横暴EX

 知人にヒーローが居る人間というのは、実のところかなり多い。ヒーロー飽和社会といわれる現代、統計学的には週に一度はプロヒーローと会っている筈だという。そして今の小学生になると、クラスに一人は身内にヒーローが居てもおかしくないのだとか。少子化の真っ只中だし、それは流石に無いだろうと名前は思っていたが、兎も角も、名前の恋人である兎山ルミは、ヒーローとして日本中に名を馳せていた。
「なあ、タピオカって美味いのか?」
「流行ってたよねえ」
 兎山さんはそんなに好きじゃないと思うよと言うと、兎山さんことラビットヒーロー・ミルコは、「ふぅん」と小さく声を漏らした。彼女の視線は未だ隅のタピオカ屋を捉えていたが、名前の脳裏には「甘ッ!」と言って舌を出すミルコの様子がありありと浮かんでいた。それはそれで可愛いはずだし、楽しいだろうが、今日はかなり久々のデートなのだ。あまり時間を割いてはいられない。ミルコが行ってみたいと言っていた水族館や、テーマパーク。名前はどれも彼女に楽しんで欲しかった。
 名前とミルコは名前が大学生の時に出会い、そして付き合い始めた。お互い距離感が丁度良いのか――高校を卒業してからずっとフリーのヒーローとして活躍しているミルコは当然いつでも多忙だったし、名前はそうまめに連絡を取りたがるほうじゃなかった――交際は名前が大学を卒業しても尚続いている。
 ちなみに名前は、自分の彼女があのミルコだと気付くのに数年掛かったし、その事を知ったミルコは「お前マジで私が誰か知らずに付き合ってたのかよ」と些か呆れていた。

 隣を歩くミルコは今、キャスケット帽を被り、オーバーサイズのジャケットを羽織っている。彼女のトレードマークでもある白いウサギの耳は、普段と違い緩やかに垂れている。彼女が言うには、こうして少し耳を垂らしているだけで、ヒーローのミルコだとまったく気付かれなくなるのだとか。名前としてはミルコがどんな格好をしていようが一切構わなかったのだが、確かに印象がかなり違う。
 こうして隣に居る時だけは、俺だけのロップイヤーちゃんというわけだ。
 もっともどれだけ可愛らしい格好をしようと、中身は普段の男勝りなミルコのままなのだが。名前は彼女に振り回されっぱなしだし、それも良いなと思ってしまっている。もはや名前の中では、彼女と出会ったことでそれまでに培ってきたウサギのイメージが完全崩壊していた。
「なあ、私が前言ったから結田付にまで来たんだろ? な、名前、あり――」
 ヴーンと巨大な音を鳴らしたのは、ミルコのジーンズの尻ポケットに無造作に突っ込まれていた電子機器だった。彼女の表情が固まる。それから少し大きなスマートフォンに見えるそれを、ミルコは無言で手に取り、そのまま応答ボタンを押した。外部に通話が漏れないようになっているのだろう、会話内容はすぐ隣に居る名前にも少しも聞こえない。もちろん常人よりもかなり耳が良いミルコには、普通に聞こえている筈だった。
 ミルコは二、三短い応答を繰り返した。そして段々と渋い顔になっていく。そういえば実家の犬も、車の行く先が病院だと気付くといつもこういう顔をするんだよな。
 仕事? と名前が尋ねると、ミルコは苦虫を噛み潰したような表情のままゆっくり頷いた。


 路地裏に入ってからのミルコは早かった。キャスケット帽を放り出し、ジャケットを一瞬で脱ぎ捨て、そのままトップスにまで手を掛ける。名前は「兎山さん!」と慌てたが、ミルコは当然服の下にヒーロースーツを身に纏っていたし、名前だってそれは解っていた。
「毎回言うけど脱ぎっぷりが良すぎると思うんだワぷッ」
「るせ」
 文字通り噛み付くようにキスをしたミルコは、そのままさっさとブーツとジーンズも脱ぎ捨てた。そこに立つのはラビットヒーロー ミルコで、彼女は自分が脱いだ服を名前に押し付けると、再び名前に二度三度と短いキスをする。
「名前、帰ったら続きするからな」
「つ、続き!? 続きって何!?」
「ハァ!? デートの続きに決まってんだろが!」
「あ、そ、そういう……」
 ミルコは、他に何があるのだと言いたげに眉を吊り上げた。
「帰ったらって、帰ってきたら兎山さん疲れてるだろ? こっちの事は気にしなくていいよ、また今度にしよう?」
「……そうじゃねえんだよなァ」
 名前が頭にハテナを浮かべていると、不意に襟元を掴まれグッと引き寄せられた――ミルコは名前よりずっと背が低い。しかし彼女の腕力は簡単に名前の重心をぐらつかせるし、彼女自身は微動だにもしない。
「ウサギはな、寂しいと死んじまうんだぞ」
 ぼそりと、耳元でそう囁かれた。

 最後にもう一度齧り付くようにキスをしていったミルコは、「いいから待ってろ!」と言い終わらぬ内に跳んでいってしまった。ビルの合間から跳ねていった彼女の影を見たのだろう、ミルコだ!という歓声があちこちで上がる。路地裏から抜け出した名前は、彼女が跳んでいった先を見詰めて小さく溜息をこぼし、それから近くの喫茶店まで足を運んだ。

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