夕火のイチゴタルト

 数年ぶりに訪れたチェーニャの家には、果たして先客が居た。開口一番「私にも勉強教えて下さい!」とドゲザでもしそうな勢いで頼み込んできたのは、チェーニャと同じく幼馴染の名前・名字だった。トレイがもう少し長く呆気に取られていれば、本当に床に頭を擦り付けていたかもしれない。
「俺がおみゃーに課題手伝ってもらうって言ったら、名前もどーしてもって言うもんで」
「そうだったのか。もちろん構わないよ」
「ほんと!? ありがとトレイくん!」
 久しぶりだな名前、とトレイが言うと、名前は目をぱちくりさせてから「うん!」と笑った。
 ニコーッと笑ってみせる名前は確かに名前の筈なのだが、子供の頃の面影が僅かに感じられるだけで、殆ど知らない女の子と言ってもよかった。たった数年でこんなにも変わるのか、とトレイどこか距離感を覚えたものの、二言三言言葉を交わせばあの頃の名前のままだとすぐに知れた。どうして今日が終わったら明後日じゃなくて明日が来るの、と大泣きしていたのは確かにこの女の子だった筈だ。

 トレイとしては、課題が終わっていないというチェーニャの手伝いに来たつもりだったのだが、彼は意外にもさっさと終わらせてしまったため、専ら名前の課題を見ることになった。チェーニャと二人、名前を間に挟んで座る。どうやらチェーニャとしては、課題の手伝いを口実に、トレイが持ってくるであろう手土産の相伴にあずかろうという魂胆だったようだ。もっとも、それは名前も同じだったらしいのだが。
「――そこはゴルパロットの第三法則を使うんだ。薬学の授業で習っただろ?」
「混合毒薬の成分は毒薬の各成分に対する解毒剤の成分の総和より――」
「待って! 二人してそんな、こんなの当たり前だろみたいにさくさく進めないで! 全然わかんない!」
 悲鳴を上げた名前に、トレイは思わずチェーニャと顔を見合わせた。
「名前、おみゃー、ちゃんと授業受けとるの?」
「散々学校抜け出してるチェーニャにだけは言われたくなーい!」
「俺くらい真面目なヤツは居ないにゃぁ〜。それに、俺はそこいらのヤツらとはレベルが違うからにゃぁ」
 トレイには、チェーニャの声に揶揄が混ざっていることがはっきりと感じられた。黄金色の目は弧を描き、心底愉しそうに笑っている。名前が頭を掻き毟り、「休憩にしよう!」と立ち上がったのは、それからすぐのことだった。
「休憩って、まだ十頁も進んでないぞ」
「だってだって、全然わかんないんだもん! 休憩しよう! 糖分を補給しよう! トレイくんのタルトを食べよう!」
「そいつは俺も大賛成だにゃあ」
「チェーニャ」
 名前はすぐさまと立ち上がり、「私用意してくるね!」と足早に消えていった。よっぽど課題から逃げたかったらしい。これが学校の後輩であれば、是が非でもその場に押し留めてやるのだが。
 トレイのタルトは絶品だからにゃあ、と尾を揺らすチェーニャ。悪い気はしないが、かなり複雑な気分だった。「なあ、チェーニャって名前と付き合ってるのか?」

 チェーニャがトレイと勉強会を行うと知る機会があったこと。勝手知ったる他人の家とばかりお茶の用意をしにいったこと。極め付けに、かなり近い距離にチェーニャが座っているのに、全然何も気にしていないらしいこと。
 仮に二人が付き合っているのなら、普通なら多少の気遣いをして然るべきではないかと思ったからだ。もっとも、幼馴染達が男女交際をしていようとしていまいと、何だそうなのかと思うだけかもしれないが。しかしながら、トレイとしてはかなり確信を持って尋ねたので、チェーニャが「さあ?」とはぐらかしたことで、些か出鼻を挫かれた気分だった。
「おみゃーがそう思うならそうなんでねーの」
「なんだ違うのか」
「フフフ」
 笑い声を漏らすチェーニャは、まったくもって普段通りに見えた。トレイが判断に困っているのを見て愉しんでいるらしい。どうやら、彼らはただの友人同士だったようだ。まったくと小さく溜息をもらした時、ぱたぱたと足音がして、やがて名前が顔を出した。
「ねえ、ナイフってどの辺にあったっけ」
「いつもと同じとこに仕舞っとるよ」
「それが解んないんだってば。仕舞い場所変わっとるんじゃにゃあの?」
「……俺が知らん筈ないで」
「ふーん?」
 名前はそう言い残して姿を消した。
 俺がそう思うならそうなんだったか、と、彼女の足音が完全に消えた後でそう口にしたのは、トレイのせめてもの優しさだ。


 チェーニャはいつものように飄々として――はいなかった。微かに目を細め、じっと名前が消えた先を見詰めている。その頬は仄かに赤く染まっていて、トレイの視線に気が付いたのだろう、チェーニャはますます目を細くさせた。どうやら不貞腐れているらしい。
 随分と仲が良いんだな、知らなかったよ。名前の奴、お前のが移ってることに全然気付いてないんだな。等々。しかしながら、トレイがそれらのことを口にする前に、チェーニャは「言いたいことがあるならはっきり言やあ良いがね」とぶつぶつ言った。そしてそのまま立ち上がり、溶けるように姿を消す。チェーニャのユニーク魔法だ。ぺたぺたと、足音が遠のいていく。

 チェーニャと共に、トレイの手土産のイチゴタルト、それからティーセット(ポットの中にネズミは居なかったが、トレイは気にしなかった)を持ってきた名前は、トレイが「二人は付き合ってるのか?」と尋ねても、少しも気にした素振りを見せなかった。しかしながら次の瞬間、此方が驚いてしまうくらい赤くなった。首から真っ赤になっている。
 リドルでも此処まで赤面はしないんだがなあ、と他人事のように思いながら名前を眺めていると、「なに、何で」と口をはくはくさせた。彼女がばっと顔を向けた先は、トレイでなくチェーニャだった。
「は、話したの!? 誰にも内緒って言ったのに……!」
「俺は言うとらんよ」
「うそ!」
「本当だよ」トレイが言った。「名前より先にチェーニャに聞いたのは本当だけど、はっきり返事は聞けなかったからな」
「な、なら何で……」
 あんまり名前が恥ずかしがるので、トレイの方が居た堪れない気分になってきた。これ以上苛めると、本当に泣き出してしまうかもしれない。太い尾を揺らすだけのチェーニャに代わり、仕方なく口を開く。
「名前、自分では気が付いてないみたいだけど、お前結構うつってるぞ」
「うつってる……? 何が?」
「チェーニャの話し方だよ」
「話し方……?」顔は赤いままだったが、かなり不思議そうにしている。
 さっきもにゃあって言ってたぞとトレイが指摘すると、名前は「そんなわけにゃ、」と言い掛けて、それから「あああああ!」と声にならない悲鳴を上げた。結局、名前は泣き出しこそしなかったものの、暫くの間トレイと口を利いてくれなかった。

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