新宿にて

※本編ネタバレ

 これはドブさんには絶対に秘密なのだけれども、私は正直、美味しいものというのがよく解らない。ファーストフード店で食べるハンバーガーとオレンジジュースも、ドブさんが適当に投げて寄越したパチの景品のスナック菓子も、良いとこ連れてってやるからと言われて食べた刺身盛りも、ドブさんが食べさせてくれるものは何もかも美味しい。美味しくないのは食べられないもの、それだけだ。
 こういうのを世間では、貧乏舌とか、馬鹿舌とか言うのだと思う。
 ドブさんがご馳走してくれたのだからこれはきっと美味しいものなのだろうと、そう思いながら今日も食べている。


 ふわふわの白身に、醤油の香りの残る甘いタレ。新宿の片隅で、名前はドブと二人向かい合って座っている。特上のうな重をぐちゃぐちゃに噛み砕きながら、「いや」と名前は小さく言った。ごくん。
「だって、もう無いんですもんもういい感じの動物。ケープライオン、ニホンオオカミ、リョコウバト……」
「無いって事はないだろ。名前ちゃん、今もう令和だよ? レッドリストは毎年更新されてるしさ」
「うー……」
 名前が唸っていても、ドブはどこ吹く風だ。「まあまあ頑張ってよ。名前ちゃんだけが頼りなんだからさあ」
 ドブはよく、「名前ちゃんだけが頼りなんだから」とか、「お前が居なくなると困っちゃうよ」などと口にする。彼のそういった台詞の大半が方便なことは解っているのだが、時折どこまでが嘘なのか解らなくなってくる事がある。先日彼がぼそりと言った、「俺のアガリの3パーはズーデンで出来てんだよね……」という言葉は、果たしてどこまでが嘘なのか。
 ズーロジカルガーデン、通称ズーデンは、数年前に名前が開発した簡単な育成ゲームだ。プレイヤーは動物園の管理者となり、動物を模したキャラクターを各々育てていく。そしてパズルのステージをクリアすることで新しいキャラクターが手に入ったり、ストーリーが読めたり、自分のフィールドの模様替えができたりする。つまりは、どこにでもある普通のアプリゲームだった。もっとも好きな人間には堪らない代物らしく、数百万単位で課金しているプレイヤーも居る。そしてドブはそれに目を付け、今ではズーデンの売上のいくらかが彼の懐に入っている。別に元々名前はさほど金に執着がなかったし、ドブを通じ、世話になった育英会にほんの少しでも恩が返せているのであれば、それに越したことはない。
 ちなみに、ドブ自身もズーデンをプレイしているようだった。最初はおまけでしかなかったランキング要素だったが、ドブはリリース当初からランキング上位に食い込んでいて、ここ数年は彼のアカウントが常に一位を占めている。もっとも名前から受け取ったズーデンの売上で課金しているので、完全に意味が解らない。彼が言うには、ランク上位を目指す為にリアルマネーを注ぎ込む人間も居るので、常に格上の競争相手は存在していなければならないのだとか。それにしては二位以下に差をつけすぎなのではと思うし、ズーデンのランクは課金をしていれば保てるというものでもないので、(ドブ本人ではないにしろ)相当の時間を費やしているのではないかと思うのだが。

 今でこそズーデンの運営会社を立ち上げ(これもドブからの指示によるものだ)、定期的にイベントを開催したり(これもドブの指示)、様々な要素を追加していったりしているが(これもドブ)、大元の殆どは名前が担っている。ドブが社員にと寄越してくれた人材は、数字に異様に強かったり、妙に法律に詳しかったりするのだが、ゲーム内容には口を出して来ないのだ。結局、新しいキャラクターなどは全て名前が考えなければならなかったし、その他諸々ゲームの運営方針については全て名前が決めなければならなかった。ドブが言うには、名前が自分で行っていることが大事なのだそうだ。怖いのであまり詳しくは聞いていない。
 ズーデンは動物園をモチーフにしているため、登場するキャラクターは全て動物になっている。購買意欲を駆り立てる為のギャンブル要素、つまりガチャを成立させる為には、キャラクターにレアリティが必要だ。絶滅が危惧されている動物ならSR、既に絶滅している動物ならSSR。ゲームを運営していくのに必要なのは、いかにこの最高レア度のキャラクターを魅力的にするかということだった。
 地球上ではありとあらゆる生物が絶滅してきたわけだが、所持欲をくすぐるような愛らしさを伴ったキャラクターに作れるかというと、これがかなり難しい。名前はもうそんな動物は出し尽くしたと思っているし、元々は儲けようと思って作ったゲームではないので、リリース時の雰囲気を壊さないよう作り続けようとするとかなりの気を遣うのだ。
 初期のSSRにドードーを実装したのが不味かった。元々の動物にストーリー有り、愛らしさ有りで満点過ぎたのだ。あれに釣り合うように実装しなければならないのだから、かなりの苦労を伴う。もちろんドブに言われたからにはやる、やるのだが、限界はあるとも思っている。
「もうワンチャン私が絶滅させるまでありますよ」
 鰻を箸で持ち上げながら名前はそう口にしたが、ドブは笑うだけだった。冗談だと思ったらしい――ニホンウナギは絶滅危惧種だ。
「歴史に名を残しちゃうなァ。アプリの為に種を絶滅させた女って」
「残っちゃいますかねえ」


 この日ドブが食事に誘ってくれたのは、偶然名前のことを思い出したからというだけだったのだろう。近くに居て、邪魔でなく、安物でも満足する女。
 名前は駅前のチェーン店の牛丼で良かったのだが、それが高級鰻に化けたのは、たまたま街で会ったドブの女が名前を見て激昂し、そのまま名前を殴りつけたからだろう。
 曲がりなりにもドブと付き合いがあるのなら、名前が単なる金ヅルであることは一目で解っただろうと思うのだが、それでもその女には我慢し難いことだったらしい。流石にドブに手を上げる勇気はなかったのか、矛先が名前に向いたのだ。当然プログラムを組むしか能が無い名前は甘んじて平手を受け入れたし、その後ドブがその女に殴り掛かっていったので意味が解らなかった。――この鰻は、彼なりの一応の侘びということらしい。

「ドブさん」名前がそう呼び掛けると、ドブはスマホから目を離し此方を見た。この日は個室を取ってくれたので、名前も色々と気を回さなくて済む。名前はにこりと笑った。「鰻、美味しいですねえ」
「……ふーん、あっそ」ドブが言った。
「名前ちゃんでも流石にこんだけお高い鰻の美味さは解るんだなあ、いやあ良かったよお前何でも美味いっていうからさあ。ドブさんも奢ってやった甲斐があるよ、ほんと」
「ドブさんが奢ってくれるご飯は何でもおいしいですよ」
「………………」
 お前何で今日殴られたか解ってんのかよ、とドブは低く呟いたが、名前の耳には届かなかった。

 「ドブさんと居ると、父さんが生きてたらこんな感じだったのかなって思うんですよね」と名前が言うと、ドブはとびきり嫌そうな顔をした後、「そんな歳ではねえんだわ」と名前の額を軽く小突いた。

[ 185/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -