写真家、邂逅す

 このゲームは散々だ。ジョゼフは深く溜息をついた。まず、一度目の撮影で誰も見つけられなかったことがそもそもの敗因――いや、断じて負けてなどいないが――だ。その後、何とか鏡像だけは椅子に括ることが出来たのだが、サバイバー達の連携がしっかりしているのか、気付けば写真世界崩壊後すぐに回復していて、ジョゼフは頭を掻き毟りたくなった。幸い、広大な湖景村が舞台であることと、脳筋な面子が揃っているおかげ肝心の解読こそ進んでいないものの、ジョゼフの心労は溜まる一方だった。
「……ダイアーが居るのもやらしいんだよな」
 医師の彼女の治療スピードは他のサバイバーと比べ段違いな上、ジョゼフが与えた僅かなダメージですらたちどころに回復させてしまうのだ。そしてその彼女の技術を見様見真似することで他のサバイバーの治療技術も上がるのだそうだ。完全に意味が解らない。模倣するだけで医者の真似事ができるのであれば、医師免許など必要なくなるではないか。
 兎に角まずは一人でも吊らないと、とジョゼフが気を取り直した時、ふとざわめきが耳に届いた。

 ――サバイバーが近付くと、ジョゼフ達ハンターはその気配を耳鳴りで感じることができる。
 辺りには鏡像も、本体の姿もなかったが、依然として耳鳴りは止むことがなく、どうやら此方に近付いてきているらしいと解った。残る暗号機は残り三つ。もしかすると、穏便に解読を進ませるため、オフェンスの男が敢えて牽制に来たのかもしれない。彼のタックルには幾度となく苦渋を飲まされているので、警戒は怠らないようにしなければ。
 写真世界の崩壊までにはまだ少々時間が掛かるため、ジョゼフは先に手近な暗号機へ向かうことにした。誰かしらは居るだろう、と始めに向かった海辺の暗号機は未だ解読されていないので、今ならば誰かいるかもしれないと思ったのだ。
 しかしながら、ジョゼフは途中で歩みを止めた。アンテナがほんの少しも揺れていなかったからだ。遠目に見る浜辺には人影が見当たらず、無駄足になりそうな予感をひしひしと感じる。勿論物陰に潜んでいる可能性もあるにはあるのだが、それでも――その時別の暗号機から解読完了の通知が届き、ジョゼフは再び溜息をついた。場所を特定できたことは幸いなのだと自分に言い聞かせ、どこの暗号機が解読されたのか確かめるべく振り返る。そしてすぐ後ろに立っていた見慣れないサバイバーに、ジョゼフは心底驚くことになった。

 やっと追いつけました!と爽やかな笑顔を見せるサバイバーは、確か先日荘園にやってきたばかりの女学生だった。名前は名前・名字といっただろうか。先程からしていた耳鳴りの主は、どうやら彼女だったらしい。
 サバイバーは追われる側、そしてハンターは追う側であり、こうして自分を追いかけてくるサバイバーなど見た事がなかったので、ジョゼフは素で驚愕してしまった。もっとも、追いかけられる経験が無いわけではない。オフェンスやカウボーイ、探鉱者や呪術師といった連中は、風船に括られた他のサバイバーを助ける手段を持っているため、こうしてハンターであるジョゼフを追いかけてくることもあるのだ。しかし、それでも彼らは基本的に姿を隠して近付いてくるものだ。これほど堂々と、ましてハンターに親しげに声を掛けたりなどしない。ジョゼフが事前に聞いていた限りでは、この新しい参加者はそういった手段を持っていない筈だし、そもそも今は誰も吊っていないので、わざわざハンターに近寄る理由はない筈だ。ハンターの位置を確認しにきただけという可能性はあるが、好き好んで写真世界に留まるサバイバーは居ないだろう。
 有り得ない事態、そしてにこにこと微笑むままの名前を前に、ジョゼフは攻撃するのを一瞬躊躇してしまった。第一、ジョゼフを見て微笑みを浮かべるのはどういう了見なのだろう。挑発? それとも煽りだろうか?
「私、名前です! 貴方のお名前は?」
「ジョゼフだけど……」
「ジョゼフさん!」
 思わず名乗ってしまったものの、素敵な名前ですね!と笑う名前に、ますますわけがわからなくなってしまった。ハンターを見ても物怖じしないどころか、悠長に自己紹介を始めるサバイバーに、ジョゼフはこの時初めて出会ったのだ。
 今回の敵は撮影師……写真家?らしいんですよ、と些かずれた物言いをする彼女に、漸くジョゼフも合点した――こいつ、僕がハンターだってことに気付いてない。


