金の鞠の行方

 名前は当然飛び上がることとなった。先程、確かにカウンターにいた筈のサムが自身の背後、しかも真後ろにぴったり張り付いていたからだ。「Hey 小鬼ちゃん、今日は一体、何をお求めで?」
 耳元から聞こえてきた男のささやき声、両肩に置かれた手、背中に感じる気配――ばくばくといつも以上に働かされている心臓の鼓動が聞こえているのかいないのか。返事が無かったことを訝しんだのか、サムは名前の顔を覗き込み、名前が死ぬほど驚いていることに漸く気が付いたらしい。その形の良い眉をついっと上げてみせる。
「そんなに驚かなくったって良いのに。小鬼ちゃんに言われた通り、ちゃあんと声を小さくしたんじゃないか」
「それは……いや、驚きますって」
 以前、名前はサムの大声にびびり散らし、危うく手にしていたの商品を落として割ってしまいそうになった。それで、次に話し掛ける時はもう少し声を小さくして欲しいと彼に頼み込んだわけだが、結果がこうだ。確かにサムは、およそ彼らしくないような、とても静かな声で話し掛けてくれた。しかしながら、これなら普段の方がマシというものだ。良い男に背後を取られているのは、どう考えても心臓への負担が大きい。名前がやっぱり前のままで良いですと小さく口にすると、サムは「我が侭な小鬼ちゃんだなァ」と肩を竦めた。

「それで? 今日は何をお求めで?」
 此処にあるものなら何でも揃っているよ、と、あたかも誠実そうな口振りでサムが言った。
 実際は至極当然の事を言っているだけなのだが、“此処にある”の幅はかなり広いので侮れない。やれ一度刺したら千年眠り続けてしまう魔法の掛かった針だだの、一口齧るだけで死に至ってしまう毒林檎だだのを扱っているという噂もあるくらいだ。まさか本当にそんなものまで売っているとは思わないが、火のないところに煙は立たないというし、実際取り扱っていない商品でも、一度頼めば次の日には大概のものは取り揃えてくれるのが彼のミステリーショップだった。
「えーっ、と」
「どうしたんだい小鬼ちゃん。こんな所――」名前が見ていたのは、各種魔法薬が取り揃えられていた薬棚だ。「――錬金術の成績が芳しくないのかな? それとも補修?」
「えっ、何で自習だって思ってくれないんですか?」
「だって錬金術嫌いだろ?」
「くっ……」
 名前がサムの店に来るのは大抵が小腹を満たす為なのだが、どうやらサムには把握されていたらしい。もしかすると、普段名前があまり熱心に授業を受けていないことも、時折やってくる彼の店で魔法の道具類に少しも目を留めないことも、何なら薬剤の棚の前で舌を出す真似をしたりすることすらも、彼は知っているのかもしれない。彼の言う“秘密の仲間”が教えてくれたということだろう。
「何でもこのサムに言ってごらん。さ迷える小鬼ちゃんにだって、きっと欲しい物を見付けてみせるさ」
「小さなカエルから高貴な王子様まで、ですか」
「……そうそう」
 にこりと笑みを浮かべてみせたサムを前に、名前は暫し頭を悩ませた。恐らくミステリーショップでも扱っているものだろうし、仮に店頭に並んでいなくてもサムに伝えれば、簡単に手に入るだろうことは解っていた。もちろん、自分が欲しいものが解らないというわけでもない。名前が困っているのは、果たしてそれをサムに伝えてよいものなのか判断がつかなかったからだ。
 幸か不幸か、名前に助け舟が差し出された。もっとも、これが本当に名前にとって本当に救いになったのかは誰にも解らないのだが。「名前は惚れ薬を買いに来たんだゾ!」

 そう声を張り上げるのはグリムという名のモンスターだった。例の監督生と行動を共にしていることが多い彼だが、時折こうして名前の元へもやってくる。もっともそれは名前が好かれているからなどという理由ではなく、単純に猫好きの名前が彼に強く出られないことをグリムが熟知しているというだけの話だ。予想した通り、どうやらこの可愛らしいモンスターは名前に昼食をせびりに来たらしかった。いつからついてきていたのだろう、足元に居たグリムは名前の肩までよじ登ると「ツナ缶を寄越すんだゾ!」と大声を出した。
「名前は好きな奴が出来たから、そいつに飲ます惚れ薬を買いに来たんだゾ!」
 そう言って、ふんぞり返るグリム。まったくもって予想外の事を言われたからなのか、それともグリムの言葉の真偽が解らないからなのか、サムは些か困ったように名前へと視線を移した。そして名前が渋々と頷いてみせると、目をぱちくりと瞬かせたのだった。
「ていうかグリム、何でそんな事知ってるのさ」
「フフン! オレ様には何でもお見通しなんだゾ! なんてったって大魔法士になるんだからな!」
「はいはい……」
 おざなりな対応が気に障ったのか、グリムは毛を逆立てて怒ったが、彼が何をしても可愛く見える名前には効果がなかったし、そもそも既にツナ缶を探す方へシフトしているのだからまったくの無意味だ。生卵から魔法石まで取り扱っているのだから、ツナ缶だってないわけがない。
「小鬼ちゃんは愛の妙薬が欲しいのかい?」
「はい!?」思わぬ問い掛けに、声が裏返ってしまった。「あ、はい、ええまあ……」
 ――いったい何故、わざわざ恥の上塗りをさせられているのか。しかも、かなり丁寧に。こういったものは胸の内に秘めておくものだし、名前だってそうしたかった。というか普通、放っておいてくれるものじゃなかろうか。もう少しばかりクルーウェルの授業を真面目に受けていれば、わざわざ購入を考えなくても良かったかもしれないのに。
 名前はサムが何を言ってきても鉄の心で耐え忍ぼうと決意を固めたが、意外なことに、サムは少しも名前をからかわなかった。それどころか大真面目に「取り扱いがないわけじゃあないよ」と口にした。
「ただ……そうだね、明日まで待って貰えば相応のものを用意するよ」
「あ、じゃあ……」
 お願いします、と名前はもごもごしながら言った。売っているといいな、そんな気持ちでショップへと足を運んだので、その点に関しては嬉しい誤算だった。まさか自分の魂胆をグリムに知られていることは予想外だったのだが、サムもからかってこなかったし、目的の品も手に入ることになり願ったり叶ったりだ――他人の感情を左右させる薬を購入する、そして使うことに対しての罪悪感は特に無い。
「それで」サムが言った。
「小鬼ちゃんは、いったい誰に、それを飲ませたいのかな」

