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 授業で解らなかったところを聞いていたら、すっかり遅くなってしまった。ヒーロー基礎学を始めとしたヒーロー科の専門科目は、外部から情報を得辛い。その為、授業内容に疑問点がある時は、他の教科と違って確実に講師に尋ねなければならなかった。
 ――遅くなるって、一言送っておけば良かった。
 昼休みの時間を使って、骨抜は名字と“個性”のコントロール訓練をしている。しかしそれは必ずしも毎日行われるわけではなく、二人が落ち合ったら開始というゆるゆるした感じなのだ。
 名字が先に食べてくれていたら何も問題ない。しかし昼休みはそろそろ半分が過ぎようとしていて、もしも骨抜をずっと待ってくれていたとしたら、かなりお腹を空かせている筈だった。骨抜は心なしか早足になり、食堂への道を急いだ。

 食堂に着き、周囲を見渡す。名字名前をすぐに発見できたのは、実に僥倖といえるだろう。彼女が背の高い男子生徒に促されるまま、お金を渡そうとしている場面に割り込むことができたのことも。「ちょっと」
 名字は、「骨抜くん」と小さく呟いた。骨抜に肩を掴まれた男子生徒――知っている顔ではあったが、すぐに名前を思い出すことはできなかった――は、別段悪びれた様子も無く「何?」と言った。それからうるさそうに骨抜の手を振り払う。
「そういうの、良くなくない?」
「……何の話?」
 不安そうな表情の名字(先日骨抜が言ってから、彼女はマスクを付けないようになった)に、「金なんか渡さなくていいから」と念を押す。名字を隠すように二人の間に割って入れば、男子生徒は興味深そうに眉を上げた。
「公衆の面前でカツアゲとか、よくやんねって話」
「――ヒーロー科って、皆そうやってお節介なわけ?」
 骨抜の言葉にも少しも堪えた様子は無く、その男子生徒はどこか小馬鹿にしたようにそう言った。それどころか、「俺と名前ちゃんの問題だからさ、引っ込んでてくれる?」とへらへら笑う始末だ。ねえ?と名字を覗き込むようにして同意を得ようとするので、視線を遮るように前に立つ。
 名字が何かを言いたげなのは解っていたが、今この場で自分が追い払われてしまうと、どうにもならなくなってしまうのは目に見えていた。

 食堂の端、壁際でのやりとりだったが、元々彼らの動向を伺っていた生徒が居たのか、それとも骨抜達の剣呑な雰囲気に釣られたのか、ぽつぽつと見物人が出来始めていた。
「あのさ」骨抜が一歩も引かないからだろう、相手も僅かながら苛立ってきたようだった。「正義感に燃えてるのか知らないけど、俺と名前ちゃんは雄英入る前から知り合いなわけ。部外者は引っ込んでてくれる?」
「部外者じゃねーわ。友達だからな」
「……へえ?」
 その男子生徒が「名前ちゃん、友達居たんだ」と薄っすら笑ったことで、骨抜の中で何かが切れてしまった。


 ――本当は、毎日昼食を共にする必要などなかった。
 訓練だからといって、毎日一緒に昼食を取る必要などなかったのだ。名字が何も言わないのを――言い出せないのを良い事に、半ば無理矢理続けていた。そうしないと、彼女が一人きりになってしまうような気がしたという、ただそれだけの理由で。
 訓練の合間に、二人は色々なことを話した。授業の進み具合やら、昨日やっていたテレビの話やら、話題のヒーローのことやら色々。名字が骨抜に話を合わせていることは解っていたし、それが苦痛とまでは行かずとも、かなり気を遣わせてしまっていることには気付いていた。それでも、骨抜は毎日食堂で名字を待ち、彼女と一緒に過ごした。気になる女の子と仲良くなりたいからという、そんな理由だけではない。
 名字は“個性”がコントロール出来ない。普段の会話でも“個性”の暗示が発動してしまうから、他人と口を利かないようにしていた。クラスメイトはやがて名字に近寄らなくなったし、名字は一人で過ごすようになった。彼女は今までもそうして生きてきて、きっとこれからもそうして生きていく。――それが嫌だった。
 いじめられているわけではないことは解っていた。解っていたのだが、誰とも話さない名字を見ていたくなかった。たった一人でも友達が傍に居れば、きっとその内誰かが気が付いてくれる。名字はあまり話をしないだけで、普通の子なのだ。
 しかし心操人使は言った。それはお前の、ただのお節介なのだと。

