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 名前・名字は根っからの悪人というわけではない。むしろ、名前本人はごくごく一般的な――もしくは平均からやや劣る程度の――人間だと自負していた。勉強はだるいし、女の子からはモテたいし、道端で倒れている人がいれば救急車を呼ぶくらいはしてやるだろうし。
 だから別に、カリムの頼みを幾度も断るのだって、名前が特別性格が悪いからというわけではないのだ。名前だって、カリムが本当に名前の手を必要としているのなら――毒を盛られて死にたくないから浄化のユニーク魔法を使える名前を雇いたいというのであれば、別に、名前だって、彼の願いを無下に断りやしないのだ。おそらくそれは世間一般の倫理観に基づいた行動の筈だし、名前も彼がカリムでなければ、きっとそうしてやっていただろう。
 名前は、心底気持ち悪いと思ってしまったのだ。カリム・アルアジームという人間を。


 カリムは傲慢なまでの純真さと、陽の光を思わせるような底抜けの明るさを併せ持った男だった。ナイトレイブンカレッジ生らしからぬ彼の言動に、ある者は自身の暗さを浮き彫りにされることを恐れて厭い、またある者は自身が持ちえない明るさを持つ彼に惹かれた。名前は後者であり、カリムのことをとても好ましく思っていた。彼の近くに居るだけで、自分がまっとうな何かになれたような、そんな気がするからだ。
 そりゃ、彼の従者であるというジャミルや、彼と同じ寮の生徒であれば、毎日のように彼の突然の思い付きに振り回されるのは少し、いやかなり大変かもしれないし、ひょっとするとうんざりしてしまうかもしれない。しかし名前が闇の鏡に見い出されたのは海の魔女のような慈しみの精神であり、彼とはクラスも違うので、カリムとは程よい距離が保たれていた。時折彼の催す宴に顔を出し、一緒に馬鹿騒ぎをする。楽しかったし、居心地がよかった。

 ホールで注文を取っていた名前の腕を引っ張り、「名前のユニーク魔法は毒の浄化なんですよ」と言ったのはアズールだった。
「毒の浄化?」
「正確に言えば、人体に悪影響を及ぼす成分の無効化ですがね」珍しくジャミルが食い付いたことで、アズールは更に続けた。名前の腕を掴んだまま。「名前のユニーク魔法を使うと、物質から毒性を取り除くことができるんですよ」
「へえ」
「つまりですねえジャミルさん、名前さえ居れば、ジャミルさんがカリムさんにつきっきりになる必要がなくなるんです。もちろん食事に限りますし、指向性はないので少々料理の味が変わってしまうこともありますけどね」
 ホリデー中に何らかのやりとりがあったそうで、ここ最近のアズールは、やたらとジャミルに構うようになった。以前から“ジャミルと友人になりたい”だのなんだのと言ってはいたが、まさかその一環で自分のユニーク魔法までばらされるとは思わず、名前はかなり面食らった。フロイドがうっかり口を滑らせている現場は居合わせたことがあるし、まあフロイドなら仕方ないなとも思うのだが、アズールにそれをやられると聊か複雑な気持ちだ。他人のユニーク魔法を勝手に他人に教えるな、と、フロイドをそう叱り付けているのは、主にアズールだからだ。
 腕を解きながら、「それだと俺がカリムにつきっきりになることにならないか?」と口を挟んでも、アズールはどこ吹く風だ。もっともそのアズールも、ジャミルと友人になりたいという理由だけで寮生の将来を安売りする気は流石に無いようで、ジャミルも、そして一緒にラウンジを訪れていたカリム――どちらかというと、ジャミルが付き添いなのだが――も乗り気でなかったこともあり、それ以上は勧めなかった。この話は有耶無耶になり、終わった筈だった。次の日やってきたカリムは、「ユニーク魔法が浄化ってホントなのか?」と名前に尋ねた。

