沁み込む熱

 名前はぶるりと身を震わせた。今回のゲームは軍需工場――廃墟となったミネルヴァ軍需工場で行われるようなのだが、どうやら季節は冬に設定されているようで、工場の外はしんしんと雪が降っていた。たまーに、こうやって雪降ってることがあるんだよなあ。特別寒がりというわけではないのだが、雪が降っている中、いつ来るともしれないハンターの襲撃に怯えながら解読を行うのは肉体的にも精神的にもきついものがあるので、早々にゲームを終わらせてしまいたかった。もっとも、名前はゲーム開始時点で工場の内部に居たので、今のところ雪に降られる心配は無いのだが。都合のいい事にすぐ傍に暗号機があったので尚更だ。
 ハンターがあっちから来たらあっちへ逃げて、あっちから来たら二階に逃げよう。
 そんなことを考えながら、名前は暗号解読を始めた。名前の胸がどくんと脈打ったのは、解読が七割ほど終わった頃のことだった。

 工場の南側から、人ならざる影がうっすらと垣間見えた。当然、名前は一目散に二階に駆け上がる。ハンターは、ルキノ。
 しかし、誰かがチェイスをしていた様子はなかったものの、真っ先に工場にやってくるとは如何なものだろうか。此処は名前達がよく逃げ道に使う場所で、追うのを諦めるハンターも居るほど、名前達有利の場所だった。恐らく工場内の暗号機が一番進んでいたということなのだろうが、それでもなかなかの悪手な筈だ。もちろん彼の場合、一息で二階に跳んでくることもできるので、他のハンターよりは追いやすいということかもしれないが。
 工場内部にやってきたルキノは、暗号機の前で立ち止まった。恐らく、名前が二階に潜んでいることはばれているだろう。解読の進捗は機械に触れなくとも解る筈だし、彼は耳鳴りに悩まされている筈だ。ジャンプを警戒しつつ、魔トカゲの動向を伺う。しかしながら、彼はいつまで経っても暗号機を眺めたまま、じいと立っているだけだった。


 ひょっとして、流行りの優鬼だろうか。
 他の仲間達がそれぞれ一つずつ解読を終わらせた頃、名前は恐る恐る階段を降り始めた。もちろん、油断させてから一気に仕留める、なんて事も有り得なくは無いので、警戒は続けたままだ。ハンターは工場に居る、そうメッセージを送りながら、ルキノから片時も目を離さず忍び足で階段を下りる。
 階段を降りた左手に窓があるので、もしも彼が襲い掛かってくるようなら、そこから逃げようという算段だった。名前が思っていた通り、ルキノは名前の存在に気付いていたらしい。しかしながら、チェイスが始まることはなかった。「……君か」

「優鬼、です……か?」
 ルキノなら一息で跳んでこられるとはいえ、二人の間にはかなりの距離があった。ハンターといえども、恐々と尋ねた問い掛けは、流石に聞こえなかったらしい。「降りてきなさい、攻撃しないから」
 そう声を張り上げたルキノは、名前が警戒しているのを見てだろう、手にしていたナイフを投げ捨てた。そう、ナイフを投げ捨てたのだ。
 空っぽの両手を顔の横に上げ、敵意が無いことを示しているルキノを見詰めながら、名前は少しずつ彼に近付く。かの凶器は入り口近くに投げ捨てられたままだ。残りの暗号機は二台、名前が元々解読していた工場の暗号機も含めれば、実質一台分を切っているだろう。もしも仮にここで名前が捕まってしまっても、名前達の勝ちはほぼ決まったようなものだ。
 地下は小屋だし、イライの使い鳥も見ていてくれる。
 じりじりと近付く名前――しかも未だ気を許していない名前を見ながら、ルキノは「まったく、か弱いトカゲでもあるまいに、そうも警戒せずともいいだろう」とぼやいた。「獲物もこの通り捨てているのだし、君が私を遠巻きにする理由はない筈だ」
 ナイフがなくたって、その図体で襲い掛かられたらこっちは一溜まりもないじゃないか。そう言ってやりたいのはやまやまだったが、ルキノがその事実に気が付いていない可能性を考慮すると、胸に秘めておく方が賢明だろう。
「だって、油断させてからざっくり、っていうハンターも居るじゃないですか」
「そんなのが居るのか」
「リッパーさんとかリッパーさんとか」
「あー……」ルキノは否定しなかった。

