獪岳が鬼殺隊に入ったのは、その年の冬の終わる頃だった。剣士になったのは、たまたま自分を引き取ってくれた男が育手だったからであり、自分から志願したわけではなかったのだが、数ヶ月身を置くと、この生活はなかなか自分に合っているのではないかと思えてきていた。当然怪我は痛いし、何故自分がこのような目に遭わなければならないのかと憤慨する日もあるが、鬼を倒せた時の小気味の良さや、助けた人から有難うと頭を下げられた際の達成感は、それまでの獪岳の人生の中ではなかなか得られないものだった。修練に励めば励むだけ強くなっていく実感があり、それはやがて獪岳の中で自身を肯定するための判断材料へとなっていった。
 彼は直向きだと、後に彼の弟弟子は評した。
 実際、獪岳の性格――当然、そこには幾分の打算もあるものの――は鬼殺隊の気風に合っていた。獪岳は努力を惜しまなかったし、勤勉だった。しかし、ある時壁が現れた。真面目に任務をこなしていたものの、そこから先へ進めなくなってしまったのだ。
 任務は基本的に一人で向かう。つまり、手本となる先達が居ないのだ。確かに、獪岳は師の教えを守ってそれまで刀を振ってきたつもりだったが、それ以上の力をつけるための方法が獪岳には解らなかった。もちろん鬼殺の経験を積んでいけば、やがては強い剣士になれるだろうが、もっと効率の良い方法がある筈だ。
 獪岳がそんな考えを持ち始めた時、たまたま師からの手紙が届いた。身寄りのない獪岳を引き取ってくれた育手の男――桑島は、それまでにも一、二度獪岳に手紙を寄越してくれていた。ある時は怪我を負った獪岳を慮り、またある時は今年も桃が見事になったのでたまには食べにくると良いと労わった。この日届いたのは、獪岳の昇格を祝う手紙だった。彼から手紙を受け取る度、獪岳は適当な返事を書いて送っていたが、ふと思い立って、柱を紹介してくれないかという旨を記し、鴉に持たせた。
 鬼殺隊最強の剣士、それが柱だ。桑島も引退こそしているものの元柱であり、現役の柱に何かしらの繋がりがあるのではと思ったのだ。継子として柱に鍛えてもらうことができれば、それは勿論強くなる為の近道に違いない。基本的に、見込みのある隊士を柱側が自身の弟子にと指名するものらしいが、どれだけ獪岳に才能があったとしても、柱に会えないのでは意味がない。鬼殺隊の任務は階級別に振り分けられるので、未だ新人の域を出ない獪岳が任務先で柱に出会うことはほぼ無いと言っていいだろう。しかし桑島からの推薦を受ければ、柱といえど獪岳を継子に迎え入れるかもしれなかった。勿論桑島が取り計らってくれない可能性もあるが、頼んでみて損はない筈だ。獪岳は柱に――最強の剣士になりたかった。

 鎹鴉が桑島からの返事を届けたのは、それから幾日かが経ってからのことだった。獪岳の想定とは違い、書面には柱へ紹介するから、同封した手紙を持って雷柱の元を訪ねると良いと書かれていた。確かに、鴉は獪岳宛のものの他に、もう一通見知らぬ誰かへの書状を持っていた。
 桑島の手紙によると、今の雷柱は彼の弟子の一人なのだそうだ。柱の中に雷の呼吸の使い手が居ることこそ知っていたが、まさか直接の兄弟弟子に当たるとは知らなかった。やはり、元柱の下で指導を受けたのは類稀な行幸だったのだ。獪岳は推薦状を持ち、急ぎ雷柱の屋敷へと向かった。
 獪岳を出迎えたのは小さな女の子――どうやら剣士というわけではなく、此処で手伝いをしているだけのようだった――で、彼女は獪岳が雷柱に弟子入りしたいと告げると困ったような顔をしたが、推薦状があると言うと、やがて客間に通し、名前様がみえるまで此方でお待ちくださいと頭を下げた。どうやら柱は留守だったらしい。ぽつんとその場に残された獪岳は、名前という名に嫌な予感を抱きつつも、それから数刻の間じっとそこで待っていた。「君が獪岳?」


 雷柱、名字名前は、獪岳を待たせてしまったことに侘びを入れると、桑島からの手紙を受け取り、そのまま読み始めた。
 歳は二十過ぎといったところだろうか。その若さにも驚いたが、獪岳は名前が女だったという事に心底がっかりしていた。何となく、もっと年嵩の、それでいて屈強な男を想像していたからだ。恐らく同じ桑島の弟子だということと、そして柱についての数々の武勇伝から、知らず知らずの内に男だと思い込んでいたのだろう。獪岳は柱達の姓こそ聞いたことあれ、下の名まで全て知っているわけではなかった。
 手紙を読み込む名前は、確かに纏っている雰囲気が常人と違うような気こそするものの、隊服さえ着ていなければ到底剣士には見えないような、そんなどこにでもいるような女だった。確かに豪奢な屋敷に住んでいるし、彼女が鬼殺隊の柱なのは間違いないのだろうが、これから先この女を師として仰がなければならないのかと思うと、些か憂鬱を感じずにはいられなかった。

 不意に名前と目が合い、獪岳は内心で動揺した。まさか、心が読まれたのか――しかしながら、当然そんな事はなく、名前は獪岳が失礼なことを考えていたなど露にも思わなかったようだった。
「君、階級は」
「壬です」
「そう」
 それから彼女は再び手紙を読み出し、顔を上げたのはかなりの時間が経ってからだった。「此処に、君が私の元で経験を積みたいと書かれているけれど、それに間違いはないわね」
「はい」
「そう。私は大抵夜の間留守にしているけれど、私が居ない間は先輩の継子の指示に従うこと。それから――」
「は? 待てよ、継子にしてくれんのか?」
「継子に?」
「継子に、してくれるんですか」
 じいと有無を言わさぬような目で見詰められ、獪岳が思わず言い直すと、名前は暫く黙って獪岳を見詰めていたが、やがて「ええ」と頷いた。
「先生からの推薦だもの。私が従わない道理はないわ。それに、元々私がどうこう言えるわけでもないのだし」
「そうですか」
 獪岳はそう相槌を打ったものの、その割には長い間手紙を読んでいたのだなと不満に思った。恐らく、獪岳を継子に迎えるかどうか悩んでいたに違いない。そう思うと腹が立ち、こんな女すぐ見返してやると思ったものの、名前が「それに、君は見込みがありそうだから」と言ったことで、些か出鼻をくじかれてしまった。
「見込み、ですか」
「鬼殺隊に入ってまだ半年足らずなんでしょう? それで壬になったなら大したものだわ。先生からの手紙にも、物覚えが良くて筋も良いって書かれているし」
「……そうですか」
 紹介してくれるよう頼んだからとはいえ、あの師が獪岳のことをその様に評したかと思うと、少しばかり面映かった。
 名前は、自分はこれから任務があるので構ってはやれないが、他の継子に案内させるから寛ぐと良いと言った。部屋は余っているから、何ならこの屋敷に住んでも構わないとも。それから、彼女は獪岳が止める間もなく早々に屋敷を出て行ってしまった。再び一人客間に取り残された獪岳は、案外すんなりと継子にしてもらうことができ、果たしてこれで良かったのだろうかと思いつつも、これが最善なのだと思い直した。使えるものは何でも利用してやるべきなのだ。
 この日から、獪岳は雷柱の継子となった。

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