 目の前の男がハンターだと気付かない。そんな事が果たして在り得るのだろうか。確かに彼女はごく数日前に荘園に来たばかりで、あまりゲームには慣れていないのだろうし、むしろこのゲームが初めてだった可能性もあるにはあるが、それでもハンターの恐ろしさは肌で感じる筈だ――どうやらサバイバー達もジョゼフ達のようにハンターの気配を感じる手段を持っているらしく、彼らはジョゼフが近付くだけで逃げていく。彼女にしても、そういった能力は持っている筈だった。まして、抜き身のサーベルを携えた男を怖がらないのもどうかしている。
 ジョゼフは「そうだね」と相槌を打ちながら、心の中で僕がその写真家だねと付け加えた。
 ダイアー先生に教えてもらったんです、とどこか得意げに口にする名前。ジョセフは改めて今回のサバイバー達の顔触れを思い起こした。オフェンス、医師、傭兵、そして女学生。どうやら初心者の女学生をサポートすべく、この編成になったようだった。となると、彼女を囮にすれば他のサバイバーを釣ることが出来るかもしれない。この場で切りかかっても良かったのだが、折角勘違いをしているのだから、どうせなら写真世界が崩れた後にネタばらしをしてやる方が面白いだろう。

 暗号機を探しているらしい名前の横をついて歩きながら、ジョゼフはサバイバーの鏡像を探したものの、やはりこの辺りには居ないらしかった。耳鳴りを頼りに索敵しようにも、隣に名前が立っているのでは意味が無い。「ハンターの人達って、私達の足跡を見て追いかけてくるみたいなんですよ」
「そうだね」ジョゼフは生返事をした。
 もっとも、やはりサバイバーの鏡像は見付からない。諦め半分で「それも教えてもらったのかい」と尋ねれば、名前は「はい!」と元気な返事をした。
「だから、私もジョゼフさんの足跡を辿ってきたんです!」
「……そう」
 どうやらジョセフのそれと、自身が残している痕跡がまったく違うものだとは気付いていないようだった。抜けているというか、何というか。だいたい、ゲームが始まる前に同じゲームのメンバーとは顔を合わせているのだから、ジョゼフがその場に居なかったことくらい解るだろうに。
「あっ、ジョゼフさんありました! 解読器ありましたよ!」
「暗号機ね」
「あんごうき!」
 ぱたぱたと駆け寄り、おぼつかない手付きで解読を始める名前を眺めながら、ジョゼフはこれからどうすべきか思案した。どうやらこの撮影の間に解読できた暗号機は先の一つだけらしく、残りはあと二台のままだ。
「まあ、君を吊ってから考えようか」
「え? 何ですか?」
 がんがんと暗号機を叩いていた――どうしてそんな事で解読が進むのかはさっぱり解らないが――名前がジョゼフを振り返ろうとした瞬間、写真世界が崩壊し、暗号機がバヂッと大きく火花を散らした。


 調整に失敗したのは名前ではなく、同じ暗号機を現実世界で解読していた傭兵だった。「名前!?」
「びっくりした……ナワーブくん? 何で急に……」
「何、な――逃げろ!」
 しかしながら、ナワーブが名前の腕を引くより先に、ジョゼフのサーベルが名前に襲い掛かった。当然、解読途中だった名前が避けられる筈も無く、名前は一撃で倒れ込む。傭兵は憎々しげな目でジョゼフを睨むものの、剣を振りかざしてみせれば得意の肘宛てで逃げていった。もっとも隙を見て救助を行うつもりなのだろう、耳鳴りが消えることはない。
「いたた……え!? ジョゼフさん!? お、お顔が罅割れてます!」
「……そこ?」
 何が起きたのかまるで解っていないらしい名前に、ジョゼフは思わず問い返してしまった。そのままいつものように、風船に括り付ける。チェアまではまだ距離があるが、傭兵が一人で解読していたので、オフェンスは近くに居ないのだろうと判断したのだ。ジョゼフは名前を連れ、手近なチェアまで歩き出した。
「ど、どうして……」
「どうしてって、僕がハンターだからに決まってるだろう」
「ジョゼフさんが!?」
 ひゃあー、と驚きを露にしている名前に、ジョゼフの方が驚きたい気分だった。まさか、本当に気付いていなかったとは。

 名前は少しの抵抗もせず、ジョゼフにされるがまま運ばれていた。もしかすると、暴れ続ければ風船の紐が弛むかもしれない、なんて考えもしていないのかもしれない。私このまま捕まっちゃうんですか、と尋ねてくる辺り、ゲームの概要は理解しているようなのだが。そうだね、と、ジョゼフは何度目か解らない相槌を打った。
「君ね、ハンターの後ろを追い掛けるサバイバーが居るかい」
「まさかジョゼフさんがハンターだったとは……」
「動悸で解るだろう」ジョゼフが言った。「今だって、君の心臓はかなり大きな音を立てているよ。こっちまで聞こえてくるくらいにね」
「ジョゼフさんが格好良いからドキドキしてるんだとばかり……」


 ジョゼフは、盛大な溜息をついた。溜息をすると幸せが逃げちゃいますよ!などと頭上からアドバイスを送ってくる女学生を、乱暴な手付きで地面に叩き落す。名前は「ふぎゃっ」と随分と間抜けな声を出した。
「あいたたた……」
「……いいかい、この次は、ハンターに見付からないようにするんだよ」
 ジョゼフが名前を見逃したのは、ほんの気まぐれだった。こんな、ハンターの区別も付かないような初心者を入れたパーティーに、良いように立ち回られた事が悔しかったわけでは断じてない。まして、名前の無邪気さに毒気を抜かれたわけでは絶対にない。
 名前は「はい!」とお手本のような清々しい返事をしたが、ジョゼフは再び溜息をつくのだった。

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