天気雨の兆し

 赤の教会で優鬼されてからというもの、名前は時折白黒無常に優鬼してもらえるようになった。もっとも、大概はタコ殴りにされるし、近頃では白い姿の時でも殴ってくるようになったので、名前はあの長身の姿を見かける度、逐一普段以上の緊張感に身を包まれなければならなかった。しかし共通していることがある――白黒無常が優鬼をするのは、雨が降っている時だけだ。
 ――全てのゲームの成績は、サバイバー間で周知されている。誰がどのくらい頑張っただとか、あいつが間違いなく戦犯だったとか、そういうことが一目で解る表が広間に貼り出されるのだ。当然、名前と白黒無常の不可思議なやりとりに気付く参加者も出てくる。
「名前! 雨だぞ!」
 返事も待たず、名前の部屋に入ってきたウィリアムは、名前が思い切り顔を顰めても少しも気にしなかった。彼の後ろにはピアソンと、それから納棺師の男が立っており、どうやら彼らと名前でゲームに参加しようという魂胆らしかった。
 名前はオフェンスの言葉に、言われて初めて気が付いたとでもいうようにわざとらしく窓へ目をやり、「あら、ほんとね」と口にした。しかし動じるオフェンスではない。
「名前と行けばワンチャン優鬼だ! 行くぞ名前!」
「嫌よ、どうしてわざわざ雨の日に――」
「俺ら今期厳しいんだぞ、わかってるだろ!」
 これまで散々(ゲームの中でだが)死線を潜り抜けて来ただけあり、彼らの結託は凄まじかった。名前がオフェンスに気を取られている間、ピアソンが回りこんで名前の肩を掴む。「ちょっと!」
「まあまあ、ちょっと雨に降られるだけで勝ちがつくなら儲けだろ? 俺らを助けると思ってさ」
「う……そりゃ、私だって戦績良くないですけど……白黒無常が来るとは限らないですし、そもそもあの人が毎回優鬼するかなんてわかんないじゃないですか」
「良いって良いって。そん時はそん時だし」とオフェンス。
 来ないとも限らないだろ、と笑うのは泥棒だ。二人の男達に半ば連行されながら、名前ははあと溜息をついた。

 今日のように雨が降ると、ハンターが白黒無常であることを期待して、こうしてゲームに参加させられることが度々あるようになった。名前は最初にその事に気付いた弁護士を恨んだし、彼が椅子に括り付けられても絶対に助けるもんかと思っている。ちなみに、白黒無常が雨の日に優鬼になるのは、今のところ名前が居る時だけなのだそうだ。女に甘いのではという仮説も流れたが、調香師や心眼といった女性だけのメンバーの時も吊られたので、どうやら違うらしい。
「大丈夫ですかね、知らないですよ、違うハンターが来ても」
「いいのいいの」
「もー……ねえ、カールさんもなんとか言ってやって下さいよ」
 名前は後ろから付いて来る納棺師の男を振り返ったが、イソップはきゅっと眉根を寄せ、「一緒に解読しないで」とぼそりと呟くだけだった。こいつ、コミュニケーション取る気ない納棺師だな。聖心病院へ向かう名前達を、庭師のエマが「頑張ってなの〜」と手を振って見送った。ちなみに、この日のハンターは道化師で、名前達は見事に四人吊られることになった。


 ――この日のゲームは夕暮れ時の軍需工場で行われた。珍しく、名前は乾いたままゲームを続けている。「……あー」
 遠目に見えたシルエットは、まず間違いなく白黒無常だろう。時折写真家の男と見間違えることもあるが、カメラは置かれていないし、無常の方が断然背が高いので間違いない。
 名前は物陰に身を隠しつつ、慎重に次の暗号機を目指す。確か、あの工場跡の中に一つあった筈だ。ゲームで使われるこの場所は、どういった仕組みなのか解らないが、暗号機がランダムに出現する。しかしながら出現場所にはある一定の基準があるらしく、何度かゲームに参加していると、大体の目星が付けられるようになった。もちろん、思っている場所にあるとは限らないし、既に解読が終わっている場合だってあるのだが。
 もうちょっと他のメンバーとこまめに連絡が取れれば良いのになあと思いながら、名前は鼻をすすった。雨の日のゲームが重なったこと、元から体が丈夫なわけではないこと、日々の疲労が溜まっていたこと――それらが相俟って、名前はついに風邪を拗らせてしまった。数日休んでいたものの、この日はどうしてもゲームに参加しなければならなかった。一定の期間でゲームに参加していないと、資格が剥奪されてしまうからだ。幸い仲間達は無理はしないで良いからと言ってくれたので、名前はその言葉に甘えて解読役に徹している。心なしか解読の速度が落ちている気がしなくもないが、それでも指は勝手に動いた。解読している暗号機はまだ一つだけなので、相当頑張らなければならない。
 思った通り、廃工場の中に暗号機がぽつんと立っていた。アンテナの先には光が灯っており、未だ解いていないことが解る。名前はほっと息をつき、すぐさま解読に取り掛かった。

