こわいもの

 あ、白髪。思わず零れ落ちてしまった呟きだったが、熱心に食費を計算していた筈の名前はすぐさま反応した。「うそでしょ?」
「私が君に嘘をついたことがあったかね」
「あるわ仕事しろ」名前がぴしゃりと言った。既に死にそうだったが、名前はあの若造と違って暴力を振るうことはないし、その声音には確かにドラルクを思っての愛情を感じた(気がする)ので、砂になることは無かった。「うそ、どこ?」
「そこそこ」
「えー……」
 ドラルクは指で示したが、名前は上手く見付けられなかったようだった。見当違いの房を手にしている。ジョンもそこだと手で示しているが、なかなか見付からないらしい。見兼ねたドラルクが別の房を手にし、少しずつ髪を分けていくと、自身でも視認できたのか名前の表情が段々と渋いものへと変わっていく。「うそじゃん……」
「待って、ねえ抜かないでよ、後でちゃんと切るから」
「私が見付けたんだぞ!」
「何嬉しそうにしてんのよぶっ殺すわよ」名前はそう言って、ぺしゃんと――ドラルクが死なないよう配慮してだろう、ごくごく弱い力だった――ドラルクの手をはたいた。彼女の豊かな長い髪に、白い筋が紛れて消えていく。「抜くとね、髪が傷んで根元から増えるのよ」
「ふーん……」
 あーショック、と、未だ己の髪を気にしている名前。彼女達よりずっと長い寿命を持つドラルクからしてみれば、白髪が一本あったくらいで気に病むのは、なかなか理解し難い感覚だ。ドラルクが優しくソファーに押し倒しても、名前は未だ自分の髪を気に掛けていた。
「そう気にせずとも、君はいつでも綺麗だよ。それにそれだってあれだろ、よく愚痴ってる上司のせいのあれだろ」
「語彙無し男か?」
「ショック死するぞ?」
 微かに笑った名前に、ドラルクも微笑んだ。「ストレスだよストレス。気にすることはない。パーッと温泉にでも行こうじゃないか。24時間営業の混浴を探そう」
「泥になったあんたを集めるの嫌よ、私」
「そんな簡単には死にません〜〜〜!」
 我ながら説得力の無い台詞だと思ったが、どうやら名前もそう思ったらしかった。くすくすと小さく笑い始めた名前に、ドラルクもほっとして彼女の首筋に顔を寄せる。歯を立てるつもりはさらさらない。彼女の存在で口腔を満たすこの瞬間が、ドラルクはいっとう好きだった。

 ――人間の進歩は目覚ましかった。たったの百年で電話だって持ち歩けるようになったし、月にだって行けるようになった。医療技術の進歩も凄まじく、彼らの平均寿命は日に日に延びる一方だった。しかしながら、吸血鬼であるドラルクのそれとは天と地ほどの差がある。名前は人間だ。
 ドラルクは、例え名前が総白髪になろうと、総入れ歯になろうと、痴呆症を患った老婆になろうと愛せる自信があった。しかし彼女が居なくなってしまった時、その哀しみに耐えられるかどうかは、また別の話だ。
 以前、一度だけ、血族に入らないかと名前を誘ったことがあった。君の居ない世界は想像ができないのだと。だから吸血鬼になって共に生きないかと。
 どんな体質の人間でも、辛抱強く試せばきっと吸血鬼になれる筈だった。ドラルクは旧い血を継いでいるので尚更だ。しかし、名前はそれを断った。もう少し若い時分に誘って欲しかったと、そう優しく笑いながら。
 彼女はこれからきっとますます白髪が増えていき、そして必ずドラルクよりも早くこの世を去っていくのだ。


 名前がギャッと悲鳴を上げたのも当然だった。自分に覆い被さっている男が死んで砂になれば、そりゃあ叫びたくもなるだろう。ドラルクだった砂が口の中に入ってしまったのか、名前はげほげほと咳き込んでいるし、ジョンはドラルクの死にショックを受けてヌーヌーと泣いている。阿鼻叫喚だ。
 ドラルクはまたやってしまったと思いながら、いつものように蘇生を試みる。ずるずると自分を取り戻していき、名前の腹の上に馬乗りになれば、咳き込みすぎて涙目になった名前が困惑の表情でドラルクを見上げていた。
「げほっ……なに、何で今死んだの?」
「いや……うん……」
「何なのほんと……」歯切れの悪いドラルクに、名前の方も困ってしまったようだった。「ねえ、ちょっと鼻に入ったんだけど大丈夫でしょうねこれ」
「ああ、後でティッシュでかんで捨てておいてくれ」
「それなら良いけど……本当に今どうして死んだの?」
 君との離別を思って悲しくなってしまったのだと、そう言ったら名前はどういう反応をするのだろうか。きっと、「そんなの解りきったことじゃないの」と呆れるか、「またその話なの」と怒り出すに違いない。
「何、白髪の私が嫌なわけ? 心配しなくても染めるわよ」
「そういうわけじゃないさ」
「じゃあ何よ」
 ドラルクは言い澱んだ。「その……将来が不安というか……」


「学生みたいなこと言ってんじゃないわよぶっ殺すわよこのクソニート!!!!!」
「すみません!!!!!」
 名前の大声に驚いたドラルクが死に、ジョンが再び悲鳴を上げたのはまた別の話だ。

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