名前は善人ではないが、決して悪人じゃない。カリムは良い奴だし、友達だし、カリムが本当に必要としているのなら、自分のプライドやら、信念やら何やらを一旦脇へ置いて、彼の為に尽くしてやっても良いと思っていた。
 カリムはただ、死ぬのが怖いのだと言えば良かったのだ。
 ――それなのに、あいつ何て言った? 名前が毒を消してくれれば、ジャミルが死ぬことはないだろう?
 理解できない。共感できない。納得できない。自分の身の安全でなく、他人が不利益を被ることへの心配。そんな事があっていいものなのだろうか。名前は漸く、一部の人間がカリムを毛嫌いする理由を理解できた。名前にとって、カリム・アルアジームは気味の悪い、得体の知れない不気味な怪物だった。

 名前の気持ちに気付いているのかいないのか、カリムが名前に対して接し方を変えることはなかった。しかしながら、彼が言った通り、もう名前を自分の家に仕えないかと誘うことは無くなった。どうやら名前が迷惑に思っていることを知り、その意思を汲んでくれているらしい。段々と、名前とカリムは以前の関係に戻っていった。名前のユニーク魔法が浄化だと知る、その前の関係に。
「宴?」
 名前が繰り返すと、フロイドは「そうらしーよ」と気怠けに言った。どうやら彼自身は気が乗らないらしい。「なんかあ、ラッコちゃんがテストで良い点取れて嬉しかったから宴するんだって」
「わざわざモストロ・ラウンジで? なんじゃそりゃ」
「最近、アズール、ラッコちゃんに付きっ切りだったじゃん。一緒に勉強してたんだって。金魚ちゃんも一緒に。で、こないだのテストで割と良い点だったんだって」
「ふーん」
 “金魚ちゃん”は、確かハーツラビュルの寮長であるリドルの事だった筈だ。学年首席と次席に勉強を見てもらっていたのなら、さぞかし良い成績となったに違いない。違いないのだが、名前はどうにもアズール達苦労を想像せずにはいられなかった。カリムは頭が悪いわけではないのだが、些か注意力が散漫なところがあった。アズールもリドルも彼に勉強を教えるのはかなり骨を折ったに違いないし、その対価にモストロ・ラウンジを貸切にさせたのだろうということは想像に難くない。アズールがいくらでラウンジを貸し出したのか、知りたいような知りたくないような。
 この日、カリムが主催のパーティーをモストロ・ラウンジで行うことになっていた。名前達はその準備に追われているのだ。店の清掃やら、料理の下拵えやら。
「――ん? じゃあアレか、カリムもうちの料理食べるのか?」
「はあ? 何当たり前の事言ってんの? ラッコちゃんが発注したんだから、ラッコちゃんも食べなきゃおかしいじゃん」
「……ふーん」
 名前が一人で納得していることが癇に障ったのか、フロイドは「ねえオレ飽きてきたあ」とごね始めた。フロイドが一旦へそを曲げると、軌道修正がほぼ不可能になってしまう――そうなると、彼に与えられていた仕事が全て名前に回ってこないとも限らない。名前は慌ててフロイドの機嫌を取り始めた。


 放課後のモストロ・ラウンジは、大勢のスカラビア寮生で賑わっていた。時折違う寮の腕章の生徒も混ざっているのは、恐らくカリムが招待したからなのだろう。中には例のオンボロ寮の監督生や、他寮の寮長の姿もあった。
「おーい名前」そう声を掛けてきたのは、友達のスカラビア生だ。
 名前は大皿を両腕に抱えたまま、声のした方を振り返った。ウェイターなんてした事がなかったが、モストロ・ラウンジで働くようになってすっかり慣れてしまった。片腕に二皿ずつ載せて運ぶのなんて楽なものだ。
「すっかり出遅れちまったあ」
「部活だったんだろ、ご苦労さん」
「まーな――おっ、美味そうじゃん。寮長のとこ運ぶんだろ、一口貰って良い?」
「別にカリムのとこってわけじゃ……アッ、こいつほんとに食いやがった」
「だって腹減ってんだもん」
 やっぱりモストロの料理美味いな!と笑っている友人に、名前は肩を竦めた。それから「じゃあまたな」と言い合って別れ、名前はそのまま主催者であるカリムの元へと向かった。失礼しますと声を掛け、テーブルに皿を並べる。空いた皿を下げるのも忘れずにだ。「おっ、名前!」と声を上げたのはカリムで、随分楽しそうに笑っている。
「どの料理も美味しそうだなあ。なあ名前も食っていけよ、腹減ってるだろ」
「馬鹿、俺は仕事があるんだよ」
「ちょっとくらい良いじゃないか。一緒に食べた方が美味しいぜ。アズールには、オレが言っておいてやるからさ」
 名前は首を振った。この書き入れ時に、暢気にサボっていたとあっては、後日シフトを増やされることは目に見えている。もっともそのアズールは、向こうのテーブルでジャミルに何事かを熱心に話し掛けているのだが。
「オレも、今日は食べていこうかなあ」
「別に、気にしなくったって良いぜ。スカラビアから色々持ち込んでるんだろ?」
「おう、ジャミルがいっぱい作ってくれたからな!」カリムの裏の無い笑顔に、ジャミルの苦労が窺える。「けど、折角名前が持ってきてくれたんだしな」
 名前は小さく溜息をついた。そのままカリムの隣に座ると、カリムが不思議そうな顔で名前を見た。
「……うちの料理、どれも美味いんだぜ。お前はあんまり食べたことないかもしれないけど」
 そう小さく言ってから、名前はマジカルペンを取り出し、手近にあったカナッペの大皿に手を翳した。「『俺はお前を拒絶する』――」

