電気羊の感触は

「お!」と、名前の姿を見たカリムが、キラキラと目を輝かせたのを名前は確かに見た。そして、その横に佇むジャミルが苦虫を噛み潰したかのような、かなり微妙な顔をしたのも。
「名前、すごく楽しそうなことしてるな!」
「ははは。いいでしょ〜」
 カリムは期待に満ちた顔でジャミルを見たが、「やらないぞ」とすげなく断られたことでかなりしょんぼりしてしまった。できれば代わってあげたいなあと思いつつ、決定権は名前に無いので致し方ない。名前は後輩達に手を振り、また元のようにオルトに引き摺られる作業に戻った。掴まれたままの脇がかなり痛くなってきたが、まあまだ耐えられる筈だ。この調子だと、部室に辿り着く頃には両腕がもげているかもしれない。


 図書室で課題に勤しんでいた名前を、部室まで文字通り引き摺ってきたオルトは(名前の腕はぎりぎりもげずに済んだ)、「まったく!」とぷりぷりし始めた。「名前ったら、全然部活に来ないんだもの!」
「それは……ゴメンネ?」
「もう!」
 ぷりぷり怒っているオルトに、謝る名前。そんな二人を見て、ボドゲで対戦していたらしいイデアとアズールは、「やっぱり名前さんは連れてこられましたね。これで僕の勝ちですよ」いや先輩で賭けるな。目の前で300マドルが受け渡される光景はなかなか奇妙なもので、イデアには悪いことをしてしまったのかもしれない、という意味の解らない考えが浮かんできてしまう。どう考えても友達をだしに賭けをしている方が悪い。筈だ。
「兄さんだって寂しがってるんだから! もっとちゃんと部活に出てよ!」
「ごめんて」
 イデアの表情を見るに、全然そんな事は無さそうだったが、取り合えず名前は謝罪の言葉を口にした。名前がボードゲーム部の部員であり、且つ幽霊部員気味なのは事実だったからだ。
 一番拘束が緩そうだから、という理由でボードゲーム部に入ったものの、ここ最近はこうしてちょくちょくオルトに強引に連れてこられてしまっている。去年までは寮長の業務が忙しかったからなどと何だかんだで理由を付けていたのだが、今年はカリムが寮長に決まったのでそれもできない。
「ま、確かに名前は不真面目過ぎですな」そう言いながら、イデアは机を片付け始めた。どうやら対戦しようということらしい。アズールが「僕はお役御免という事ですか」と嫌味を言ったがどこ吹く風だ。「まだ学生なんだから、そんなに詰め込んでも仕方ないでしょ」
「学生の本分は勉強だぜ、イデア」
 そう言ってから、名前は「それに俺らマジフト大会で成績悪かったから、期末試験で取り返したいんだよ」と付け足した。これで少しはオルトの行動が制限されればと思ったのだが、魔導エネルギーの申し子には少しも響かなかったようだった(アズールが密かに笑っていたのだが、名前は気が付かなかった)。

「そういえば、以前から思っていたんですが、オルトさんは名前さんのことを名前でお呼びになるんですねえ」名前の手札が次々と墓場へ葬り去られていた時、ふと思い出したようにアズールがそう言った。



 いっそ部活も辞めて、勉強に本腰を入れるべきだろうか。と、そんな事を考え始めた日の事だった。その日、名前は後輩のテスト勉強に付き合い、談話室で夜を明かしていた。イデアが拘り抜いた駆動音は、開放的なスカラビアの談話室であってもはっきりと聞き取ることができた。「オルト、またスカラビアに来たのか」

 寝落ちしてしまった後輩を部屋に運んでやってから、名前はオルトの方に歩み寄った。バルコニーの手すりのその外で、彼は静かに佇んでいる。
「砂粒が入ると大変なんだろ? いつもイデアがぼやいてるぜ」
「うん。けど僕にはセルフメンテナンスモードが搭載されているから」
「そりゃあ良かったな」
 名前は空中に浮かぶオルトを見上げたまま、いつぞやのイデアの言葉を思い返していた。名前に対してだけ呼称を変えるなんて、そんな非効率的なことはしないと。「ねえ、名前」

「名前は、兄さんの友達だよね」
「おう、そうだな」
「名前は生きてるし、兄さんも生きてる」
「そうだな」
「それなら」オルトが言った。「名前が死ねば、僕の友達になってくれる?」


 オルトは瞬き一つしなかった。月光を背にしていても尚、彼の瞳は明るく輝いている。「……さあ?」
「試せばいいだろ。そこから投げ出されたら、ひょっとすると死ぬかもな。いつもみたいに引き摺って、それから手を離せばいい」
「僕はそうしたいんだけど、どうしてもできないんだ」
「何故?」
「何度やろうとしてもエラーが出ちゃうんだもの。計算が終わらないんだ。僕の演算装置はスパコンよりも高性能なのに」
「そりゃあ凄いな」
 オルト、と名前が呼び掛けても、オルトは微動だにしなかった。ココアでも淹れてやるよと付け足した時、漸くふわふわと降りてくる。
「僕にはそういう嗜好品は必要ないんだ」
「知ってるさ」
 明日、部活をやめよう。そう思いながら、オルトの手を引いて寮内に入る。もっとも、きっと明日もこの固い手に引き摺られ、あの陰気な部室に連れ去られるのだろうという漠然とした予感があった。
 この子供は名前が書いた退部届けを見付けたらどうするのだろう。ショックを受けるだろうか。今度こそ本当に殺しに掛かるのだろうか。それとも魔導砲を持ち出すだろうか。

 そういえば、と名前は口を開いた。「俺が死んだらイデアの友達が減るからだろ、エラーが出るの」
「兄さん?」オルトが名前を見上げる。「兄さんは関係ないよ。名前のことを計算するのに、兄さんは必要ないもの」
「……へえ」
 俺とお前は元々友達なんだから無駄な計算する必要はないぜと名前が言うと、オルトは今度こそ本当に動かなくなってしまった。仕方なく自室に運び込み、そのままベッドに寝かせてやる。次の日の名前は、他寮生(の、しかも子供)を無断外泊させたことをジャミルに咎められるは、イデアによくも弟を誑かしてくれたねなどと詰られるは、結局またオルトに引き摺られてボドゲ部に行くことになるはで散々だった。

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