酔いどれどもが夢の跡

 始め、べろべろに酔っ払った名前達を見て、タクシーの運転手はかなり乗車拒否したそうな雰囲気を醸し出していたが(実際にぶつぶつと文句を垂れていた)、結局は名前のマンションに着いてからも手を貸してくれた。曰く、「面倒なことに巻き込まれるよりはマシ」だそうだ。正直なところ、かなり助かってしまった。山本は名前よりずっと背が高いし、体格も良い。エレベーターがあるとはいえ、名前一人では彼を運ぶのに一晩中掛かってしまったかもしれない。
 運ぶ間、脚をずるずると引き摺ることになってしまったが、山本は少しも目を覚まさなかった。やまもと〜、と声を掛けながら――というより呻き声を上げながら、名前は何とか山本を自分の部屋に運び入れた。ベッドに横たわらせ、靴を脱がせる。噴き出す汗が気持ち悪い。

 山本は高校の頃の同級生だった。もっとも当時は交流があったわけではないし、ひょっとするとお互いに存在すら知らなかったかもしれない。社会人になってから数年後、たまたま現場で一緒になり、他愛ない雑談から同い年なことが判明し、そして同級生だったことが発覚した。
 恐らくだが、お互いかなり疲れていたのだろう。名前達はその日の仕事が終わると、すぐさま呑み屋に直行した。
「あの先生売れっ子じゃん。アニメも続いてるし」
「三分のミニアニメだけどね」
「それでも続いてるじゃん、名字凄いよ」
「凄いのは先生だよ。私は手伝うことしかできないんだから。先生の才能が凄いんだよ」
 名前がそう言うと、山本は「それな〜」と言いながらへらへらと笑っていた。アルコールが回り始めると、山本は普段よりよく笑う。目を細めて笑うその様がまるでキツネのようで、ほんの少しだけ可愛いと、名前は密かに思っている。
 名前と山本が再会したのはテレビ局の一角だった。漫画雑誌編集者の名前と、アイドルのマネージャーの山本。名前は担当している漫画がアニメになったのでその打ち合わせに、山本は担当しているアイドルがトークコーナーに出ることになったのでその打ち合わせに。接点はまるで無い筈だったが、兎も角も二人は再会したのだった。

 名前は名前のベッドに横たわり、すやすやと眠り続ける山本を見下ろした。この日の山本はかなり酷い飲み方をしていた。普段、彼は酔うまで呑まないというか、どちらかというと酒に強いのだろう、酔ってもせいぜい口数が多くなる程度だった。それがこの日は次から次へと酒を飲むし、止めても聞かないし、挙句の果てには泣き始めるし、最終的には吐いて寝た。
 よっぽど、何か嫌なことでもあったのだろうか。
 仕事なのか何なのか、時たまこうして呑みに行く程度の付き合いしかない名前には解りかねることだったが、かなりの難題が彼を追い詰めているに違いない。名前は暫く山本を見下ろしていたが、やがて屈みこみ、彼の背をゆっくりと揺らし始めた。
「山本くん、山本くん」
 返事は無い。


 山本くん、上着だけでも脱いでおいた方がいいよ。お水持ってくるから飲んだ方がいいよ。兎も角一回起きて、山本くん。
 爆睡しているようだったら、名前だってそのまま寝かせていただろう。しかし声を掛けると微妙に反応するし、もごもごと何かを喋ってはいるようなので、仕方なくこうして声を掛けている。二日酔いの怖さは名前だって重々承知しているのだ。できれば水だけでなく、酔い覚ましも飲ませておきたい。

 名前が酔って寝てしまった山本を、彼の家でなく自分の家に運んだことに、意味はなかった。名前は山本の自宅を知らなかったし、となると寝ている彼の所持品をまさぐり、免許証やら何やらで確認しなければならない。酔った男を連れ込むヤバい女と思われるかもしれないが、自分の家で寝かせた方が――人の言葉を借りるなら、そっちの方が面倒なことにならなさそうだと判断したのだ。アルコールは判断能力を低下させる。
 山本冬樹が目を覚ましたのは、それから数十分が経ってからだった。「や、山本くん……?」
 山本がいつまで経っても起きなかったので、名前は仕方なく起こすのを諦め、軽くシャワーを浴び、身支度を調えてさあ寝るかと思いはしたもののベッドが占領されていることを思い出し、途方に暮れた。来客用の寝具などは無いため、仕方なく冬物の布団を引っ張り出して床に敷こうとしていたのだが、物音で起こしてしまったようだった。
 山本は上体を起こしてはいるものの、かなりぼんやりしている。
「えーっとね、山本くん、めちゃくちゃ酔っ払っててね」慌てて駆け寄り、名前はあれこれと説明し始めた。何となく、決まりが悪い。「うんともすんとも言わなかったから、仕方なくタクシー呼んでね、お家解らなかったから私の家まで連れてきちゃったんだけどね、どう? 歩ける? 歩けそうだったらもう一回タクシー呼んで家まで送ってもらうけど……聞いてる?」
 山本くん? ともう一度声を掛けると、漸く山本の目の焦点が合ってきたようだった。「……名字?」
「うん。名字名字、名字だよ〜」
 普段きびきびとしている山本と、今の酔い潰れ、ふにゃふにゃになっているギャップが凄まじく、ある種現実逃避の一環としてふざけてしまった。しかしながら、山本は何の反応もせず、ただ一言「名字……」と言っただけだった。
「……山本くん、本当に大丈夫? 明日は仕事昼からって言ってたし、そのまま寝てて良いからね。薬は飲んでおいた方が良いと思うけど……――」
「名字、俺、頼むよ」
 山本が名前の手を取った。取ったというより、鷲掴んだと言った方が正確だ。ぎりぎりと、かなりの力が込められている。いたい。
「もう一回言ってくれよ、頼むから、担当作家の為なら何でもできるって」


「……何でもは無理だよ」
 名前がそう言い終らぬ内に、山本は「ううーっ」と泣き崩れていた。低い声で呻きながら、ぐずぐずと鼻を鳴らし、泣いている山本。

 ――記憶の糸を手繰り寄せれば、確かに名前は過去、彼にそう言ったことがあったかもしれない。編集者が作家に対してできることなどたかが知れているのだから、求められたら何でもやってやると。
 彼が何を言おうとしているのかは解らない。ただ、ひどく追い詰められたような顔で言うものだから、名前はそう答えるしかなかったのだ。今も、そして先程も。山本がひどい飲み方をし始めたのは、名前が店で同じように「何でもは無理だ」と、そう言ってからだ。

 顔中がべちゃべちゃだ。明日、山本の記憶がすっぽりと抜け落ちていると良いなあと考えながら、優しく彼の頭を抱き寄せる。咽び声と共に、名前の肩が熱くなり、そしてじんわりと濡れていく。
「あのね、何でもはできないよ。けど、山本くんが頑張ってることは、私も皆も知ってるから」
 山本の嗚咽が酷くなった。名前は彼が落ち着くまで、ゆっくりと彼の背中を撫で続けた。

[ 184/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -