発砲願います

「……え」
 零れ出た私の呟きが聞こえてしまったのだろう、マキマさんはこてんと首を傾げた。
 任務中の彼女を見たことがある人間は、マキマさんのことを機械的な人間だと思うだろう。実際、私も最初はそう思った。何事にも心を動かさず、ただ淡々と任務を遂行するだけの人間なのだろうと。殺し、殺し、殺し。無感動に弱者を踏み躙る彼女に、恐怖すら覚えたこともある。だからこそ、こうして――ひどく女性らしい仕草をする彼女が、よりいっそう可愛らしく映ってしまう。もちろん、惚れた欲目もあるにはあるのだろうが、それだけではない筈だ。誰だってマキマさんに見詰められれば恋に落ちるし、実際、例の新人くんは彼女に惚れ込んで4課に来たらしい。
 名前ちゃんに死んでほしいの。
 聞き間違いでなければ、マキマさんはそう言った。曰く、今捜査している悪魔の痕跡が、私が契約している悪魔のものと類似しているのだという。もっとも“類似している”というのは正確ではなく、名前の悪魔であればその痕跡を残す事が可能だという事なのだそうだ。尻尾を掴ませない悪魔だったが、公安の人間が匿っているのならば話は変わってくる。名字名前は、容疑者の一人だった。
 マキマさんの為なら死ねる。それは事実だし、別段未練もない。死ねと言われて死ぬことだって、万が一そんな日が来たならすぐに実行できるよう心構えをしてきたつもりだった。それがマキマさんの為になるのなら死んだって良い。構わない。ただ一つ、これが冤罪でなければ。

 追っている悪魔は各地で殺人を行っていた。名前はその間任務についていたし、その合間に殺しをする暇なんてなかった。私は弱いし、いくら悪魔と契約しているとはいえ、そもそもマキマさんの追跡を逃れられる筈がないのだ。ただし、私が与り知らぬ間に、悪魔が単独で行動していたとすれば話は別だ。意識を失っている私の体を操ったり、やっていないのだと記憶を操作したりしていたとすれば。悪魔の証明――不意にそんな言葉が過ぎる。

 マキマさんは私が聞こえなかったと思ったのだろうか、もう一度「名前ちゃんに死んでほしいの」と静かに言った。名前ちゃん、名前ちゃん、名前ちゃん。彼女のその綺麗な唇が私の名を紡ぐ度、とてつもない幸福な気持ちに襲われる。例え死ねと言われている今でさえ、それは変わることがない。はい、と私が返事をすると、マキマさんは確かに微笑んだようだった。


 元々私を死なせる予定だったのだろうか、人払いが済んでいるようで、辺りに人の気配が感じられなかった。ただ一人、マキマさんを除いては。
 使われていない取調室に、マキマさんと二人きり。彼女は部屋の隅にあった丸椅子を引っ張ってきて、それに腰掛けた。足先のカバーが一つ外れている。どうやらマキマさんは私が死ぬところを見届けてくれるつもりらしかった。もっとも被虐的嗜好からでなく、犯人かもしれない悪魔の消滅を確認したいということだろう。ちなみに、私の中にいる悪魔は沈黙を守っている。恐らく、犯人は彼ではない。それと同時に、私を助けてくれる気もないのだろう。弱い私と契約しているより、他の人間に乗り換える方が良いという事なのかもしれない。それとも彼も私と同じで、マキマさんには逆らえないと肌で感じているのかも。
 好きな人に見られながら死ぬというのは、いったいどういう心地なんだろう。
「――は」喉がからからに渇いていた。喉の奥が張り付くような不快感の中、懸命に言葉を紡ぐ。「は、発砲、願います」
 初めての任務の時でさえ、これほど緊張したりはしなかった。私の言葉を聞き、マキマさんのその美しい柳眉が微かに顰められる。「自殺にも許可を取るの?」
 一瞬、ひゅっ、と喉が詰まった心地がした。
 私が何も言えないでいることを察したのだろうか、マキマさんは「冗談だよ」と言った。彼女なりに場を和ませようとした結果だったのかもしれない。もっとも、私に死んで欲しいという気持ちは変わらないようだったが。「許可します」

 腰元のホルスターから拳銃を抜き、それから弾丸を込める。これ、こんなに重かったかしら。そんな事を思いながら。
 身辺整理どころか遺書すら書いていなかったが、私に残されたのはこの場で自殺をするか、それを拒否してマキマさんに殺されるかの二択しか残っていなかった。私が犯人だと100パーセント断言できるわけではないのだろうが、無実を証明できるものは何一つとしてなかった。逃げおおせている悪魔への恨みつらみは特に無く、誤った人間を始末してしまったという汚名をマキマに着せてしまうことだけが心苦しい。
「震えてるね」
「……えっ」
「名前ちゃん。さっきから少しも動けてないよ。大丈夫?」
「あ……」
 息がし辛い。折角マキマさんが声を掛けて――私を心配して声を掛けてくれたのに。「
大丈夫です」、と何とか言葉を捻り出すと、マキマさんはいつもの調子で「そう」と言った。
 いわれてみれば、確かに拳銃を持つ手が震えていた。だって、今まで殺したことはあっても死んだことはないし。絶対に痛いし。死ぬのが嫌なわけじゃないけど、死にたいわけじゃないし。呼吸が荒い。どうしてこんな簡単な事もできないんだろう、と、他人事のように考えている私が居る。気力を振り絞って、何とか銃口を頭の横まで持ってくる。銃に恐怖を抱かないように努めてきたつもりだったのに、今、私の横にあるこれが本当に怖い。
 いざ発砲する段階になっても、マキマさんは椅子に腰掛けたまま、無表情に私のことを眺めているだけだ。
 ――えっ、これってマキマさんの事を見ながら死ぬのアリなんだろうか。私だったらトラウマになるかもしれない。こんなの絶対夢に見るもん。けど、マキマさんは気にしないかもしれない。言ってて悲しくなってきたけれど、事実なので仕方がない。民間人が死のうと、部下が死のうと、マキマさんが動揺しているのを今までに一度も見たことがなかった。
「あ」マキマさんが言った。
「名前ちゃん、それはやめておいた方がいいよ」
「……えっ」
 ――死ななくても、良いんだろうか。
 一瞬そう考えて、自分が本当は全然死にたくないのだということを改めて実感した。そりゃそうだ。だって、今死んでしまえば、もうマキマさんに会うことができなくなってしまうのだから。「側頭部だと、ちゃんと死ねないこともあるからね。頭蓋骨に沿って弾が反対側に抜けることだってあるし」


 跪き、銃口を咥える。今から死ぬというプレッシャー、喉を圧迫する金属の塊、マキマさんの視線。そのどれもががっちりと噛み合って、その場に吐き散らかしそうだった。オエッ、と小さく嘔吐きながら、引金に指を乗せる。それがなかなか引けないのは、私に勇気がないからなのだろうか。そうやってると口でシてるみたい、名前ちゃんえっちだね。からかうようなマキマさんの科白に、本当にどうにかなってしまいそうだ。
 ちなみに、この後冗談だと止められた。これだけ脅しても――宿主が死ぬ間際になっても――悪魔が姿を現さないのだから、私は犯人ではないだろうということらしい。そういうつもりだったならもっと早く言って欲しかったとか、元々私は犯人じゃないんですとか、思うところは色々あったものの、一番は、さっさと死んでいた方がマキマさんは褒めてくれたんじゃないだろうかということだった。

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