64GBの駆け引き

 いつでも出動できるように酒は入れないのだと豪語していた大門弟、もとい大門幸志郎だったが、場の雰囲気に酔っ払ってしまったのか何なのか、普段より数段テンションが高かった。ほろ酔いの名前と違い、彼には一滴のアルコールも含まれておらず、チェッカーをつきつけたところで結果は綺麗なゼロの筈なのだが。「バッキャロウ、だからアレはあのタクシードライバーが悪いんだって」
「大門弟、前から思ってたけどタクシーに何か恨みでもあんの。当たりきつすぎでしょ」
「だってタクシードライバーだぜ」
「世の中のタクシードライバーに謝んなね」
 名前がそう言うと、大門弟は何事かをわあわあと喚き散らしたが、その中にタクシーの運転手に対する謝罪は含まれていなかった。マジでなんか恨みでもあるのかこいつ。

 お猪口を傾けつつ、内心で大門弟、そして大門兄に絡まれたであろうタクシードライバーに合掌した。
 彼らがどちらか一人ならまだ何とかなるのだが、同じ顔で異口同音に詰め寄られると、面倒臭さがたちまち倍以上に膨れ上がってしまうのだ。彼らと同期である名前には嫌ほど覚えがある。もっとも、名前としては見知らぬドライバーが点数稼ぎに使われようと、大門弟が帰りに家まで送ってくれるのであれば、大門兄弟がいかに権力を振りかざそうとどうでも良い。

 タクシードライバー、その言葉で思い浮かぶのは、先日ドブに見せられた一枚の写真だ。彼が言うには、どうやらその運転手が練馬区の女子高生失踪事件に関わりがあるのだとか。目新しい情報が入ったら知らせて欲しいとドブは言った。確かに相手がタクシードライバーであれば、交通課の名前のところに情報が入ってくる可能性がないわけじゃない。
 何故その失踪事件について調べているのかは知らないが、ドブが知りたがっているということは、十中八九その筋の人間がやったという事なのだろう。まったくもって関わりたくはないが、ドブの頼みならば致し方がない。名前が重々しく頷いて見せたのが、かれこれ二週間ほど前の話だ。
 刑事課の連中に、例の事件はヤクザ絡みだと教えてやるべきなのかもしれないな。もちろん名前には隣に座る大門弟のような正義感はないので、そう考えるだけに留めたが。そもそも、正義感に燃えるような人間であれば、ドブから金を受け取ったりしない。「そういえばさあ――」


 大門弟が例の失踪事件のことを持ち出した時は一瞬どきりとしたが、なんてことはない単なる雑談のようだった。既にマスコミにも嗅ぎ付けられているので、ある程度は話しても問題ない。もっとも名前も、そして大門弟も、直接捜査に関わってはいないので、外部に漏らして困る情報をそもそも持っていないのだが。
「まあそれで、今の女子高生ってタクシー乗るの? って話なんだけどさ」
「まあねえ……誰かと一緒だったのかもね」
「誰かって?」
「さあ。父親とか?」
 会話が途切れたのは、捜索願いを出しているのが父親だったからだ。
 しかしそう言われてみると、女子高生で一人でタクシーに乗るのは考えにくいし、家出の時には余計に乗らないような気がする。タクシーの運転手が証言すれば、すぐに見付かってしまうからだ。大門弟も同じように考えたのだろう、「タクシードライバーの奴が見付かればなー!」と些か捨て鉢のように言った。
「いちいち客の顔なんて覚えてないでしょ」
「夜中に乗せたJKなんて印象残るだろ、顔は解んなくてもどこまで乗せたかくらいは覚えてると思うんだよな」
「大門弟、頭良いじゃん」
「まいったか!」
「参ってはない」
 大門弟は口を尖らせた。不満らしい。「俺が言ってるのはドラレコのこと。ドラレコに映ってればどこ行ったかまでは解るじゃん」
「けど今データ持ってるの、って……――」
 名前は口を噤んだ。大門弟は暫くそんな名前を黙って見詰めていたが、やがて「それ言っちゃ駄目だろ」と低い声で呟いた。


