友の遺したもの

※夢主は死ぬ


「あっ……!」
 思わず零れ出た名前の声を聞きとがめたのだろう、浩平はさっと布団を被った。「浩平、お前またモルヒネ盗んできたな。駄目だって言われたろうが。その手に持ってるものをさっさと出しやがれ」
「何も持ってないよ、持ってないったら。ねえ洋平」
「うるせえ!」
 名前が掛け布団を引っぺがすと、思った通り、浩平は小瓶を手にしていた。中に入っているのは当然モルヒネだ。名前がそれをむんずと奪い取ると、浩平は恨みがましく名前を睨んだ。
「お前、医者に迷惑かけっぱなしらしいじゃねえか。お前が大人しくしてねえと俺が軍曹に怒られんだよ」
「何で名前が怒られるんだよ?」
「俺が知るわけねえだろ」
 ていうか何だその頭巾、キッショ。名前が嫌悪感を露に顔を歪めても、浩平は少しも気にならないようだった。件の職人が作ってくれたのだという頭巾――口元に洋平の耳が縫いつけられたそれを、浩平はかなり気に入っていた。まるで双子の片割れに話し掛けるように独り言を呟く浩平を見ていると、こちらの頭がどうにかなってしまいそうだった。

 名前と浩平、そして洋平は幼馴染だった。同じ村で育ち、同じ野山を駆け回っていた。名前が軍に志願すると、彼らも競うように軍に入った。それが今はどうだ。洋平は死に、浩平は右足を失った。
 有坂中将のおかげで、この頃の浩平はかなり持ち直してきていた。足がなくては、杉元佐一を殺しに行くことができない。一時期は復帰が危ぶまれていたほどだったが、義足での歩行は勿論、走行にも問題はないようだった。この調子なら、洋平の敵を討つことだって訳ない筈だ。
 ――本当に、このままでいいのだろうか?
 名前はにじり寄ってくる後悔の念に気付かないよう、ぎゅっと目を瞑った。
 もう何年も、名前はずっと自分の理性から目を逸らし続けていた。二人を戦争に行かせてしまったこと、洋平の死を彼の母親へ伝えていないこと、本当なら今すぐにでも浩平を家へ帰らせる方が良いのだということ。
 何が正しくて、何が正しくないのか――境界は曖昧になり、いつしか名前自身も解らなくなってしまっていた。

「……なあ」
「ふふ、名前ったらおかしいんだ、きっと名前がどんくさいから月島軍曹に怒られてるんだね、可哀想」
「聞けよ」
 近頃の浩平は、まるで幼児のような言動をしていた。痛み止めとして服用していたモルヒネが、いつしか彼の頭を蝕んでいたのだ。最早名前にできることは、彼がこれ以上のモルヒネを摂取しないよう気を配ることだけだった。「帰っちまおうぜ、もう。俺と一緒に。静岡へよ」

 ほんの一瞬だけ、病室が静かになったような気がした。もっとも、本当に気のせいだったのかもしれない。浩平は既に洋平とのお喋りに戻っていて、名前が此処に居ることすら認識しているかどうか疑わしい。
 万が一、浩平が名前の提案に頷いたとして、それは果たして実現できることなのだろうか。名前が二人分、三人分働くことを主張すれば、浩平一人だけでも家へ帰してやってもらえないだろうか。
 名前が立ち上がると、浩平は名前を見上げた。「行くぞ、“二階堂”」
 浩平は微かに目を細めて名前を見たが、杉元をぶっ殺しに行くんだろと嘯けば、初めて嬉しそうな笑みを浮かべた。



 断続的に飛び込んでくる機械音に、名前は顔を顰めた。どうやら、鶴見中尉は例の銃器を本当に使っているらしい。どちらが悪人なのかわかりゃしない――そんな事を考えながら、名前は立ち上がろうとする男の掌を、銃剣で突き刺した。「はっ、ザマはねえじゃねえか」
 名前を睨め付けているのは、不死身と呼ばれているその男だ。泥に塗れ、地に伏している。
 どうやら既に負傷していたらしい杉元と、警戒に終始していた名前とでは、僅かながら名前の方に分があったらしい。いくら銃剣を突き刺しても死なない杉元に肝を冷やしたことは確かだが、名前だってあの戦争を生き抜いてきたのだ。そう簡単にやられたりはしない。全力で暴れる杉元を、全力で押さえ込む名前。
「俺はお前が本当に不死身かどうか、このまま試してやっても良いんだぜ」
 名前を見た杉元の目が一瞬焦りを浮かべたのを、名前は確かに見た。

 名前としても、杉元佐一は憎らしい相手だった。洋平を殺したのはこの男だし、浩平がああなったのだってこいつのせいだ。しかし、「杉元佐一をぶっ殺したいです」とまで言っていた浩平が、仮に杉元が死んだと知ったらどうなるか――その葛藤が、文字通り名前の生死を分けた。
 ぱん、と乾いた音が響き、名前は自分がもう死ぬことを理解した。
「――くそ」
 やっぱり、さっさと殺しておけば良かったのだ。そうすれば、少なくとも二階堂は右手を失わずに済んだのだから。



 杉元を執拗に追い掛けていた二階堂は、ふと、見慣れた男が死んでいることに気が付いた。名前だ。脳天を撃ち抜かれているのを見るに、苦しむ暇はなかった筈だが、その表情は苦渋に満ちていた。友達を見捨てることができず、こんな所にまで来てしまった名前。「馬鹿だな名前、俺は杉元を殺せればそれで良かったんだぜ」
 俺はよくねえんだよ、と、名前なら怒鳴っただろうか。二階堂は友達だったものから目を背け、杉元を探して歩き始めた。

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