 四割ほどを解読し終えた時だろうか、不意に空気が揺らめいた気がした。「よう、小姐」
 ハッと振り返った時には、黒い方の白黒無常――范無咎が傘を振り上げたところだった。名前は咄嗟に身を屈め、何とか逃げようとするものの、すぐ後ろに立たれていたのでは敵わない。無様に転がった名前を見て、白黒無常は笑い声を上げた。

 大方、スキル――ハンター達には、それぞれ特異な能力が与えられているらしい――を使って名前に近付いたのだろう。暗号機は解読が進むにつれてアンテナが揺れ始めるので、それを見て名前の元に飛んできたのに違いない。逃げなければ。あそこの窓を乗り越えて、それから――逃走経路を頭に描きつつ、立ち上がろうとするものの、猛烈なだるさが名前を襲った。立とうと思えば思うほど、体から力が抜けていく。どうやら、一度座り込んでしまったことで、誤魔化していた体の疲れが一度に襲い掛かってきたようだ。
「健気だよなァ。まあ、俺達には関係のないことだが……おい、小姐?」
 暗号機に寄りかかったまま、立ち上がる気配を見せない名前に、白黒無常は初めて名前の様子に気付いたらしかった。
 薄れ行く意識の中、小さな舌打ちが聞こえたような気がした。


 気が付いた時、名前は何か硬く冷たいものの上に横になっていた。草原の真っ只中――どうやら、まだゲームは続いているらしい。探ってみれば、暗号機はあと残り一つとなっていて、サバイバーは名前と、そして踊り子が残っている。しかしそのマルガレータは現在椅子に縛り付けられており、もうまもなく脱落といった具合だった。負け試合だ。
 確か、私はあの時黒い方の白黒無常に殴られた筈。
 彼は、そのまま名前を吊らなかったんだろうか。いや、結果的に見ればそうなのは解るのだが、雨も降っていないのに彼が名前を見逃す理由が――雨が降っている時に見逃す理由もだが――いまいち解らなかった。名前は漸く、いま自分が座り込んでいるのがハッチの上だということに気が付いた。
 その時、遠くから踊り子の断末魔が聞こえてきた。どうやらマルガレータが飛んでしまったらしい。

 頭上でカラスが騒ぎ始めた頃、名前の心臓が自然と高鳴り始め、やがて白黒無常が姿を現した。白い姿、謝必安だ。
「ゲームが終わらないと思ったら、まだグズグズしているとはね」
 それとも吊られたいんですか、と、ハッチの横で座り込む名前を見てハンターが笑う。立ち上がる元気もなくて、と名前が小さく返せば、白黒無常は溜息をついた。不意に冷たいものが頬に触れ、名前はぎょっとしたのだが、驚いたのは謝必安も同じなようだった。名前の頬から手を離し、よくまあその状態で参加しましたね、と呆れた口振りで言った。
 ハンターに呆れられるなんて――言い返す気力もない名前を、謝必安は抱え上げた。薔薇の杖を持っているのは、リッパーだけだと思っていたのだが。「そこに落としますけど、ちゃんと着地して下さいよ。今度は転ばないように」
「……謝さん」
「なんです?」
「あの、さっきもこうして運んでくれました?」
「私が?」白黒無常は考える素振りを見せたが、どうやら違うらしかった。風船で吊られている時とも違うこの浮遊感を、つい先程も感じた筈なのだが。
 それから謝必安は名前をハッチへ落とし、荘園に戻った名前は、エミリーの献身的な介護の元、すっかり風邪を治したのだった。ちなみに、名前を無理に雨の日にゲームに誘っていた男連中(主にウィリアム)はエミリーにこっぴどく叱られたらしい。

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