慟哭の人魚

 名前を含めた大半の予想に反し、名前・名字とフロイド・リーチのオツキアイは二ヶ月を経過した今になっても続いていた。フロイドが飽き性なことは知っていたので、彼の告白に頷いた時、「三日と保たないだろうな」と高を括っていた名前としては、正直かなりの誤算だった。名前の友人達も、最初のうちはげらげらと笑うなり、「リーチが友達の元カレになるの嫌すぎ」などと笑うなりしていたのだが、近頃では口を揃えて「あいつらになんか弱味握られてんの?」と恐々尋ねてくるようになっていた。ちなみに、名前がフロイド、及びオクタヴィネルに何かを脅されているという事実はない。
 今現在、フロイドは中庭で課題をしている名前の隣に座っている。名前が課題を終わらせるのを待っているのだ。
「ねえ、まだァ?」
「まだあ」
 名前がやる気の無い返事を返せば、フロイドはちぇッと舌を鳴らした。課題なんて後で良いじゃんだの、適当にでっち上げれば良いじゃんだのとぶつぶつ言っているが、名前が折れないことを知っているからだろう、それ以上は言ってこない。フロイドを知っている人間が見れば、まず間違いなく二度見することだろう。

 週に二、三度はこうして放課後を二人で過ごす。もっとも別に何をするということもなく、二人でだらだらと喋ったりするだけだ。名前としては友達とつるんでいるだけという感覚なのだが、どうもこのやりとりは世間一般ではデートに分類されるようで、もっと言えばフロイドもそう思っているらしいということに最近気が付いた。やけに「何で今やんの?」だの「後でよくねえ?」だのと言って来るとは思っていたのだが。
 フロイド・リーチは、格好良い。
 整っている顔も、すらりとした体格も、その甘い声も、何もかもが魅力的だ。そんな格好良い男が、どうして何の取り柄も無い自分などに好意を抱いているというのか。
 当然、天変地異にも似たその異常事態を、まともに信じられる筈も無い。
 こうして付き合いが――恋人ごっこが続いているのも、彼が何らかの賭けでもしていて、その延長なのだろうと名前は考えていた。飽きれば勝手に離れていくだろうと。「オレ、名前のこと好きなんだけど?」という、告白とも恫喝ともとれる台詞に「じゃあ付き合ってみる?」と返したのは、フロイドの機嫌を損ねるのは不利益しか産まないだろうと判断したというだけだ。彼は度々騒ぎの中心に居るし、その騒ぎが流血沙汰となったのも一度や二度ではない。
 しかし実際この関係は既に二ヶ月続いていて、名前もいい加減「おや?」と思ってきていた。あの飽き性のリーチ弟が、よくもまあ特定の男とこうして交際など続けていられるものだ。フロイドは本人が楽しさ第一主義なこともあり、一緒に居ると楽しいと感じられることも多いので、名前としては別にこの関係に不満はなかったのだが。近頃の名前は、早くフロイドが飽きてくれないかなとすら思っていた。――これ以上この友達とも何とも取れない関係を続けていては、こっちが離れられなくなってしまう。
 それが狙いだったらウケるな、そんな事を思いながら、名前は隣からのプレッシャーを無視してレポートを続ける。大体にして、トレインは意地が悪いのだ。いったい何冊参考書を用意させれば気が済むというのか。

 フロイドが再び、「ねえまだァ?」と口にした。
「オレ、飽きてきたんだけど」
「まだだって」
「そんなの適当に終わらせればいーじゃん」
「フロイドはそれができるかもしれないけど、俺はできねえの」
 別に課題に手を抜けないというわけではなく、単純に名前がフロイドほど要領が良くないというだけだ。
 さっさと纏める、適当に終わらせる、といった芸当は、相応の構成力が無ければできない。名前がフロイドと同じように“適当に”終わらせようとするなら、かなりの時間と労力を費やして、文章力を磨かなければならないのだ。なまじそれが出来てしまうフロイドには、あまり解らない感覚なのかもしれないが。実際、名前が課題をすると宣言したため、仕方なく同じように教科書なり参考書なりを取り出したフロイドは、ものの数分で一本のレポートを書き上げてしまっていた。
 顔も上げずに応えた名前に対し、フロイドは何も言わなかったが、何も言わないまま頭を名前の肩にぐりぐりしてくる。割と痛い。
「そんなに待てないなら帰れば? お前がモストロ抜けてるとアズールに嫌味――」
 言われるし、と言おうとしたのだが、名前は言葉にすることができなかった。途中でフロイドに殴り飛ばされたからだ。


「何すん――」
「なんでンな事言うのお!?」
「は……」
 突然の暴力に、思わず怒鳴り返そうとした名前だったが、それより先にフロイドがぎゃんぎゃんと喚いたことでつい口を閉じてしまった。「オレは名前が好きなのに!」だの、「名前が宿題するって言うから、ちょっとでも早く終わらせて一緒に遊ぼうと思ったのに!」だの、「挙句アズールとか……オレと居るのに他の奴のこと言うし!」だのと叫んでいる。
 ただでさえ目立つフロイドが、顔を真っ赤にして大声で喚いていることで余計に注目を集めていた。あっちの生徒達なんか、指を指して何やらヒソヒソしているではないか。見てんじゃねえぞクソ。
「……何、フロイド、ほんとに俺の事好きなの?」
「はあ〜!? 最初からそう言ってんじゃん!!」
 殴られて地べたに転がされ、痛い思いをしているのは間違いなく名前の筈なのに、フロイドの方が余程痛そうな顔をしているのがいやにおかしかった。――泣き出しそうなその顔が、ひどく魅力的だなんて。結局、何を言う間もなく、名前はとっくの昔にフロイドから離れられなくなっていたのだ。

 立ち上がった名前は、そのままフロイドの襟元を掴んで引き寄せる。「課題やめて、二人きりになれるとこ行く?」と耳元に囁き掛けてやれば、フロイドは「バッカじゃねぇの!?」と尚も顔を赤くさせた。

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