 ドリンクを運んできた名前は、同級生を見下ろしながらどう答えようか考えあぐねていたが、結局「まあね」とだけ声に出した。アズールがばらしてしまった手前、取り繕っても仕方がない。
「へーっ。名前ってすごい奴なんだなあ」
 彼の率直な賛辞に気をよくしないわけではなかったが、どうにも違和感があった。大体にして、カリムが一人で行動していることがそもそもおかしいのだ。彼の傍には常にジャミル・バイパーの姿があったし、名前達もそれが当たり前だと思っていた。カリムにその事を指摘すれば、ジャミルとは友達なのだから、いつも一緒というわけではないのだという。そういうものなのだろうか。
「別に、すごくなんかないぜ」カリムからの賞賛の視線に耐え切れず、名前が言った。
「何せ、使い道がないんだからな」
「使い道ならあるさ、オレの食べるものに掛けてくれればいい」
「ああ、昨日アズールが言ってたやつ?」名前が言った。「何、毎日暗殺でもされてるわけ?」
「あっはっは、まあな!」
 とんでもないことを口にしたカリムだったが、彼はニコニコと笑ったままで、名前はいったい自分がどういう顔をすればいいのか解らなかった。世界有数の大富豪であるアジーム家――カリムの大らかな人柄故か、その事について今まであまり変には思わなかった。せいぜい金銭感覚がやや狂っていたり、直属の従者が居たりするのが普通だというくらいなのだろうと。まさか、日常的に暗殺などというものが関わってくるものなのだとは。しかしながら、冗談を言っているような気配は微塵も感じられない。おそらく、カリムは大真面目に言っているのだろう。名前は少々引いた。生きてる世界が違うんじゃないだろうか。
「……何だよ、昨日アズールが言ってたやつ、まさか真に受けてるんじゃないだろうな」
「おう! だって名前が居てくれたら心配しなくてよくなるんだろ?」
「心配ねえ……」
 暗殺される危険性、自分が口にするものが安全なものなのか解らないという不安。どちらも名前には想像すらできないものだ。「あっ、そうだ」とカリムが言った。「なあ名前、ちょっとやってみてくれよ」
 カリムはそう言うや否や、先程名前が運んできたグラスを、名前の前に置き直した。
「おい、うちの店で毒入りなんて出すわけないだろ」
「あっはっは、解ってるって。オレ、ほんとはジャミルが作ったものしか食べないようにしてるんだ」カリムが言った。「そう約束したからな」
「けど、名前が魔法で安全だって確認してくれたらオッケーだろ」
「何がどうオッケーなんだ」
 またしても、アジーム家の闇を垣間見てしまった気がする。カリムとジャミルがよく一緒に居るのは、単に彼らが主従関係であるからというだけではないのかもしれない。
 これ以上関わるのはよろしくない、そう判断した名前は、カリムが言った通り、彼の前にあるフロイド特製ドリンクにユニーク魔法をかけてみせた。
 ――名前のユニーク魔法は効果にそぐわず、簡単な詠唱一つで済む。そのうえ消費魔力も少ないという優れものだ。おそらく、現代でなければ重宝された魔法だろう。何せこれ一つで食あたりにならなくて済むし、疫病だって抑えられるかもしれない。名前自身、かなりイイ魔法なんじゃないかと思っていた。使う機会が無いことを除けばだが。
「ほらよ」
「……えっ、今ので終わりなのか?」
「まあな」
 凄いなあと感嘆の声を漏らしていたカリムは、それからフロイド手製のマーメイドジュースを一口飲むと、「これ美味いな!」と笑顔になった。フロイドはかなりの気分屋で、料理の腕前もその時々で変わるのだが、この日は当たりだったようだ。
「どんな毒でも消せるのか?」
「試した限りではな」
「植物の毒とか、蛇毒とかも?」
「蛇は試したことないけど、フグは消せたぜ」
「へえー」名前って凄い奴なんだなあ、と、再度カリムが言った。その日から、カリムは名前に自分の従者にならないかと度々勧誘するようになった。

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