まくあいの恋

 LeViが船内汚染の除去の完了をアナウンスした時、名前は全身の力が抜けていくのを感じていた。今まで、この擬知体は名前達に凶報ばかりをもたらした。もちろんLeViが悪いわけではないのは解っているのだけれど。だからこそ名前はアナウンスが流れ始めた時に身を強張らせたし、その言葉を聞いて死ぬほど脱力したのだ。グノーシアは、もう居ない。コールドスリープ中に襲われる心配も、疑心暗鬼になって誰かを疑うことも――もう、しなくても良いのだ。

 メインコンソールを訪れると、そこには既に数人の乗員の姿があった。どうやら彼らも名前と同じように、今後はグノーシアの脅威に脅かされないことに安堵しているようだった。ハイタッチに応じたり、突然泣き出してしまった乗員を必死になって慰めたり、下心があるんだかないんだか微妙なハグに応じたりしながらも、名前はお目当ての人の姿を探した。当然、セツの姿もそこにあった。
「セツ!」
 名前が呼びかけると、振り返ったセツは微かに笑みを浮かべた。
「名前」
「やったねセツ、私達、無事に帰れるんだよ」
「……うん、そうだね」
 どこか心苦しそうな表情をするのは、セツがきっと、グノーシアになってしまった人達を憐れみを感じているからに違いない。そんなセツに名前が心をときめかせてしまうのは、彼でもない彼女でもないセツ自身を好きになってしまったからなのだろう。
 セツがいなければ、名前達は全員あのグノーシアだらけのルゥアン星系から逃げることはできなかった。この紛れ込んだグノーシアを見つけ出す話し合いで、何度も名前を庇ってくれたのだってセツだ。会ったばかりの自分をグノーシアではないと信頼してくれたことも、この数日間何度も庇ってくれたことも、全部嬉しかった。セツを好きになることに、そう時間は掛からなかった。

 セツも同じ気持ちだったらいいのにな。そんなことを考えながらも、名前は「ねね、セツ、お祝いしようよ」と笑いかけた。
「お祝い?」
「そう! 私達二人共無事だったでしょ? 私の実家料理屋なんだ。LeViに進路を変えてもらってさ。うちに来てよ。いっぱいご馳走するよ」
 その時セツの右ポケットが淡く銀色に光ったが、名前は少しも気が付かなかった。名前達の会話を聞いてだろう、俺達も誘えよと野次が飛んだが、名前は怒ったふりをするだけで流した。
「……折角だけど」セツがそう言って断ったのは、名前にとってまったく予想外の出来事だった。「私はもう、名前とは会えない」


 名前が「ど、どうして?」と食い下がったのは、セツにやんわりと拒否されたことがショックだったからだけではない。そう言ったセツの方が、むしろひどく傷付いたような顔をしていたからだ。
「うちに来るのが嫌だったら、別に違う星だっていいんだし。私、セツにはいっぱい助けてもらったもん。お礼だって、まだ全然……」
「理由は言えない。けど、私はもう、名前には会えないんだ」
「それって、どういう……」
 名前がおずおずと尋ねても、セツは悲しそうに笑うだけだった。
「じゃあ、私が会いに行く……!」名前はセツの両手を力強く握り締めた。自分が嫌われているのなら、きっとこの手は振り解かれている筈だからと、そう言い聞かせながら。「セツが会いに来れないんなら、私がセツに会いに行くから! アラコシア星系だって、シァメン星系だって、宇宙の果てにだって、私、セツに会いに行くから!」
 だって私はセツの事が好きだから、という言葉は飲み込んだ。汎性であるセツにとって、そういった言葉は重荷になってしまうだろう。
「名前……」
 セツは、きゅっと名前の手を握り返した。

 名前はきっと、次に会えた時、私のことを忘れているよとセツは言った。
「……な、何それ」
「そう決まっているんだよ、名前」
「そんな事ないよ! そりゃ、私、そんなに頭よくないけど、セツのこと忘れたりなんか絶対しないもん」
「あるんだよ、そんな事」
 セツは名前がセツのことを忘れてしまうと信じ込んでいるらしかった。いったいどういう事なのだろう。もしかするとセツの出身の星ではそういう、何か流行り病のようなものがあって、他人の記憶に残り辛いとか、そういうものがあったりするのだろうか。この広い宇宙の中、有り得ないとは言い切れない。自分がセツのことを忘れてしまうなんてある筈がないと思ったが、同時にセツが嘘を言っているようにも見えなかった。
「……もし、もし本当に、私がセツの事忘れちゃったとしても」名前が言った。「きっと私、またセツに恋をするよ。何度でも、何回でも」


 呑み込んだ筈の言葉が、ぽろりと口から飛び出してしまった。言ってしまった、そう思うと同時に、じわじわと頬が赤くなっていくのを感じる。セツからしてみれば、汎性の自分に好意を抱き、あまつさえ自分の星に連れ込もうとしている変態だ。それでも、伝えておかなければならないと思ったのだ。セツが、あんまり苦しそうな顔で、もう会えないと言うから。
「だ、だからね、セツ、私は――……セツ!?」
 ばっと顔を上げた名前は、セツが静かに涙を流していることにひどく動揺してしまった。「ご、ごめんね、気持ち悪かったよね」と謝っても、セツは首を横に振るだけだ。おろおろとするだけの名前に、セツが泣きながら小さく笑う。「ありがとう、名前」
「……うん」
 セツを抱き締めようとしたその時、「名前とセツってそういう仲だったのか?」としげみちが言い、「僕、そういうのって結構気付く方なんだけどなあ」とコメットが口にし、「美しい友情……てか愛情?」と沙明が訳知り顔で頷いた。思い返せばここはメインコンソールで、自分達の他にも乗員が居るのだ。名前は真っ赤になって、身を強張らせることしかできなかった。涙を浮かべたままくすくすと笑い続けるセツが、こんなに可愛らしい人だっただろうかとそう思いながら。

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