07

 ハッと気が付いた時、骨抜の右手はチョキを形作っていた。名字がグーを出したので、自分はパーを出すつもりだったのだ。後出しじゃんけんだ、名字が出した手より強い手を出せばそれで事が済む。しかし確かに、骨抜は今さっきまで無性にチョキを出したかった。
 歩きながら“個性”で暗示を掛けることに、名字はかなり渋っていた。万が一のことが起きたら困るからと。しかし骨抜と名字が共有できる時間はそう多いわけではなく、となるとこうして共に帰路についている時も、“個性”のコントロール訓練に利用しなければ勿体無い。
 彼女は知り得ないことだが、名字の“個性”で暗示が掛かっている時、意識自体ははっきりしている。彼女に指示されたことを何故だか物凄く実行したくなるだけで、足元に水溜りがあれば避けて歩けるし、後ろから自転車が来ていれば道の端に寄って先に行かせることだってできる。骨抜がその事を説明すると、名字は渋々承知したのだった。

 週に一、二度、骨抜はこうして名字と共に駅までの道を共に歩く。二人共実家を離れての一人暮らしだったが、名字は雄英から二駅分離れた所に暮らしていた。彼女が言うには、都合の良い部屋がそこしか空いていなかったらしい。骨抜は彼女と違って推薦で合格した為、学校からかなり近い場所に部屋を借りていた。駅へ向かうとほんの少しだけ遠回りになるが、方角的にはあまり変わらないので問題ない。
 骨抜は自分の手を見詰めた。パーを出さなければならなかったのに、どうしてもそれに抗えない。彼女の“個性”が強すぎるのか、それとももしかすると骨抜の意志が弱すぎるのか。どれだけ細かい暗示を掛けられるのかは何となく把握し始めていたが、彼女が“個性”を自在に使えるようになるまではまだまだ掛かりそうだった。
「あの」
「うん?」
 骨抜はチョキにしていた手を元のように戻した。マスクの上から覗く名字の目を見詰めたが、彼女は一向に口を開かなかった。しかし次の瞬間、骨抜の携帯がぴこん、と小さな音を立てた。確認してみれば今隣に居る名字からで、どうやら骨抜が自分の手と睨めっこしている間に、メッセージを送っていたらしい。メッセージアプリには、“体育祭前にまで付き合わせちゃってごめんね”と書かれていた。

 雄英体育祭。日本全国が注目する一大行事だ。かつてのオリンピックと比べられることもしばしばあり、骨抜達ヒーロー科の生徒にとっては将来に繋がるかもしれない重要な行事だった。
「別に、俺が好きでしてるんだから気にしないでよ」骨抜が言った。「ほら、筋肉の超回復ってあるじゃん。筋トレばっかしてるんじゃなくて、休み休みした方が効率良いってやつ。名字のやってると、俺の方もリラックスできるんだよね。だから気にしなくていいよ」
 それに元から週に一回か二回じゃん、と骨抜は駄目押しした。
 “個性”というものは、使えば使うだけ成長していくのだという。そのためコントロール、もとい使いこなそうとするならば、この訓練だって本来なら毎日行った方がいい筈だった。しかし彼女が指摘したように、雄英体育祭は明日に迫っているし、骨抜だって毎日の勉強や、自身のトレーニングもしなければならない。名字だけに時間を割いているわけにはいかないのが現状だった。
 ――名字は週に一度か二度、保健委員の当番で放課後保健室に居なければならなかった。なのでその日だけ、今日のように骨抜が訓練に付き合っている。保健委員として保健室に待機していることは重要だったが、ずっと忙しいわけでもない。名字の手が空いている時だけ、保健室の隅っこで二人、延々と訓練を行っている。
 名字が尚も眉を下げたまま、申し訳なさそうにしているので、骨抜は何気なく話題を変えた。「名字だって、こないだのテストの時もコッチ優先してたじゃん」
「俺らはヒロ基礎とかのが重要だけど、名字達はそうじゃないでしょ。そういえばさ、結果どうだった?」
 名字は最初のうち黙り込んでいたが、「俺、453点」と骨抜が付け足すと、やがて「482点」と小さく呟いた。
「……えっ、五教科で?」
 名字は頷いた。
 骨抜は隣を歩く女の子をまじまじと見詰めた。マジかよ。

 骨抜は中学までずっと優等生だった。というか高校に上がってからもそれは変わらないと自負している。勉学に励むし、休まないし。確かに雄英に来て、その授業のレベルの高さについて行くのがやっとだったかもしれないし、実技授業に疲れて復習を後回しにしてしまうこともしょっちゅうだったかもしれないが、それでも――。
 黙り込んでしまったからか、名字に「骨抜くん?」と小さく名を呼ばれる。
「いや、別に、名字、勉強できるんだなって思って」
 名字はぶんぶんと首を振った。そんな事ないよとか、そういうことが言いたいのだろう。考えてみれば、雄英高校普通科はヒーロー科に受からなかった生徒がスライドし、入学している場合が多い。普通科に在籍しているのにヒーロー志望ではない時点で、名字が骨抜よりも必修教科の成績が良いのは当たり前なのかもしれなかった。
 全教科80点以上は取っているのに、などと思っていた骨抜の心を見透かしたのか、名字は「負けず嫌い?」と小さく呟いた。
「別に、点数負けて悔しいとかは全然ないけど?」
「意外……」
「俺の話聞いてる?」
 マスクで表情は読み取りづらかったが、名字は笑っていたようだった。勉強も手を抜かないようにしよう、と密かに心に決める。


 そうこうしている内に、雄英高校の最寄り駅まで着いてしまった。構内には雄英高校の生徒がちらほらと見受けられる。「じゃ、名字、また学校でな」
「あの、骨抜くん」
「ん?」
 名字は視線をうろうろさせる――言おうか言うまいか迷っている、そんな様子だった。しかしやがて、何かを決意したように、まっすぐに骨抜を見詰める。
「体育祭、応援、骨抜くん」
 名字はそう言って、両手をぐっと握って小さく上下させた。
「……何て?」骨抜は思わず問い返した。恥ずかしくなったのか、名字は気まずそうに視線を逸らす。「ああ、応援してくれるってこと? 体育祭」
 パッと此方を見上げ、ぶんぶんと頷く彼女に、骨抜は小さく笑った。何となく、名字が言いたいことが解るようになってきている気がしなくもない。ありがとうと礼を言ってから、「片言なら案外平気だよね、そういうキャラ付けしてる人みたいだけど」と付け足すと、名字はやや顔を赤くさせ、それから怒ったように骨抜を小突いた。

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