 果たして答えるべきなのかどうか。困り切ってしまった名前は顔を上げ、それから絶句した。出掛かっていた言葉も、喉の奥底へ引っ込んでしまった。「サ、サム、さん……?」
 名前が問い掛けた言葉を受けてだろう、サムは普段通りの笑みを浮かべた。先程までの無表情がまるで嘘のように。また明日おいで、といつものように気さくに声を掛けるサムに、名前は恐る恐る頷いた。



 次の日の放課後、名前は再びMr.Sのミステリーショップを訪れていた。カウンターの前に立ったのが名前だと知ると、サムはちょいちょいと手招きし、カウンターの奥、普段であれば立ち入り禁止のスタッフルームへと案内した。狭く簡素な部屋で、中央の丸テーブルの上に色の着いた小瓶が置かれていた。恐らくあれが例のブツなのだろう。ありがとうございますと口にすれば、どういたしましてとサムが言った。
「そうだ、お代っていくらでした? あんまり高いのだと厳しいんですけど……」
「いや? お代ならもう貰っているさ。言ったろ? 明日まで待ってくれれば、相応のものを用意するって」
「へ? いやそれは言ってましたけど……サムさん?」
 独りでに閉まった扉がいやに大きな音を立てた。
「小鬼ちゃんは、ソレをどこかの誰かに飲ませたいんだろう?」
「……サムさん?」
 一歩一歩、サムが名前に近付く。いつの間にか、彼の顔から笑いというものが削げ落ちていた。背筋がゾッとするほどの無表情だったが、その目にだけは、ある種の感情が宿っている。
「OKだ。こいつを一口でも口にすれば、たちどころに小鬼ちゃんに夢中になるだろう。高貴な王子様だろうと、妖精の王様だろうと、誰だって君に夢中さ」
「サムさん」
 すぐ目の前までやってきたサム。
「言ったろう? 相応のものを用意するって」
「サムさんどうしちゃったんですか、変ですよ」
 目の前に居るサムが、どんどん大きくなっていく。大きくなりすぎて、彼を見ようと思うと首が痛い。立っていられない。
「ずっと君を見てたんだ。それが今更、誰かの物になるなんて耐えられない。な、解るだろう名前?」
「……まっで下さ、こ、レを、のまぜだイのハ――」
 続きは声にならなかった。いや、確かに音にはなったのだが、言葉にならなかった。四つんばいになった名前を、サムはすぐさま掴み上げる。名前は逃げ出そうとじたばたともがいたが、サムは慣れた手付きでそのまま棚にあった鉄の籠に押し込めた。籠の扉には細い鎖が巻き付き、カチャンと軽い音を立てて錠が掛けられた。


 校庭の片隅、Mr.Sのミステリーショップに、オンボロ寮の監督生と相棒のグリムは訪れていた。賑わった店内、にこやかに出迎える店主。何やら香を焚き込めているらしく――グリムは「鼻が曲がっちまうんだゾ!」と呻くと、鼻を押さえ、それから沈黙を保っていた――、嗅ぎ慣れない匂いがするものの、いつもの光景だった。しかしながら、一つだけ普段と違うものがあった。ショップのカウンターに、小さな鳥篭が乗っていたのだ。もっとも中に居るのは小鳥ではなく、一匹のカエルだった。サムに尋ねると、悪い事をしたからここに閉じ込められているのだという。
「悪い子はおしおきしてあげなくっちゃあ。小鬼ちゃんだってそう思うだろ?」
 はあ、と生返事を返したものの、サムはにこにことしているだけだった。結局、監督生はそんなカエルの事なんてすぐに忘れてしまった。頼まれた買出しをこなさなければならなかったし、そうでなくとも目まぐるしい毎日を送っていたので、気に掛けている余裕など少しもなかったのだ。

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