ――ドブが手を貸してくれたので、今のところ名前はまだ医者を続けている。
 依存は健康に良くないですよ。自分の心とうまく付き合っていくことが大切なんです。一緒に頑張っていきましょう。等々。そんな風に、名前は自身の病院を訪れた患者に声を掛ける。まったくもってどの口がという話だが、それが仕事なのだから仕方がない。

 今、名前はちまちまとドブに借金を返しながら生活をしているので、なかなかズーデンに課金できないでいた。なので当然ランキングはとても高いというわけではないし、所持キャラクターだって完全に揃っているというわけではない。期間限定の最高レアリティのキャラクターなど最たる例だ。矢野にガチャを回させたのだって、ズーデンを知らないらしい彼なら物欲センサーが発揮されないだろうと考えたからで――。
 名前は漸く口を閉ざした。自分を黙って見返している矢野の存在を思い出したのだ。彼の口は未だ半開きだ。

 矢野はドブの部下にあたる男で、曰く、精神的に不安定な部分があるのだそうだ。確かに薬物に手を出していたようだし、彼の言動には色々と難があった。ストレスから来ているのであろう潔癖症も、未だ良くなる兆しを見せていない。
 しかしながら、矢野が名前の診察を受けるようになってから既に二年余りが経っていて、彼の症状は当初と比べると随分と和らいでいた。最初は名前との会話ですらまともに成り立たなかったが、最近では彼の方から話題を振ってくることもあった。大半がドブの話、自分を救ってくれたのだという父親の話、それから最近できた関口某という弟分の話だ。時折聞こえてくる物騒なワードにさえ耳を閉ざせば、そう難儀な患者というわけではない。いずれにせよ、矢野が返却した薬であるという名目でドブから向精神薬を買い取っている為、矢野はどれだけ症状が良くなろうと、月に一度は名前の病院に来なければならないのだが。ちなみに、ドブがどこから大量の向精神薬を仕入れているのかについては怖いので尋ねたことがない。
「ガチャだかヤノには意味不明 捨て身で注ぎ込むマネー ゲームは嫌いじゃないが たかだか数百キロバイトのドット画像 ダセエ連中跳梁跋扈 頭の中がファンタジーか? けど良かったな? センセーが喜んでくれてヤノも嬉しいよ」
 ニコ、と笑顔を浮かべてみせた矢野に、名前も「あ、はは」と笑みを返した。時折忘れそうになるが、彼はドブの部下、もとい舎弟だ。機嫌を損ねないに越したことは無い。

 名前は恐る恐る矢野の様子を伺ったが、気分を害した様子はなかった。それどころか、何故だか普段より機嫌が良さそうだ。韻も踏んでいるし――名前が自身のズーデンのガチャを矢野に回させたのも、喋っている内に段々と気分が沈んできたのか彼が韻を踏まなくなってきた為、気分転換になればと思ったからだった。どういうわけかラップ調で話す矢野だが、逆に調子が悪い時は韻を踏まずに喋るのだ。彼が普通に話し出した時は危険信号であると名前は捉えていた。
 診察が終わると、矢野は丸椅子からぴょんと飛び降りるように立ち上がり、それから「じゃ、またなセンセー」と手を振って去っていった。彼に対し、名前はいくつか思い違いをしていた。仮に彼の機嫌を損ねても次の日首と胴体が泣き別れになることはないだろうだとか、ライムが刻めていないのは危ないシグナルなのだろうだとか。



 鉄骨の後ろに回された両手は頑丈に縛られていたし、ご丁寧に両足首までもがガムテープでぎちぎちに拘束されていて、名前に出来るのは上機嫌に一人喋り続ける矢野を見上げることだけだ。矢野は特別背が高いわけではなく、むしろ成人男性にしては平均よりも低い部類なのだが、地べたに座らされている名前にはかなり大きく映った。身動き一つ取れない現状では、余計に。
 突然口を塞がれ、力任せに気絶させられ、次に目を覚ました時にはこの状態だった。此処がどこなのかも解らない。何が悪かった? 何をやらかした? 怯える名前を余所に、矢野は上機嫌に話し続けるだけだ。「考えたよ俺」
「俺達二人の可能性 天啓だった妥協点 センセーあの時めちゃくちゃ喜んでくれたじゃん? それともエラーか? けど普通半透明 な奴に何されようとどうとも思わないわけよ それが賢明な俺の最適解」
 テンションがハイになっている。名前は今の矢野の状態を正しく理解した。もっとも、理解してしまったという方が正確かもしれない。口は止まることなく回り続けているし、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと落ち着きが無い。名前は長期に渡る診察で矢野という男のことを知ったつもりになっていたが、結局つもりになっていただけだったのだ。
 本当に、いったい何が悪かったのだろう。医者になってしまったこと? アプリゲームに山のように課金してしまったこと? 自分は悪運が強いのだと錯覚してしまったこと? 暴力団に属している男と良好な関係を築けていると思ってしまっていたこと? それとも――ドードーを引いてしまったこと?

 矢野が背を向けた隙に、一縷の望みを掛けて彼の背後に控える大柄な男に目を向けるも――おそらく、彼が関口という男だろう――我関せずといった調子で此方を眺めているだけだった。矢野が再び名前を見下ろす。
「アンタは救ってくれたよ俺の事 けどな巣食っちまったよ俺のココ あの馬鹿言ってた確かだ納得アンタはヤノの生きてる証拠だ知っとくよ ほらよく言うだろ? 信じる者は巣食われるって だからアンタも信じろ? ヤノの事」
 矢野が屈み込み、視線が交じり合う。そのまま近付いてくる彼から逃げるように身を引こうとしたが、手足が拘束されているのでもぞもぞと不恰好に動くだけだ。ガムテープで塞がれたままの名前の口を、矢野がべろりと舐め上げる。「センセーとは、もっと仲良くなりたいなって思うんだよね。you know ?」

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