 名前がユニーク魔法を使うのを黙って眺めていたカリムは、名前がペンを下ろすとやがて破顔した。
「ありがとうな、名前」
「……別に、お前の為にしたわけじゃない。そもそもうちの料理に毒が入ってるわけないんだし。けど、カリムはこうしないと食べられないだろ」
「あっはっは、ありがとうな名前」カリムはそう言って笑った。「お前はやっぱり良い奴だよ」
 奥のテーブルから、複数の悲鳴が上がったのはその時だった。



 保険医が言うには、あと一歩連れてくるのが遅ければ、手遅れになっていたかもしれないということだった。発見が早かったこと、ジャミルが迅速に吐き出させたこと、薬草を持っていた生徒がいたこと、保健室まで二分足らずで運べたこと。その全ての要素があわさって、命を取り留めたらしい。倒れたのは、先程話しをした名前の友達のスカラビア生だった。毒を盛られたのだ。

 周りの生徒が証言するには、彼は席に着いた時からどこか具合悪そうにしていて、テーブルに載った料理はどれも口を付けていなかったらしい。つまり、毒は名前が食べさせた料理に盛られていたのだ。名前は重要参考人として取調べを受けたが、結局その日の内に帰されることとなった。
 こんこんと眠り続ける同級生を、名前はただ見詰めていた。いつの間にかやってきていたカリムは、「そう心配しなくても、何日かすれば目を覚ますらしいぜ」と名前に声を掛けた。「暫く痺れが続くかもって話だけど、二ヶ月もすれば完治するそうだ」
「そ……れは、良かった、うん」
「……なあ、名前が責任感じることはないんだぜ」
 カリムの言葉に、名前は思わずカッとなった。「友達を殺すところだったんだぞ! あと少しで俺が……!」
 お前のことだって、と泣き出しそうな気持ちで吐き出せば、カリムはひどく悲しげな表情で名前を見詰めた。
「――けど、こいつは死ななかった」カリムが言った。「オレのせいだから、名前が気にする事はないぜ」
 カリムは語り始めた。アジーム家に優位に立とうとする輩が大勢居ることや、跡目争いも頻繁に起きてしまっていること。誰かから貰った食べ物は、食べると大概具合を悪くするということ。だから自分は信用の置いている人間からのものしか食べないし、毒味も欠かさないのだということ。
「こいつには悪いことをしたし、謝って済むことじゃないけど、名前が気に病むことじゃないのは確かだ」
「カリム……」
 名前は再び見舞い用の椅子に腰を落ち着かせた。そんな名前の肩に、カリムが優しく手を添える。
 カリムは名前のせいではないと言ってくれたが、名前の気が収まらなかった。青白い顔で眠り続ける友人を見ていると、後悔ばかりが募っていく。あの時つまみ食いを止めていたら、運ぶ前に浄化の魔法を掛けていたら、あるいは。

「……やっぱり、オレには名前が必要みたいだなあ」カリムがぽつりと言った。
「なあ名前、やっぱりオレの家に来てくれるつもりはないか? オレ、こんなだからさ、名前が来てくれるとすごく助かるんだけどな」
「………………」
「ホントはオレ、食事もあんまり好きじゃないんだよな。楽しいことも多いけど、嫌なこともいっぱいあったからさ。けど、名前が来てくれたらその心配は無くなるんだけどなあ」
「……カリム、俺は」
「さっきのだって、本当は危なかったんだぜ。サソリの毒って神経毒だろ、ジャミルが上手く吐かせてくれたから良かったんだけどさ。ま、ジャミルなら心配要らないか」
「…………は?」
 名前は思わず立ち上がり、背後に居る筈のカリムを振り返った。「どうした? 名前」


