しのびごと

 この馬鹿げたゲームへの参加も十回を超える頃になると、段々とコツのようなものが掴めて来た。ハンターに追われている時は広い場所でなく障害物の多い方へ行って追跡の手を緩めさせること、近くに来られても焦らずに相手の動向を伺うこと、時には大胆に立ち向かって霍乱させること。逃走経路を予め考えておくことも大事で、今の名前は道化師の姿をしたハンターに追われながらも、次に向かう場所を考えていた。
 この窓を越えたら、あっちの方へ走ろう。まだあっちの板は使ってない筈――。
 五台の暗号機の解読が終わってから、既にかなりの時間経っていた。仲間達がどんなルートを辿ったか迄は把握できていないが、流石に皆、もうどちらかのゲートには辿り着いた頃だろう。ゲームで使われる箱庭には必ず二箇所のゲートがある。軍需工場では、ちょうどマップの南北に位置していた。最後に上がったのは中央付近の暗号機だった筈だし、名前があと少し粘れば、サバイバー側の勝利は決まったようなものだ。
 道化師の男はどうやら名前だけは絶対に吊ると決めているらしい。通電した時点でゲートに飛べば、まだ勝負はわからなかっただろう。しかしながら、一番初めに見付かった名前が思うように捕まえられなかったので、どうやらムキになっているようだった。
「このクソ野郎、いい加減吊られやがれ!」
「馬鹿か! 自分から勝負捨てる奴がどこに居んだよ!」
 振り被ってきた道化師に向け、名前は怒鳴り返しながら板を倒したが、どうやら丁度顔面にぶち当たったらしい。ハンターは地団太を踏みながら呻き声を上げている。こうなってしまえば、最早彼の狙いが名前から逸れることはないだろう。

 元々、名前はチェイスが得意なわけではなかった。普段のゲームであれば、出来る限り解読役に徹し、他に誰も助けにいける仲間が居なければ助けに行く、そんな役回りだった。運動が得意なわけではなかったし、いまだにハンターと向き合うのだって怖い。それでも、今回のゲームはそうとばかりは言っていられなかった。カヴィン・アユソの存在だ。
 レディーファーストが染み付いた男、カウボーイのカヴィン・アユソ。そして悪く言えば根っからの女好きな男。名前達にはゲームにおいてそれぞれ特異な性質を与えられている。彼の場合は異性と一緒に解読をすると、やる気が漲り解読のスピードが上がるのだそうだ。普段からそのやる気を発揮して欲しいものだが、問題なのは名前が自身の性を偽って生活をしていることにある。

 生まれてくる性別を間違えた――子供の頃から女になりきれなかった名前は、自身の性を未だに認められていなかった。荘園に来たのだって、ゲームの賞金で改革を起こしたかったからだ。もちろん世の中が変えられるなどとは思っていないが、資金は多ければ多いほど良い。
 幸い、サバイバーの面々に知り合いは居なかったし、皆それぞれが賞金を狙っているからだろうどこか他人行儀なこともあって、名前が男として振舞うことに何の問題もなかった。誰も気が付かなかったし、これからも気付かれるつもりはなかった。
 しかし、カヴィンと解読をすることで、それがばれてしまうかもしれないのだ。そうなるとエウリュディケ荘園には居られないし、今までの苦労だって水の泡だ。そんな危険は到底冒せなかった。だから名前はこのゲームが始まった時、一番気にしたのはハンターでなくカウボーイの居場所であり、なるべくカヴィンから離れた場所で解読をしようと移動していた矢先に道化師と鉢合わせたのだ。

 もう皆、ゲートに居るだろうか。いいかげん走り疲れてきたし、そろそろ殴られても――名前がそんな事を考えた時、不意に強い力で体を引っ張られた。宙を飛んだ、そう思った時には既に、名前はカヴィンの肩に抱え上げられていた。「カ、カヴィン……!?」
「よくやった!」
 名前を担いだまま、カヴィンが全速力で走り出した。攻撃を空振りさせられた道化師が怒り狂っているのが視界の端に映る。「こっちのゲートはもう開いてる! このまま二人で脱出するぞ!」
「ばっ……」舌を噛みそうになりながら、名前が叫ぶ。「……っか野郎! 何で逃げてねえんだよ! お前らが逃げてくれてたら――」
「これだけ稼いでくれたんだ、見捨てられるわけないだろう?」
 彼らしい、気障ったらしい科白に名前は一瞬呆れてしまったが、正面から――カヴィンからすれば背後からだが――猛ダッシュで迫ってくる道化師に焦りが生じる。しかも、その目は依然として赤い光を放っている。特殊能力の効果が続いているのだ。「きっ、来てる来てる! ピエロ来てる!」
「解ってる!」
「ノーワンもまだ切れてねえって! このままだと二人共やられちまうぞ!」
「大丈夫! あの突進攻撃ならノーワンは乗らない! 僕ら二人共殴られることになるけど、その勢いで走れば間に合うさ!」
 確かに、と、名前は一瞬だけ思ってしまった。脱出ゲートは目前だったし、中治りのおかげで名前の体力も全快している。名前とカヴィンがそれぞれダメージを受けることになるが、殴られた反動でゲートまで駆け抜ければ――何も問題は無い筈だった。名前が女でさえなければ。「――っ、降ろしてくれカヴィン!」

