雷柱の継子となってからというもの、獪岳は以前にもまして力をつけていった。池の中で数分間潜り続けても平気になったし、一番硬く大きな瓢箪だって一息で割れるようになった。数里ほどなら足を止めず走れるようになったし、技の冴えだって以前とは比べ物にならなくなった。階級も丁に上がり、名前の継子の中で一番上の階級になった。「私の任務についてきたい?」

 獪岳が頷くと、名前は暫しの間、獪岳を見詰めていた。名前に修行をつけて貰っている時――近頃では、名前は簡単な手合わせをしてくれるようになった。木刀で、名前から一本でも取れれば良いというものなのだが、これがまた難しいのだ。獪岳は未だ、彼女から一本を奪うどころか、掠り傷一つ付けたことがなかった。鬼殺では攻撃を避けることが肝要なのだから、柱の私がかわすのが上手いのは当然でしょうと名前が言ったのは、つい先日の話だ――息せき切って飛んできたのは、指令を持ち帰ってきた名前の鎹鴉ではなく、救援を求める鴉だった。
 こんな昼間から、鬼が出るわけが無い。しかし獪岳がそう思った時には、既に名前は身支度を整え、日輪刀を掴んでいた。
「任務は入っていないの」
「はい」
 名前は少しだけ考える素振りを見せたが、やがて「それなら勝手についてきて」と獪岳の同行を許可してくれた。
 一瞬、自分が彼女の任務についていけるだけの実力を持ったのではないか、と、獪岳はそう思った。しかしながら、彼女は本当に獪岳を待たなかった。最初から獪岳を連れていくつもりなどなかったのだ。獪岳が「はい」と返事をした時には既に彼女は屋敷を遠く離れていて、獪岳は彼女を見失わないようにするだけで精一杯だった。


 豆粒のようだった名前を全速力で追い掛け続け、辿り着いたのは鬱蒼とした森だった。確かにこれほど巨木が茂っていれば、日の光も届かないだろうし、日中でも鬼が活動できるのかもしれない。
 ぜいぜいと肩で息をしている獪岳を見て、名前は少しだけ驚いたようだった。まさか獪岳が本当についてきているとは思わなかったのだろう。そんな彼女は息一つ乱れておらず、案内役の鴉の方が酸欠で喘いでいるのを見るに、獪岳は名前に追い付けたのではなく、鴉の全速力にかろうじて追い付くことができたというだけなのではないだろうか。
「まさか名字が来てくれるとは!」
 これはまっこと重畳だ、と大声を張り上げたのは、赤い刃を携えた若い剣士だった。

 炎柱――煉獄杏寿郎は、名前の姿を見ると嬉しそうに笑ったものの、獪岳からしてみれば少しも嬉しがる状況ではないように思えた。一所に集められたらしい他の隊士達は皆大なり小なり怪我を負っているし、明らかに死んでいる者も何人か見受けられた。炎柱も無傷というわけではないらしく、右手から血が滴っているし、隊服が張り付いているのも汗だけが原因ではないようだった。
「君が居るなんて思わなかったわ。そんなに手強い鬼なの」
「手厳しいな! どうやら逃げ足が異様に速いようでなあ。すぐに身を隠してしまう上、血鬼術が厄介だ。分裂する鬼は初めてではないが、その数が妙に多いと来ている。それにこの森だろう」
 俺が来た時はこうではなかったんだがな、と笑う煉獄に、名前は少しばかり眉を顰めたようだった。どうやら植物を急成長させる異能を使う鬼が居るようだ。
「解ったわ。後は私が全部やるから。煉獄くんはこの子達をお願い」
「そういうわけにはいくまいよ。君に――」
「いいから」
「むう……」
 名前は踵を返し、再び森の中に入っていこうとしたが、獪岳が慌てて「俺も行きます!」と声を掛けると振り返って獪岳を見た。煩わしそうに眉を寄せている。「いいから。君は此処で他の子達に手を貸してあげなさい」
「俺だって手伝うくらいは――」
「獪岳」名前はぴしゃりと言った。「私は君を守れないし、庇ってあげる気もない。はっきり言って、今は邪魔なの」
 獪岳はなおも言葉を紡ごうとしたが、その時不意に名前の姿を見失った。しかし次の瞬間、背後でどさっと大きなものが倒れる音がした。振り返れば巨体の鬼が横たわっていて、その体は徐々に崩れ去っていく。首が無い。「それでも君が付いて来るなら勝手にしなさい。そして勝手に死になさい」
 上官命令よ、獪岳。そう言葉を残し、名前は木立の奥に姿を消した。


 それからは早かった。半刻も経たない内に、森中から漂っていた鬼の生臭い気配が消えたのだ。言葉通り、全ての鬼を名前が斬ったのだろう。名前が獪岳達の元を離れてからの小一時間、獪岳は何度か木々の奥に名前の姿を見たような気がしたが、よく見ようと目を凝らした瞬間に消えていた。この日、獪岳は名前が鬼殺隊最強の剣士の称号たる所以を初めて垣間見たのだ。
 戻ってきた名前が言うには、森全体が鬼の縄張りになっており、地下に網の目のように張り巡らされた穴蔵から数体の鬼が出入りしていたのだという。おかげで隊士達は度々鬼を見失い、一人になったところを地下に連れ去られていたのだそうだ。地下には夥しい数の死体が転がっていたらしい。
 隠に指示を出している名前に(「下にも何人か居るから手当てしてあげて。あと、木挽きを手配しておいて。この森を放っておいたらまた鬼の巣窟になるわ」)、煉獄が声を掛けた。
「相も変わらずの早業だなあ!」
「煉獄くん、私は貴方のそういう情に厚いところ、とても尊敬しているけれど、それで死んでたら意味ないと思うの」
「確かに! だが今日は名字が来てくれた。何も問題は無いな!」
 名前が小さく溜息をついたのを、獪岳は目撃した。
「ところで」と煉獄。「彼は誰だ?」
「私の継子」
「ほう!」
 ぐるんと振り返った煉獄にまじまじと見詰められ、獪岳はかなり気まずい思いをした。
 獪岳が他の隊士達の手当てしている間、辺りに現れた鬼は全て煉獄が斬っていた。手負いだというのにその鮮やかな手際は、獪岳には到底真似できない芸当だった。違う呼吸の使い手だからとか、そういう理由ではない。彼も、名前と同じ柱なのだ。そんな煉獄に――しかもやたらと眼力の強い煉獄に見詰められると、いっそう居心地が悪い。「君が常々自慢している継子か!」
「常々はしてないでしょう」
「そう思っているのは君だけだぞ――名字は自分にも厳しいが人にも厳しいからな、辛くなったらいつでも俺の所へ来るといい。俺が面倒を見てやろう!」
「やめて、勝手に勧誘しないで」名前は本気で嫌そうな声を出した。
「獪岳には、私の次の雷柱になってもらうんだから」
「む」
「それに、自分に継子が居ないからって、人の継子に手を出して良いわけがないでしょう」
「何を言う。名字のお墨付きの隊士ならばさぞ見込みがあるのだろうと思っただけだ!」
「それが良くないって言ってんのよ」
 あの、と獪岳が口を挟むと、二人の柱は口論を止めた。
 俺は先生の下を離れるつもりはないのでと獪岳が口にすると、何故か名前が不思議そうな顔をし、煉獄はというとおかしそうに笑っていた。

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