 カリムの赤い目を――彼の瞳が、まるで紅玉のように深い赤色をしているだなんて、今の今まで名前は知らなかった――見詰めながら、一つ一つ思い起こそうとした。だって、知っている筈が無い。「お前、何で知ってるんだ? 使われたのが、サソリの毒だなんて」
「先生も警察も、毒の種類の特定はまだだって言ってたぞ。毒の鑑定が得意って言っても限度があるだろ」
 名前がそう声に出しても、カリムは穏やかな表情のまま名前を見詰め返すだけだった。「まさか、まさかお前」
「まさか、お前が盛ったのか?」
 毒の種類まで、あの混乱した場で解るわけがない。皿に残っていたかもしれない毒の粒子は名前が消したし、名前の友達だってすぐに運ばれたから服毒症状だって判断がつかなかった筈だ。ただし、カリムが仕組んだことだというのであれば、毒がサソリだと言い当てたことも納得できる。
 ただし、理由が無いことを除けばだが。
「まさか」カリムは笑ってみせた。「まさか、誰も思わないだろ。カリム・アルアジームが自分の皿に毒を盛っただなんて」

 医務室の中は静かだった。保険医は席を外しているし、患者は一人きり。見舞い客は名前と、そしてカリムだけ。「言っとくけど、オレが食べさせたわけじゃないぜ」
「名前が一番よく知ってるだろ? あいつはオレのところに来る筈だった料理をつまみ食いしてああなったんだ。別にオレが食べさせたわけじゃない」
「な、何を言って……」
「それに、その皿にユニーク魔法を掛けたのは名前だろ」
「……は?」
「毒消しの魔法を掛けてくれただろ? だって、そうしなきゃオレが食べられないもんな。でも、それだってオレが頼んだわけじゃない」
 カリムが何を言わんとしているのか、名前には解らなかった。しかし、名前は正しく理解してしまった。いつからだ、いつから仕組まれて――。「けど他の人はこう思うかもな。“あいつは毒入りの料理を自分が食べさせられそうになったから、毒を消したんだ”って」

 毒が入ってるかどうかなんて、仕込んだ奴にしかわかんないもんなあ。そう言ったカリムは、普段と同じように明るく笑っていた。
 ――あの場で一番怪しいのは名前だった。毒入りの料理を運んでいたのも、毒入りの料理をカリムへ渡したのも、何もかも。名前がカリムを煙たがっているという事実は、何人かの生徒に裏を取れば証言されてしまうだろう。そうでなくてもカリムはアジーム家の跡取り息子だ、殺す理由はいくらでもある。名前が学校に帰ってこれたのは、単に証拠が不十分だからという理由だけ――名前は理解した。自分は参考人でなく、容疑者として取調べられていたのだ――何せ、暗殺未遂の証拠は名前がこの世から消してしまった。
 あの皿は、名前が犯人ではないという証拠でもあったのだ。しかし、名前は自分でそれを消してしまった。名前のこれからは、全てカリムが握ってしまった。名前がこれから安穏と学校生活を送れるのか、それとも同級生殺害未遂の汚名を着せられ一生を終えるのか、全てはカリムの思うが侭だ。

「――……お前、お前いったい、いったい何がしたいんだよ」
 俺がいったい何をしたっていうんだよ。名前はそう言いながら、カリムから距離を取ろうと後ずさった。しかし半歩もしない内に、足が硬い何かにぶつかる。ベッドが微かに揺れても、友達は目を覚まさなかった。「何度も言ってるだろ? オレは名前が欲しいんだ」
「言っとくけど、これは勧誘じゃないぜ。だって約束したからな、もう勧誘はしないって。オレはさ、お願いしてるんだよ。そりゃ、アジーム家に来ることで多少窮屈かもしれないし、ユニーク魔法も日に何回か使ってもらわないといけないと思うけど、絶対損はさせないって約束する。
――だから名前、オレを信じろ」
 膝を着いた名前が小さく頷くと、カリムは「そうかそうか! 来てくれるか!」と嬉しそうに声を上げた。「あっはっは、やっぱり名前は良い奴だな」

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