 助けられたことへの驚きと歓喜、迫り来るハンターからのプレッシャー。それらが名前を苛み、自分から降りればよいのだということに名前は少しも気が付けなかった。名前の分のダメージを肩代わりしたカヴィンは、勢いよく地べたに転がった。唖然として、困惑の表情で名前を見上げている。ごめんと一言謝りたかったが、ピエロが再び名前に襲い掛かろうとしていたこともあり、カヴィンを助けられないまま、ゲートから飛び出してしまった。その後、カヴィンは吊られてしまったものの、反対側に残っていた二人は無事に脱出し、このゲームはサバイバー側の勝利となった。


 それからの名前は気が気ではなかった。カヴィンは気が付いたに違いない。名前が女だということに。ゲームで自身や仲間達、ハンターの能力の把握は最優先事項だったし、カヴィンが自身の特性を理解していないわけがない。そもそもその直前に“あの攻撃なら大丈夫”と念を押していたのだから尚更だ。しかしながら、名前は次の日になっても誰かに糾弾されるようなことはなかった。
 おはようと手を上げた傭兵は、挙動不審な名前を見ても、怪訝そうにするだけだった。名前が何故びくついているのか、その理由は解っていないらしい。それどころか、昨日のゲームは見事だったと肩を叩いてくる始末だ。彼が言うには、あの後男連中の何人かで酒盛りをしていたのだという。言われてみれば、確かに昨夜、誰かが名前の部屋のドアを叩いていた。荷物を纏めるのに忙しかった名前は誘いを断ってしまった――というより居ない振りをしたのだ――が、どうやら立役者である名前を呼びにきていたという事らしい。
「惜しかったよなあ、カヴィンのやつ、間違えてお前のこと降ろしちまって、しかもその後恐怖食らったんだろ?」
「お、おう」
「あれがなきゃあ俺らの圧勝だったのになあ」まあそういう時もあるよなとナワーブは笑った。
 今度は一緒に呑もうなと笑う彼の表情には、今まで通り男友達として接する気楽さしかなく、名前が女なのだとはほんの少しも思っていないようだった。昨夜の飲み会にはカヴィンも居たようで、つまりは彼は名前の素性をばらさなかったということだ。
 もちろん、傭兵だけに明かさなかっただけで他の人には話している可能性もあるにはあったが、その後サバイバーの誰に出会っても、名前の性別について少しも触れてくることはなかったし、それどころか誰も彼も顔色一つ変えなかった。普段通りの荘園だ。

「あの……ちょっと良いか」
 レディー達を口説くのに忙しいんだと手を振ってみせたカヴィンだったが、名前がそこから動かなかったからか、それとも名前の纏う雰囲気が剣呑なものだったからか、もしくは女性陣が「呼ばれてるわよ」と口にしたからか、彼は肩を竦めつつ立ち上がった。それからウィラとマーサに投げキッスを送るものだから、何となく気力が削がれてしまう。
 適当な空き部屋に入り、辺りに人気が無い事を確認すると、名前は開口一番「言わなかったのか」と口にした。
「言わなかった……って、何がだい?」カヴィンが首を傾げる。
「それは……」
 ――まさか、名前が女だと気が付いていない?
 そんな事がある筈もなかったが、それでも期待せずにはいられなかった。自分が男装していることが知られていないのであれば、名前はこれからも荘園で一攫千金を夢見ていられるし、他の誰とも今まで通りの関係でいられるのだ。しかし名前を担いだままのカヴィンがダウンしたことで名前の性別は割れている筈だし、むしろ名前を担いだ時点で男ではないと解ってしまっていたかもしれない。

 恐らく、名前はかなり神妙な顔をしていたのだろう。カヴィンは些か困ったような素振りを見せたが、やがて「君が女性だってことかい」と口にした。名前がゆっくり頷くと、カヴィンはますます困ったような顔になる。
「君はその事を隠しているみたいだし、それなら僕が言いふらすような事じゃあないだろう?」
「そりゃ……」至極当然のように言われて、名前の方が困ってしまった。「けど、俺はみんなを騙してるんだぜ」
「誰にだって、隠し事の一つや二つくらいあるさ」
 まあ僕がレディーのことを見抜けなかったのは不覚だけどねとカヴィンは笑った。「君が隠したがっているんなら、僕だって手伝うさ、友よ」


 返事をしない名前を不審に思ったのか、「名字?」と怪訝そうにカヴィンが言った。
「っ、あの」
「うん?」
「俺、その、名前っていうんだ。俺の名前。名前・名字」
「名前?」
 カヴィンが名前の名を繰り返した。可愛い名前だなと笑ってみせるカウボーイに、名前はどういうわけだか顔が熱くなるのを感じていた。

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