 邪魔はしないからさっさと解読するといい。ルキノにそう言われ、名前は仕方なく解読を再開した。もっとも、名前としては彼がいつ心変わりするとも限らないので、此処の暗号機はとっとと捨ててルキノから距離を取りたい気持ちでいっぱいだ。解読を進めつつ、その上で横に立つルキノの挙動を少しも見逃さないよう努めるのは、なかなかどうして骨の折れる作業だ。
「……あの、今日はいったいどうしたんですか? ルキノさん、優鬼なんて今までしなかったじゃないですか」
「んん? ああ……」ルキノは、少しばかり口篭った。
 ――偏に優鬼と呼ばれるハンターの行動には、大きく分けて二つの種類があった。一つは最初からゲームを捨てているパターン。そしてもう一つは、最後の一人だけ見逃し、あえて脱出させるというパターン。名前が覚えている限り、ルキノは後者になったことこそあれ、ゲーム自体を放棄したことは今まで一度も無かった。一人だけ見逃すのなら兎も角、ゲームの成績にも響くし、ハンター側に利点も無い。
「此処は寒いだろう」
「はい? ん、ああ、はい、冬ですもんね何故か」
「つまり……まあそういう事だ」
「……はい?」
 名前は与り知らぬことだったが、生前から愚かしい研究者達に悩まされていたルキノにとって、彼女の示した理解力の乏しさはそんな彼らを彷彿とさせ、ほんの僅かに彼を苛立たせた。ルキノがいかに素晴らしい研究を論じようと、彼らは少しも理解を示さなかった。名前の為に噛み砕いて説明するのは吝かではなかったが、「爬虫類が変温動物であることは知っているかな」、などと嫌味ったらしい口調になってしまうのは、致し方のないことだった。当然、名前はむっとしたような顔になる。「知ってますけど……」
「私もそのクチでね。こうも外気温が低いとまともに動けやしない」
「へー……でもルキノさん、いつもはちゃんとしてますよね? 私、前に此処の二階で殴られたことありますもん」
「まぁね。普段は適温に調節してからゲームに臨むんだが――もしくは、此処がステージなら他に代わって貰ったりだとかね――今日はその時間がなくてね。ゲームどころじゃないというわけだ」
「なーるほど」
 どうやらハンターの人間離れした身体能力にも、相応のデメリットがあったらしい。彼の場合トカゲというよりもはや小型の恐竜のようだが、そんな彼が体温が下がりきっていて上手く動けないというのであれば、万が一ルキノが襲い掛かってきても上手く逃げられるかもしれない。

 名前が内心でほくそ笑んだ時、不意にひやりとする冷気が体を覆った。次の瞬間、名前は何か冷たいものに纏わり付かれていた。当然それはルキノだったし、名前が「ひぃっ」と悲鳴を上げても、力いっぱいもがいて暴れても、彼は名前を抱き締めるのをやめなかった。ただ一度だけ、抱き付かれた衝撃で調整に失敗してしまった時、ルキノも痺れてしまったのだろう、一瞬だけ拘束が弛んだ。もっともそのまま放してくれるなんてことはなく、「へたくそ」と低く笑われるだけだったが。
「ル、ル、ル、ルキノさん!?」
「さっさと解読しなさい、私も早く此処から出たいんだよ」
「ちが、な、何やってるんですかって聞いてるんですよ!」
「……君は暖かいな」
「人の話聞いてます!?」
 腹部に回されていた彼の両腕がもぞもぞと動いたので、名前は気が気ではなかった。変温動物が熱源を求めているだけ――その理屈はわからないではなかったが、特別親しいわけではない異性に、しかも大柄なハンターに抱き締められている今の現状はなんとも耐え難かった。名前はもはや解読をやめ、ルキノの手を引き剥がしにかかっていた。しかし鱗に覆われた彼の手は掴みづらい上、引っ張ろうとすればするだけ力が篭っていくので埒が明かない。
 ひんやりとした彼に、段々と名前の体温が移っていく。触れ合っている箇所が徐々に暖かくなっている感覚が、いやに居心地悪かった。
 このまま、体中の熱を奪われてしまうんじゃないだろうか。もっとも、名前は別の意味で発熱しているのだが。

 ぱきりと小さな音がして、名前はばっと顔を上げた。どうやら僕の手助けは必要はなかったようだ。そう嘯くのは占い師のイライで、工場の入り口付近に立っている彼は、ずっとハンターの近くに居た名前を援護してくれるつもりだったらしい。見られていたと思うと、ますます恥ずかしくなる。そして彼が合図を送ったことで、遠くの暗号機が解読され、ゲートが通電する。名前がルキノとごたごたしている間に、六台目の暗号機の解読も進んでいたのだ。
「それじゃ、名前、ごゆっくり」イライはそう言って手を振った。
「ま、待って! 手を貸して! 早く!」
「いやあ、これだけ見せ付けられればね……」
「本当に待って!」
 結局、ルキノが名前を開放する頃には、既に他の三人は無事に脱出を果たしていたし、名前はこの場所でのゲームには金輪際参加しないことを固く誓ったのだった。

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