 サッと、頭の中が真っ白になった。
 名前は今、自分から白状してしまったようなものだった。自分はドブと繋がっていると。今、例のタクシーのドラレコのデータは、ドブその人が持っている。しかしその事を知っているのは当然ドブ本人と、彼から情報を得ている人間だけだ。そして――それは聞いている側も同じことだった。名前がドラレコのデータの所在を知っているのは事実だったが、それを裏付けるものは何も無い。つまり、それが事実だと理解した、名前の隣に座るこの同僚も、名前と同じようにドブから金を受け取っているのだ。

 おかしいと思っていたのだ。名前は以前から、自分以外にもドブと繋がっている人間が警察内部に居るのではないかと感じていた。彼はいやに警察の情報に詳しいし、あれだけ町をぶらついているにも関わらず少しも捕まる気配が無い。練馬区の女子高生の件だって、名前がタクシーからドラレコのデータを押収するよりも前に、ドブが持っていた。もちろんドブ本人か、それとも手下が直接ドライバーと交渉して手に入れたのかもしれないが、警察官が捜査の一環として提示させる方が後々処理に困らない筈だ。
 自分以外の誰かが居るのだろうとは思っていた。しかし、それがまさか彼だとは思わなかったが。「ていうか――」
「――兄じゃん……!」
「その内気付くだろうと思ってたんだよ」
 お前の察しが悪すぎるんだろという言葉にほんの少し腹を立てるものの、まさかうちの弟とサシで飲む仲だとは思わなかったけどという言葉に今度は顔が熱くなる。そんな名前の姿を横目で見ながら、大門兄は弟のトレードマークである眼鏡を外した。「ま、これで同じ穴のムジナだな」


 勢い良く立ち上がった名前に、店の女将や、周りの客達が不思議そうに此方を見た。
 ――大門兄がドブと繋がっている。その事自体はまったくもってどうでも良いのだ。何となく、一卵性双生児だという割には性格が違うなとか、兄弟間で温度差がある時があるなとか思ってはいた。双子だからといって、何もかも同じでなければならない道理はないし、それが当たり前の筈だ。
 問題は、これから先、名前はこの先一生大門兄に頭が上がらなくなるということだ。
 大門兄が上にチクれば、名前は当然贈収賄で刑務所行きだ。そして何よりまずいのは――名前は今後、ドブに対して嘘がつけなくなる。

 別に、今までドブに対し明確に嘘を教えたことがあるわけではない。しかし自分に都合の悪い事を脚色して話したことは無くはない。大門兄がドブと繋がっていると知れた今、名前は彼の求めに正直に応じるしかなくなってしまったのだ。嘘をつけば大門兄からバレてしまう。
 もちろん、大門兄にしてもそれは同じだった。だから彼は言ったのだ。同じ穴の狢だと。

 カウンターの上に数枚のお札を置き、「私急用思い出したから帰るね」と立ち去ろうとした。その腕を掴んだのは当然大門だ。
「いや、無理だろ。無いだろ車。そもそも飲んでるし」
「歩いて帰るからいいってば」
「何キロあると思ってんの」
「……タクシー呼ぶし」
「勿体無いだろタクシーに金払うの。――女将さん悪いけどお勘定頼むわ」
「あんたもタクシーに恨みあるの?」
 女将さんが気立ての良い声で「はあい」と返事したのと、大門が「あるよ」と言ったのは、殆ど同時だった。

 結局、名前と、そして大門弟改め大門兄は、二人揃って店を出た。半ば追い立てられるように助手席に座らされる。シートベルトを締めながら「で、家どこ」と尋ねてくる大門兄に、名前は両手で顔を覆った。
 今となってはもう、なぜ大門兄が弟の振りをしていたのかということも、なぜ彼が名前がドブと繋がっていることを確かめようとしたのかという真意も、もはやどうでも良い。
「今日は長い夜になりそうだな?」と、大門兄は静かに言った。

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