 そんな事、わざわざ言われるまでもなく骨抜が一番よく解っていた。
 絡みづらいからと遠巻きにしているE組の連中と、名字があまり話さないのを良いことに脅しているコイツと、訓練を名目にしているせいで拒絶できない名字と一緒に居る自分は、まったく同じものなのだということは。
「……どいつもこいつも、勝手なこと言いやがって」骨抜はもはや、自分が何に対して腹を立てているのかすらよく解らなくなっていた。ただただ無性に腹が立って、悔しかった。自分の中にこんな感情が眠っていたのかと思うほど、体の奥底から何か熱いものが噴き出ていた。何も言わない名字にも腹が立ったし、へらへらしているコイツも腹が立つ。
「中学ん時から知ってるってんなら、名字がどれだけ頑張ってるか知ってるだろが! 名字だってな、好きで黙ってるんじゃねえんだよ! 頑張って頑張って頑張って、それでももしもがあったらいけねえからって、こうやって話さないようにしてるんだろ! それを解ってて利用するような真似しやがって……!」
 後ろから、焦ったような「ほ、骨抜くん」という名字の声が聞こえていたが、骨抜は黙らなかった。「俺の親友に、手ぇ出してんじゃねえよ!」


 捲し立てる骨抜を黙って眺めていた心操だったが、骨抜が言い終わると、やがて小さく溜息を吐いた。微かに眉間に皺が寄っている。「あんた、意外と友達思いだね」
「名前ちゃんさあ、友達は選んだ方が良いと思うよ」
「てめッ――」
「骨抜くん!」
 背後からの大声に、一瞬骨抜は身を強張らせた。振り返れば、急に注目されたせいなのか何なのか、顔を赤くした名字が骨抜を見上げている。
「あの、人使くんは私のいとこだから……」
「……は?」
 彼女の言葉を飲み込むのに、骨抜はほんの一瞬だけ時間が必要だった。

 ――自分もいきなりカツアゲ扱いされて腹が立ったから思わず言い返してしまったのだと、心操は言った。それから彼は骨抜に「悪かった」と謝ってから、結局名字に金を借りることをせず、さっさとその場を去っていった。どうやら骨抜達のやりとりを見て爆笑していた一部の学生は普通科の生徒達で、盛大な勘違いをした骨抜を見てというよりも、不良に間違えられた心操を面白がっていたからだったようだ。
 ちなみに、名字が言うには、心操が財布を忘れてしまったものの、からかわれるのが目に見えていたのでクラスメイトでなく、身内の名字に昼食代を借りようとしていたらしいということだった(そしてその諸々がそのクラスメイトにバレてしまった為、諦めて彼らに借りることにしたのだろうということだ)。
 未だ周囲から感じる視線に、頬の紅潮が収まらない。怒りで体中を駆け巡っていた血液は、羞恥によって顔に集まり、それから一向に戻る気配を見せないのだ。
「ていうかさ、もうちょっと早く言ってくんね?」
 そりゃ俺が勘違いしたんだけどさ。二人で注文口に並ぶ中、骨抜が小さくそう言うと、名字は口をはくはくと小さく動かしてから、やがていつものように携帯に文字を打ち込んだ。“言おうとしたよ”という文字にぐうの音も出ない。
「というか、何で名字まで恥ずかしがってんの」
「……えへ」
 えへじゃないんだよと骨抜が小突く真似をしても、名字は依然として顔を赤らめたまま、照れたように笑うだけだった。

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