鬼は、元は人間だ。それが鬼舞辻の血を体内に取り込むことで、異形の鬼と化す。名前は鬼に家族を殺された。将来夫婦になろうと約束していた男も殺された。まだ幼かった妹も殺された。しかし、名前は鬼を心から恨むことができなかった。鬼は人間だったのだ。
 どういう状況で鬼になるのかはっきりとは知らなかったが、きっと望んで鬼になるわけではないのだろうと、漠然とそう思っていた。もしそんな名前の考えが当たっているのならば、せめて殺してあげなければならない。

 ――名前が鬼殺隊に入って一年経っても弱いままなのは、それが理由だった。人が最も力を発揮できるのは怒っている時だ。煮え滾るような憎しみを刃に乗せ、名前達は鬼を斬らなければならない。しかし、名前にはそれが出来ない。鬼を殺してあげなければと――弔ってあげなければと無意識に思っている名前には、それが出来ない。
 鬼を一人殺せば、何十人もの人を不幸から救える。
 そう思って名前は刀を振るってきたが、結局そういう考え方をする剣士は稀だったし、鬼殺隊に入らないのならばそれで良い筈だった。結局、名前は元々剣士に向いていなかったのだ。


 この晩も、名前は任務に赴いていた。その峠で人が夜な夜な消えるというので、鬼の仕業でないか確かめにいくのだ。若い娘の被害が多いということと、たまたま居る場所が近かったということで、名前が選ばれたらしい。入隊から一年経ち、漸く階級が癸から壬に上がったこともあり、名前はいつになく息巻いていた。
 私だって、少しずつだけど強くなっているんだ。
 そんな思いで、峠を目指した――鬼殺隊へ寄せられる情報は、鬼殺隊の存在を知っている庶民からのもの、名前達一般隊士の聞き込みによるもの、鴉達の情報網によるもの、そして最上級隊士である柱が独自に掴んできたものと多岐に渡るが、今回は一般市民からの報せだったそうだ。その場合、鬼の姿を実際目にしているわけではないので、鬼でなく人の仕業であったりもする。強盗であったり、盗人であったり。しかし今回は、確かな情報だったらしかった。

 名前が峠にやってきたところ、すぐさま異形が姿を現した。その鬼は六尺を遥かに超えており、名前は一瞬怯んだが、すぐに行動に移した。鬼殺の時に心掛けるべきことは、出来うる限りの速さで片を付けること。それは鬼は傷を負ってもたちどころに治癒してしまうが、名前達剣士は時間が長引けば長引くだけ不利になってしまうからだ。「雷の呼吸、壱ノ型――」
 名前は居合いの要領で鬼に斬りかかった。狙いは足だ。名前の背丈では、大柄な鬼の首をそのまま斬ることが出来ないからだ。まず姿勢を崩させ、その上で首を落とす必要があった。何より唯一の急所への攻撃は、当然鬼も警戒しているので、実力の低い名前ではすぐに見透かされてしまう。
 壱ノ型、霹靂一閃。雷の呼吸の基本となるこの技は、本来であればその技の名の通り瞬く間の閃光のような一撃だ。踏み込みの際には落雷のような轟音がし、霹靂のような一太刀をもって鬼の頚を落とす。しかし呼吸法を極めることができなかった名前のそれは、師匠である育手のものとは比べ物にならないほど劣っていた。入隊した時よりは強くなっているといっても、所詮それまでだ。
 鬼の動きは早かった。名前の動きを先読みし、名前が刀を振り抜くその一瞬の間に、回り込んで名前の蹴り付けた。当然、軽い名前は吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。ぐしゃっと嫌な音を立てたのは、名前の右足だ。ああっ、と、名前が叫び声を上げる。
「あ? 何だお前、もしかして稀血か?」鬼が言った。
「マ、マレチマレチって、貴方達誰かと勘違いしてるんじゃないの?」呻きながらも名前が言った。内臓が傷付いているのか、喋るたびに血の味がして気持ちが悪い。
「阿呆か。稀血ってのは珍しい血、稀な血のことだ」
 名前の頭を掴み、持ち上げた鬼は、随分と機嫌が良さそうだった。「稀血を喰えば、人を数十人喰ったのと同じ効力があるという。つまりお前を喰えば、俺の十二鬼月入りも無い話じゃないってわけだ。それにたいそう美味いらしい」
 鬼の言葉に、名前は漸く合点がいった。今まで鬼殺の任務に赴いた時、他にも人間が――傷付いた隊士や、子供だって居たのに、鬼が血相を変えて名前に向かってきたことが何度かあったのだ。彼らは皆、一様に名前を稀血と呼んでいた。てっきり剣士怖さに名前を狙ったのだと思っていたが、何てことはない、名前が美味しそうだったから、彼らは名前に狙いを絞っていただけなのだ。
 ぐふ、と、鬼が下卑た笑いを漏らした。
「俺は運が良い。お前は脳味噌をほじくり出して喰ってやるからな」
「いやいや、血の一滴たりとも残さず喰べるべきだ。しかしすまんなァ、その娘は俺が唾を付けている」


 どぱん、と聞き慣れない音がした。名前は再び地面に落下した。しかし顔のすぐ横に先程まで自分を掴んでいた鬼のその頭が転がってきて、痛みに呻くどころではなくなった。先程の音は、この鬼の首が力任せにもがれた音だったのだ。月明かりに照らされているのは、あの頭から血を被ったような、美しい鬼。
「やあ」にこりと、鬼が笑った。

 やがて、大男の鬼が首を元のように付け直した。それから例の鬼の方を向く。どうやらどちらが名前を喰べるかという話になっているようだ。しかしながら、鬼達が向かい合っていると確かに体の大きい鬼の方が強そうなのだが、どういうわけか、大男は争いを避け、逃げるようにして去っていった。まるで、異形の怪物を目にした人々のように。


「息災だね。いやあ良かった良かった。ここ最近、ずうっと会って居なかっただろう? 誰かに喰われていやしないか心配だったんだ。君を直接探しに行ければ良かったんだが、俺はなかなかどうして忙しい身でなあ」
 名前が咽込みながらも刀を構え直すと、鬼は「ええ?」と目を瞬かせた。「君、その状態で俺に向かってくるのかい? 右足が折れているんだぜ。腹の中だって傷付いているだろう? 相当痛い筈だ。じっとしていた方が身の為だと思うがなあ」
「関係ないわ、貴方達を一人でも多く殺せれば、私はそれでいいんだもの」
 そう言いつつも、名前は自分がこの鬼を殺せないだろうことは理解していた。ごほんと咳き込めば血の塊が転び出た。型を使おうにも、足が無ければ鬼に日輪刀を当てることすら不可能だろう。そもそも非力な腕力を補うための助走もできない。きっと、私は此処で、この鬼に喰われてしまうんだろう。
 そんな事を思った名前だったが、ふと顔を上げ、内心で首を傾げた。鬼はぽかんとした表情で、名前を見下ろしていた。

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